町中【薬師公園】の問題解決(2017/04/14)

先週、盛大に開かれた中野通り桜まつりは無事お開きとなりました。多くの皆様のご協力ご協賛をいただき成し得ることが出来たことと、実行委員会の皆様方の並々ならぬ行動力に敬服の念を抱いて止みません。さて、桜まつりのメイン会場になった区立薬師公園は当日の雨で水溜りが出来る箇所が何カ所か見受けられるました。特に町会が模擬店を構える公園西側用地地面の劣化(表土が剥げる状態) が激しくて模擬店の足元に水溜まりが出来る始末です。これではいけない!と皆さんで水を搔き出すのですが解決しません。雨水を流し込みはずの雨水マスがどう見ても地面より数センチ盛り上がってます。誰が見ても雨水が流れないことは明白です。思い余って町会役員さんから「この雨水なんとかしてよ」の問題提起があり早速公園担当へ連絡。したところ、やはり、地面の劣化が激しく、もはや土砂を搬入して地面の底上げをする段階ではなく、雨水マスのレベルを改良して地面より低くすることに。4月中には改修工事完了予定です。


町中【商店街タイル舗装】の問題解決(2017/04/13)

中野駅北口サンモール商店街を駅から北上してブロードウエイ商店街と交差する手前に位置する商店街が狸小路商店街。ここの商店街は今から遡ること30年近く前にインターロッキング舗装を周囲の商店街に先立って完成させた商店街です。ということは劣化も一番早くなるのは当然でして、最近では貼付けたタイル地が浮き上がり、気付くと足元で路面がコツコツ音を発する状況が発生とのこと。地元町会である打越町会の稲葉町会長さんから連絡が入り、早速一緒に現地視察しますと、一見したところ気付きませんが、よ〜〜〜〜く見ますとカタカタしている箇所が何カ所か発生しています。この道路は私道なんですが、区道と区道を繋ぐ動線であり、日常歩行者も多く、中野北口一帯の賑わいに貢献しているところなので中野区も一役担うことになろうかと思われます。日頃何気なく歩いている道路ですが、万が一にもつまづくような状況や凸凹が目立ち歩くのに支障がある場合はご一報ください。TEL03-3388-3039


商店街のヒット企画『まちバル』の立役者が抱く中野の魅力と再開発後への想い【中野のキーマン100人に会う その12】山本祥三(株式会社広島屋/中野区観光協会)

様々なイベントに追われてしばらく間が空いてしまい「次はどなたですか?」と質問されることも多かった本シリーズ。久しぶりの再開には鷺宮商明会商店街の田中章夫さんからご紹介いただいた、山本祥三さんにご登場願った。若くして飲食の現場からたたき上げ、長らく中野のお酒の卸として有名な広島屋に勤務しつつ、商店街切手の若手としてリーダーシップを発揮してきた山本さん。これまでにご登場いただいた中でもとりわけ現場に近い視点から、中野に対する様々な想いを伺った。@IMGP1538_R

市川 山本さんは、中野のお生まれで、今でも中野で活躍していらっしゃる。

山本 1976年の生まれで、小さいころは桃園小学校の裏手に住んでいました。高校受験はせず、服部栄養専門学校に行って調理師免許を取得して、飲食業界に入りたくて四谷にある福田屋という料亭でしばらく務めました。

市川 なるほど。中野で働くようになった経緯はどのようなものですか?

山本 福田屋に納品に来ていた酒屋さんの方に仲良くしていただいていました。当初は料理人になりたかったのですが、酒屋さんなら飲食店の方とも話をしながら楽しく仕事ができるのではないかと思って、転職の際に広島屋にアルバイトとして入社しました。

市川 それがまだ16歳の時というのだから、驚きです。それ以来ずっと広島屋さんに?

山本 そうです。社長も社長の奥様もとてもかわいがって下さったので、ここで頑張ってみようと思って22年、広島屋で育てて貰いました。

市川 なるほど。そういったご経験からなのか、山本さんからは現場主義の魂を感じます。明治維新で富国強兵政策をとった当時の教育の中には「五育」というものがあったそうですね。知育、体育、徳育、食育、才育の1つで、中でも才育を重視したそうですよ。これはつまり「手に職」を付けることで、いわゆる職業専門学校のことです。それ以前は徒弟制度があり親方に師事して手に職を付けました。それを専門学校、職業訓練校を作って育てようというのでとても重要視されていたそうですよ。今の山本さんのお話を聞いて、才育の話を思い出しました。

若くして現場に入った山本さんは、お酒の卸を中心に中野区内の数多くのかかわりを持つ広島屋に入社し、そこで半生を過ごされている。その中で培った経験や人の縁から徐々に商店街での活動にも存在感を発揮するようになる。中でも、区内のキーマンとして彼の名前が知られるようになった「まちバル」について伺った。@IMGP0894_R

市川 そうして中野に根付いた山本さんは、今や商店街で大活躍されていますね。今、力を入れていることはどんなことでしょうか?

山本 今は「まちバル」の実行委員長という大役を仰せつかっています。

市川 「まちバル」は最近よく聞くキーワードですね。まず、この「まちバル」というのがどういう企画かご説明いただけますか?

山本 「まちバル」は、お客様にまず先に飲食店で使える4~5枚の綴りのチケットを買っていただいて、それを持ってお店にいくとドリンクやフードの1品と交換できるという企画です。チケットは1枚7~800円くらいの金額で、複数の店舗で使用できる為、参加者はついはしご酒をしたくなります。

市川 チケット1綴りが5000円以内で収まるようになっているわけですね。お酒を飲む人の心理として一杯飲むと二杯飲みたくなりますね。そして、二杯飲むと三杯飲まないとキリが良くないみたいな気分になり…

山本 おっしゃる通りです。普段から気になっていても入る機会の無かった店にも足を延ばしたり、入店の敷居を下げることになります。1日4軒回ると、居酒屋、BAR、小料理屋におしゃれなスペイン系のお店なんかにも行けて、この街は面白いなあと思ってもらえる。

市川 気軽に入れることで、新しい馴染みのお客さんが増えるかもしれない。

山本 以前に鷺宮で開催した時は、不運にも2日間の開催日の両日ともが雨天だったにも関わらず、お店を予約された方はほぼ全員いらっしゃったそうです。お酒の力は凄いんだなというのを改めて実感しました。

市川 中野では、中野南口駅前商店街会長の吉田さん始められたそうですが、その後、どういった経緯で山本さんが実働されるようになったのでしょう?

山本 広島屋の専務も飲食業を盛り上げるために何ができるか常々考えており、情報を集める中で「まちバル」という企画を知りました。ちょうどその頃、中野区観光協会が立ち上がって区内のマップ作りをするというのでお手伝いしました。吉田さんが音頭を取られて一緒にマップ作りをしていた時に、ちょうど僕らのバルイベントをやりたくて、吉田さんもバルイベントがきる人を探していたので「じゃあ、やりましょう」と。

市川 「まちバル」は色々な商店街で開催されていますね。中野区内ではどれくらいの規模や頻度でやっているのでしょうか?

山本 今年は4月に鍋横商店街、5月に中野駅南口商店街、6月に鷺宮商明会と毎月開催されています。他の商店街でもやりたいという声がありながらも、スタッフ不足などの問題で実現に至らなかった場所もあります。僕たちの目標としては、中野にある10ブロックの商店街全てで開催して、区内を巡回していくようなバルイベントにしていきたいです。

市川 「まちバル」がこれだけ開催されている、魅力的とは何でしょうか?

山本 今まで飲食店が主役になる商店街のイベントってあまり多くありませんでした。鷺宮商明会の田中章夫さんにも言われていたのですが、どこかにステージを設けて集客した場所に露店を出して間接的にPRすることはあっても、飲食店に呼び込む企画は無かった。だから「まちバル」は飲食店からの評判が良いです。

「町おこし」や「にぎわい創出」として催される企画、イベントは数多い。しかし、その多くが街の中心地に大勢の人を集めることを目的としており、来街者が個別の店舗にまで足を延ばすかどうかは商店街や個々のお店の自助努力に任せられる。そういった中で、「まちバル」は店が主役となり、来街者=来店者となる。飲食店こそが街の魅力ともいえるここ中野において、この差は非常に大きい。「お酒」で店と繋がった山本さんにとって、「お酒」で店と新たなお客さんを繋げるという発想も自然なものだったのだろう。@IMGP0824_R

市川 山本さんは中野のいろんなお店にお酒を卸す仕事を長くされている訳ですが、そんな山本さんの目から見たお勧めの店や、注目している場所はありますか?

山本 1つ挙げるとしたら洋風のお店が増えてきたレンガ坂でしょうか。レンガ坂の登場で、中野駅の北側は昔ながらの飲み屋街で、南側の方が若干単価は上がるけれど、おしゃれな洋風なお店という住み分けができてきました。通りを歩いていたお勤めの方が「ここは給料日に来るところだよね」と仰っていたくらいには、イメージができているようですね。

市川 中野駅の北と南では少し文化の違いがあって、北は少し荒っぽいけど人情がある、南は同じ人情でも上品な感じがしますね。それには街の成り立ちも関係があると私は思っています。

今から50年近く前に公社住宅ができて、入居したのはみんなホワイトカラーでした。中央線に乗って丸の内に勤めている様な方々ですね。そういう所の姉弟が線路の南側の桃ケ丘小学校に通っていた訳ですが、学校の周辺には銀行の社宅や警察の官舎があって、こちらも生活レベルの高い人たちが多かった。

私が生まれ育った北口はというと、飲食店街でバーやスナックも多く、2階が住まいになっていて1階のお店で親がお客さんの相手をしているというような家庭も多かった。そこの子たちも桃ケ丘小学校に通っていたので、全然違う生活をしている子供たちが一緒になっていました。狭いエリアに色んな文化が同居している中野を象徴しているようでした。私も、友だちの誕生日会で家に行った時にリビングとダイニングが分かれていたり、紅茶とケーキが出てきたりと言うのが珍しくて、「全然ウチと違うな~!」と驚いたのを覚えています(笑)。

山本 中央線沿いの街並みを見ていると、どこもだんだん似てきているように感じます。だからこそ、中野はそうなって欲しくないということがまずあります。駅周辺の再開発が控えており、もちろん開発されて便利になるのは良いことです。ただ、街は一度壊してしまうと、綺麗な建物は作れても、同じ歴史は二度と作れません。例えば、中野サンプラザを壊すのは仕方ないことですが、建物が新しくなっても、中野サンプラザの歴史の中にあった何かを残して欲しいと思います。

市川 それは中野らしさというものでしょうか?

山本 そうですね。僕らも、育ってきて中野が好きという思いがあるので、ありきたりな街にはなって欲しくないですね。

狭い空間に様々な文化が同居しているのは中野駅周辺の大きな特徴である。また、電車で一駅のところには巨大なビジネス街、繁華街を有する新宿があり。大規模再開発の真っ只中にある中野にとってこれらの地理的条件は今後ますます重要になってくる。その中で中野が個性を発揮すべき「らしさ」について、ここでも山本さんの希望はやはり現場目線からであった。@IMGP1260_R

市川 一つの切り口として、先に開発が完了した四季の都市の施設ができて昼間の人口が2万人増えました。将来的には5万人になると推計されています。ただ、どれだけ人が増えてもそれを受け入れる街のキャパシティには限界があります。実際、「ランチ難民」という言葉が、施設が稼働しはじめてすぐに出てきました。

新しい施設ができたら、飲食は施設内に開業したお店と街に元からあるお店で回すしか方法がありません。特に中野は繁華街から一つ筋を入るだけで高級住宅街になっているという特性もあって、容易に飲食店の数を増やせません。決められたゾーンの中での受け入れられるキャパシティは限界があるので、どんなに大きな施設を作っても、それが全て中野の街の消費に繋げられるかと言ったら、僕は少し疑問に思います。

山本 確かに受け皿は足りていないと思います。飲食に関していえば、空きが出た不動産には軒並み飲食店入るくらいですが、何千という人数を捌けるほどではありません。「あの床屋さんが飲み屋さんになったよね」とか、まだそういうレベルです。

市川 観光協会がマップ作りをしている中でもランチマップを作って少し離れていてまだ知られていないお店に少しでも誘客できるようにしようとしている。しかし、それでも入り切らないそうです。やはり人が2万人増えても店舗数が同じだけ増えている訳ではないですから。ですから、新しい施設を作れば、その分だけ人が溢れることになるでしょう。

昼間人口を増やすのは消費を喚起して街の経済活性化に繋がるとみんな口々に言うけれど、私は本当に中野の街がそれだけのキャパシティをもっているのかなといつも思っています。ちゃんと街の身の丈に合ったものを作って、それがうまく機能することが良いことだと思います。

山本 私も新宿や渋谷に正面からぶつかるのが正解じゃないと思っているので、自分たちの良さを際立たせる「中野ってこういう街だよね!」というのをもっと色濃くした方が街の魅力は更に上がると思います。

中野は昔ながらの飲食店などがひしめく北口や、雰囲気の異なるレンガ坂をはじめとする南口の商店街がとても魅力的です。そういった味わいを残しながら開発していかないと、お隣のもっと大きな街に全部持っていかれてしまいます。今の中野にはせっかく際立った魅力があるので、そこを維持しながら開発をしていかないといけないと思いますよね。

市川 中野のすぐ隣には新宿、渋谷、池袋といった大繁華街があって、そこにはキャパシティでは太刀打ちできないですよね。当然、そのことも考えて、相応しいものを作っていかないといけませんね。 

中野にあって他にないものは何か。シンプルであるが見落としがちな視点である。近隣に大繁華街が存在する中野は、いくらそれ単体が魅力的であっても、近隣都市との比較無しに判断することはできない。それが新宿、渋谷、池袋などにもある当たり前な魅力の縮小再生産では活性化として意味をなさない。ましては、街のキャパシティを無視した拡大も意味はない。街に合った、しかし誰もがうらやむ魅力を見出す力こそが、今後の若きリーダーの資質といえるだろう。@IMGP1144_R

市川 2020年の東京オリンピックに向けて、色んな地域が準備を始めています。中野区観光協会などでもそれは視野に入れているようです。山本さんの周囲でもオリンピックに向けた具体的な話は出ていますか?

山本 まだ出ていませんね。インバウンド対応として多言語化をどうにか進めようと話はしていますが、それくらいです。挙がっている懸案には目を向けていますが、まだ現実的に取り組むまでには、煮詰まっていません。

市川 元々、中野は観光都市ではありません。美味しい食べ物屋さんが点在していて、会社帰りに一杯やって帰るというような人たちを相手にしていた中野の飲食店が中心ですから、情報も整っていない。外国人観光客用のガイドマップの中に「NAKANO」として紹介されるページもありますよね。そこにそういった街並みが出てきたり、中野ブロードウェイが紹介されたりしますよね。だけれど、わざわざ観光バスで来てみるような場所ではない。

山本 やはり浅草寺には勝てません。僕が思うに、中野では北口の飲み屋街が一番強いコンテンツです。もちろん歌舞伎町にも飲み屋はたくさんありますが、横丁的な昔ながらの店があれだけの規模で広がっている街は他にはありません。

市川 中野ブロードウェイが今はオタク系文化が詰まっているから、秋葉原にも行くようなお客さんの流れは確かにあります。しかし、もっと大きな層を見てみると、中野の街に求められているのは北口の昭和っぽい居酒屋やちょっと洒落た南口のレンガ坂のような街並みというのが中野らしさを生み出しているのかなと思います。

山本 里まち連携で提携している産地の自治体も、中野ならもっと売れるのではないかと力を入れてくれます。他の地域から見ても中野はそういうポテンシャルが見えているのだと思います。“古き良きもの”は他がやろうと思っても何十年もかからないとできないものなので、これは既に1つの武器です。

四季の都市もキリンやクリタ工業といった大企業が入居するオフィスビルにしては中野らしいアットホームな雰囲気があります。ベビーカーを押している人がオフィスビルのエントランスを歩いているなど、他では絶対にない風景を見ることができます。どう作ったと思っても、庶民的な方に流れていくんだと思うんです(笑)。 

市川 話が戻るようだけど、だから、中野サンプラザと区役所の一体整備というのは、大きな哀愁があってサンプラザを壊さないで欲しいという人も多いですよね。もし立て替えるならあの三角形を残して欲しいという人も多い。けれども、この限られた2ヘクタールの中でやりくりを考えるのだから現実的なことを見ていかなくてはならない。

山本 そうですね。例えば、サンプラザだと、僕はホールを残して欲しいと思っています。三角形って面白いですが、床面積の構造上が無理だと思うんです。ですから、ライブの思い出を持っている人がすごくたくさんいるホールは今のままで、「ビルは変わったけれど、ここはサンプラザだ」と思えるような赤い階段があるあの感じを再現して欲しいですね。

市川 再開発法という法律の改正があって、従前の建物で歴史的、文化的価値のあるものを保存することが可能になってきました。その事例として、金沢の近江市場の再開発があります。近江市場の雑然としたエリア内に有名な建築家が設計した古い銀行の建物があって、これは絶対に残したいと市民からの要望がありました。再開発後の新しい施設の建設予定地がこの銀行と位置が被ってしまって、このままで着手できないというので、銀行を曳家で移動させることで、古い銀行を街並の中に入れ込んだ景観を実現しました。

山本 そういう事例こそ参考にして欲しいですね。きれいに建て替わってしまうのであれば、何か歴史を残して欲しい。中野のシンボルというか、皆さんの思い出の中に残ってるものなので、それが綺麗さっぱりなくなってしまうのはもったいないと思います。

中野の魅力は中野駅北口の飲み屋街やサンプラザに象徴される歴史にあり。これは本シリーズにご登場いただいた方の多くが口にすることだ。しかし、若く、現場に根差した活動をする山本さんにとってそれは単なるノスタルジーではなく、これから中野がどうあるべきかを考える時の1つの武器なのである。馴染みのものがなくなるのは寂しいから…ではなく、攻めの姿勢で、形にこだわらず、しかし、強みを残すべきである。@IMGP1561_R

市川 最後に、区や議会に求めるもの、望むものはありますか?

山本 18歳の選挙権が始まり、若い人たちの意見も大事になってくる中で、議会や行政に声を届けることは、まだ一般区民からは敷居が高く映っていると感じます。一般区民の人たちと触れ合い、「こうすれば政治に参加できるのだ」ということを分かり易く発信して、堅苦しい場所ではないことが伝わって欲しいです。議会や行政にも面白い人がいっぱいいるし、多くの方が思っているような9時から5時の仕事だけをしている所ではない。色んな方に会って話をすると、そのギャップがすごくもどかしく感じます。

市川 これは私たち側の努力でしょうね。中野区の努力でもある。

山本 僕ら受け手側も、率先してそういう場に出ていく仕組みが必要だと思います。若い人たちに選挙権が移るほど、もっと楽しいことがその子たちにはあるわけじゃないですか。

市川 今は年配の人の方に向けた政治がされている状況があります。それは何故かというと、その人たちは間違いなく投票に行ってくれるからです。若い人たちの投票率が下がれば、そういった向きの政策はどんどん少なくなってしまいますよね。

山本 今はまだそれで良いかもしれないですが10年、20年経った時に、それまで蔑ろにされていた若い人たちが選挙に行こうと本当に思うのでしょうか。その時の日本はどうなるのだろうかと心配に思います。

自分たちが選挙にもっと積極敵に関わらなければと思っていた人ならば、親になったら子供たちに「選挙は必ず行くものだ」と伝えていってくれるはずです。だから、何十年先の子供たちが、僕らの世代になった時を考えていかないといけないと思うんです。その時、投票率が更に落ちていたら、その人たちの意識はもう変わらないですよ。

政治に不満を持っている人たちは、なかなか興味を持つところまでいきません。興味を持つきっかけがあった人たちが、年配になるまで興味を維持して行けるようなコミュニケーションをして欲しいです。僕らも伝えていく世代になってきているので、そういうことに積極手に関わっていきたいと思います。

市川 ちょうど山本さんたち40代の人たちが中間層として、20代・30代と50代・60代の繋ぎ役になりますね。どちらとも話ができる位置に、山本さんが今いらっしゃるのはとても心強いことだと思います。

山本 私たちが率先して動いていきたいですし、いろんな区民がコミュニケーションを取れるような場を作りたいですね。

市川 一緒に努力しましょう。同じ党で若い出井君たちも頑張っています。彼のような議員が、彼だけでなく、もっとたくさん出て欲しいとも思っています。やはり世代が離れてしまうとできない話もありますから、若い政治家と山本さんのような人たちとが、距離を縮めていくというのはとても大事なことだと思うです。その為の努力を、私もしたいと思います。

今は良くても、それでは何十年か先になると本当に政治に参加@IMGP1673_Rしようとする人が居なくなってしまう。それはごもっともであり、我々が忘れてはならない意見である。そうならないように、行政や議会の側も、そして区民の側も若手が手を取り合う機会を増やさなければならない。その為の努力を、私たち年配者もするべきであろう。 

山本さんのお話からは、現場に即した、綺麗ごとだけではない故の力を感じることができた。物事には理想と現実がある。理想を忘れては事を成す意味を見失うことになってしますが、さりとて現実を置き去りにしては絵空事に終わってしまう。その間をとる優れたバランス感覚を、山本さんはお持ちのように感じた。現場で培った嗅覚と実行力で、これからの中野を率いる若者の代表として益々のご活躍を期待したい。


 

【過去のシリーズ】
その11:田中章夫(鷺宮商明会商店街/中野区商店街連合会)
その10:杉山司(中野経済新聞 編集長)
その9:深井弘之(株式会社ナカノF / 中野区観光協会 事務局長)
その8:谷津かおり(株式会社オフィスエル・アール代表取締役/中野21の会会長)
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]


視察報告(防災編)【10年後を準備する、新たな技術と価値の創造を目指して。清水建設建設技術研究所、本社ビル】

20160427_125751創業200年を超える清水建設。その中に構える技術研究所http://www.shimz.co.jp/theme/sit/は1944年(昭和19年)戦時中に設置され、わが国の建設技術の進歩に大きな役割を果した。今回は越中島にある技術研究所を視察する機会を得ることが出来たことは誠にラッキーとしかいいようがなかった。ともかく、世界最先端の建設技術の粋を集約した施設なので一年中視察者来訪の連続なのである。その中にあって予てより視察申し込みをしていたところ、幸運にもキャンセルが発生し視察に至った次第である。

20160427_124952様々な研究棟が立ち並び研究所であるが、何と言ってもここの目玉は昨年4月始動した『先端地震防災研究棟』である。研究所の資料によれば、「ソフト技術(リスクを知る)、ハード技術(リスクに備える)、スキル向上(地震発生後の対応)、の3つの視点から「ワンランク上のBCP」を目指す研究開発の拠点です」と位置づけている防災研究棟なのである。また、世界屈指の性能を誇る大型振動台「E-Beetle」と大振幅振動台「E-Spider」を備え、地震の実験•計測や解析を一体的に推進してる。

早速振動台にヘルメットを被り様々詳細な諸注意を受けてチャレンジ。24階の高層ビルを震度5強の地震が発生した時の揺れを想定し体験させていただいたが、筆舌に尽くし難い揺れが暫く続き、地震がおさまった後も免震構造が齎す揺れが10分程度続く状態は、大海原の中で嵐に遭遇した大型船が揺れている感覚にほぼ近いもの(遊園地アトラクションのバイキング状態)があった。3•11東日本震災時に東京の震度が5強。あの強い揺れの中、タワーマンションの我が家に居合わせた息子から聞かされた揺れの恐怖に納得した次第。

清水本社斜め研究所内の視察を終えた後は中央区京橋に構える清水建設本社ビルhttp://www.shimz.info/HQoffice/。4年前に竣工した超近代化されたハイブリッドビル。特に職場環境面への配慮は他の追随を許さず、自然エネルギー発電装置、空調システム、照明ルクス等のプログラミングは勿論のこと、本社ビルの熱エネルギーを供給しているエリア内のエリアマネジメント(京橋スマートエリア協議会)等、地域を包含した配慮も怠りない。また、ハード面でも免震構造装置やオイルダンパー装置の設置による地震発生時の揺れの吸収。2階にある600名収容(本社ビル内就業者2000名)のレストランに大災害発生時の災害対策本部機能設置や帰宅困難者対策等々、これまたわが国最先端のハイブリッドビルの防災面での地域貢献を目の当たりにした次第。

終わりに、意義深い視察を受け入れて下さった清水建設本社関係各位に感謝の意を表す次第です。


鷺宮の魅力を広める若きリーダー。商店街の若手が抱える課題とは?【中野のキーマン100人に会う その11】田中章生(鷺宮商明会商店街/中野区商店街連合会)

前回、「中野経済新聞」の杉山さんからご紹介いただいたのは、同世代で働き盛り、鷺宮商明会商店街を中心に中野区商店街連合会(区商連)でも活躍する田中章生さん。生まれも育ちも鷺宮というこれからの商店街を牽引するホープである。数多ある中野の商店街を、戦後の復興期に立ち上げた世代から、バトンを受け継いで再活性化させるという、中野に限らない全国的なテーマに正面から取り組み、精力的に活動する田中さんから、区内の商店街のリアルな話を伺った。IMGP0758_R

市川 本日はよろしくお願いします。田中さんは、鷺宮商店街を中心に活躍されていますが、元々お生まれも鷺宮なのですか?

田中 そうです。昭和46年生まれで、両親が化粧品店、祖父が米屋をやっていました。お店は僕の代で止めてしまって、今は地元の先輩の不動産屋で働いています。

市川 昭和46年といったら万博を知らない世代ですね。

田中 知らないですね。以前の、東京オリンピックも体験していません。

市川 では、商店街でも若い世代としてご活躍のことと思います。それでも、鷺宮の街はだいぶ変わったと思うのですが、その変化をどんな風に感じていらっしゃいますか?

田中 敢えて悪い言い方をすれば活気がなくなりました。鷺宮商店街に携わって16年くらい経ちますが、後継者不在で昔ながらの商店が一軒二軒と止めています。僕も止めてしまったのですが、店を止めると街での活動自体も辞めてしまう方も増えて、コミュニティとしての繋がりが減ってしまう現実を16年間見て来ました。僕の父は79歳なのですが、70歳を過ぎると街での活動はさすがに難しく、とりわけその世代が元気だったものですから、彼らの引退に合わせて大きな波が引いた感じがしました。今の鷺宮商店街の青年部は約15名おります。その15名で街を何とか活性化したいと日々活動しています。

市川 中心になる商店街の若手のメンバーが減っている、と。

田中 そうですね。メンバーを増やすメドはなかなかないです。逆に、そのくらいの人数だとお互いに意見をまとめやすいという面もあります。人数が多いと割れてしまいますから。それ以外に、いざ何かやろうとういう時に協力してくれる大学生ボランティアや地域の方もいて、鷺宮商店街を盛り上げよう頑張っているのですが、結果を出すために何が正しいか見つけるのはなかなか難しいですね。

市川 それは正解がない問いですからね。

田中 最終的には地域の人が行って楽しい店や便利な店が揃わないと良くなったという実感はないのだと思います。しかしながら、僕らに実際できることは、まずは商店街に賑わいを持たせることです。そうして、鷺宮商店街を変えるには、市川さんを始めとした区の他のエリアの方と交流を持たせていただくのも、1つの重要なことだと思って、意識的に鷺宮の外にも出て活動するようにしています。

「商店街活性化」と一口に言っても、それは一朝一夕の話ではない。その為には最終的な成功の到達点を描くことと、今解決すべき課題に地道に活動に取り組む胆力が必要となる。後者の課題は、やはり後継者不足であり、ひいては個別商店ではなく商店街全体として活躍できる人材の不足であろう。そういった中で、積極的に地域外に足を運んで、知見を取り入れようとする田中さんには頭が下がる思いである。IMGP0348_R

市川 鷺宮商明会では、区商連が実施している「中野にぎわいフェスタ」にも参加されていますね。田中さんの役割はどういったものなのでしょう?

田中 「中野にぎわいフェスタ」では、今年から僕は鷺宮商明会ではなく、区商連の青年部長として関わっています。鷺宮商店街では『さぎプレ』という地域情報誌を年に3回発行したり、昨年からは「まちバル」も始めたりしています。4年前には”さぎプー”という商店街のキャラクターを作って、その着ぐるみと一緒に様々な場所でPR活動もしています。「中野にぎわいフェスタ」や成人式など区内のイベントにはよく出さていただいています。

市川 確かに、ここ数年でよく鷺宮商明会の名前を見るようになりましたね。

田中 “さぎプー”が生まれてからは外から声がかかることも増えました。昨年は東京都のイベントに出sagipooさせていただいたり、中野でも四季の都市(まち)にできた明治大学に呼んでいただいたりしました。

市川 キャラクターが他と交流するきっかけになっているのですね。

田中 そうですね。”サギプー”がきっかけになって、鷺宮のメンバーが中野駅周辺にも出てくる機会に恵まれました。

市川 交流といえば、2020年の東京オリンピックでは海外からたくさんの方が東京にやってきますね。商店街としても観光客取り込みの機会ですが、それを見据えて考えていることはありますか?

田中 鷺宮は外国の方が多い地域でもあります。先日、宮島さん中野区観光協会)と雑談中ですが、色んな商店街の外国語マップを早稲田大学の留学生らと一緒に作って、商店街が観光スポットになるような仕掛けができたらいいなというような話をしました。昔ながらの商店街というのは日本独特のもので、日本人にとっては珍しくなくても、外国人の方が見たら各商店街が全部違うアトラクションになるのだとか。

市川 商店街を一つの観光資源にするということですね。そうすると中野区にたくさんの観光資源ができますね。

田中 外国の方も言葉は分からないと身構えますが、中野区観光協会が外国語でマップを作ったよ!あれば、行ってみようと思う外国人も増えるはずです。ブロードウェイ商店街などでは既に対応できていますが、各商店街も努力して外国語の表示を作ったりして、商店だけではできないことを青年部で活動できたら素晴らしいと思います。もちろん、あくまで1つの案ですがね。

市川 役割分担をして、鷺宮や中野の良さをアピールしていくと。では、東京の他の街と比べて、中野の違いや魅力って何でしょうか?

田中 すごく感じるのは、人情深さ。粋で格好いい人たちが住んでいる町だと思いますね。かといって、浅草辺りとも違う。

市川 みんなそう言いますね(笑)。下町ではないけど人情深いと。

田中 よく言う、よそ者、若者というワードがありますけども、鷺宮でもそれ然りです。商店街組合の中心的なスタッフにも中野出身じゃない人がいます。もっとシティ的な、小洒落た街では一杯飲んだからと言って翌日から挨拶を交わす仲にはならないですよ。

市川 中野の中ではよく聞く話ですね。そういう舞台が用意されているのですよね。

中野区内には単位商店街や区商連以外にも、地域の活性化の為に活動している団体がいくつかあり、何度かこのシリーズにも登場していただいている中野区観光協会もその1つ。オリンピックを商店街活性化の契機と捉えて、しかし商店街だけでは難しい事業をそれらの団体と連携して行おうというのは、若手世代ならではの柔軟さと言えよう。人手不足は他団体との連携で補う。この視点は今後ますます重要になってくる。IMGP0702_R

市川 反対に、田中さんが感じられる中野の弱点はどこだと思いますか?

田中 賑わい作りのためのイベントなどでの話は多いですが、将来を見据えた話ができていないのが弱点というか欠点かもしれません。例えば商店街に携わっている者の観点から見れば、やはり商店街の衰退が止まってはいません。現実的には、なかなか街を盛り上げる答えや、僕らがよって立つべき土台がなく、手探りで出来ることをやっているというのが現状です。16年携わってもやはり街を良い方向に変えられているという自信はまだありません。先輩方の声も聴きながら、地元にだけいたのではこの答えは出ないと思いますので、こういう機会を通じて色んな方と話して、勉強する事で新たな道を見出したいと思います。

改めてこうして話をすると様々な意見があるのがわかって、鷺宮商店街のメンバー間でも次はどういうイベントをやろうかという話にはなるものの、街自体をどうしていきたいかというディスカッションには欠けていたと感じます。

市川 中心メンバーの方々の悩みは尽きないとお察しします。

田中 鷺宮商店街だけでなく、区商連の青年部長になった今の悩みは、将来の青年部メンバーが数人しかいないことです。そのせいで、中野にはたくさんの商店街がありますが、その横の連携がなかなか取れてないのが現状です。僕としては、各商店街の若手同士でコミュニケーションが取れる会にもう一度戻さなければいけないと思っています。

法人会青年部や、東京商工会議所中野支部の若手が集まる21の会にも横並びで呼ばれるのですが、組織としては商店街の方が資金もあり、裾野のメンバーも多いはずなのですが、みんな商店の仕事をして、地元商店街の仕事をして、その先に更に区商連の…となると、なかなかそこまでは手が回らないというのも分かってはいるのですが、商店街の若手として中野区の中で活動できるとか、区商連青年部に出てきたことで色んな方とお会いして成長できたと思っているので、そういったメンバーを少しでも増やしたいなと思っています。

市川 商工会議所や法人会、観光協会など様々な経済団体がありますでしょ。その中で中野区民の意識を一番キャッチできているのは区商連ですよ。元々街に根を張っているわけですから。そこが経営者が集まっている団体と商店主が集まっている団体の違いです。ぜひ、そういった組織の人が中心的なメンバーになって頑張って欲しいですね。何か、中野区や区議会が力になれることはあるでしょうか?

田中 中野区は行政主導で色々なことを決めたり、動かしたり、作ったりすることが多いですが、民間は民間で中野を盛り上げようという機運があり、区長を中心に中野駅周辺を再開発しようというのとはまた違ったベクトルであるような気がします。

例えば、昨年10月~11月は区が開催するもの、民間が開催するものが入り乱れて、毎週のように中野駅前でイベントが開催されましたが、中野区が何をどう盛り上げたいかということとのコミュニケーションは十分とは言えません。内情は色々あるのでしょうが、中野を盛り上げたいという同じ思いがあるわけですから、もうちょっと手を取り合えないものかと。企画にしても、予算組にしても、もう少し柔軟に構えていただいて、一緒に盛り上げていただけたらと思います。

田中さんがたびたび口にする横のつながりの強化。そして、連携といえば世代間を繋ぐ縦の連携、そして民間と行政との連携も欠かせない。人こそが魅力といえる中野にあって、立体的な人の繋がりできて、若い世代が活躍できる土台として機能した時こそ、新たな中野の商店街文化が花開く。そのことを我々は肝に銘じておくべきである。IMGP0656_R

市川 鷺宮は田中さんの故郷でありますが、鷺宮の街やひいては中野の街がこうなったら良いなと思うことはありますか?

田中 西武新宿線を新井薬師から地下化する計画が決定されましたが、先に高架化された池袋線は沿線の価値が上がって、街の評価自体も上昇しました。新宿線沿線もゆくゆくはそうなって欲しいと思いますね。

市川 沿線には街、文化ができますから、沿線単位での活性化というのは大事な視点ですね。

田中 はい。その一方で、沿線だけでなく、鷺宮は「中野の中の鷺宮」だと思っていますので、皆さんがお持ちの中野の良さ、例えば親しみやすいことや都心に近いのに都会っぽくないこと、そういう中野ならではの良さもまた大事にして良いのではないかと思っています。

中野駅周辺は再開発があり、「シティ」的な街にこれから生まれ変わって行くことが想像できます。その時に、鷺宮にもビルもばんばん建てたいかというと、そういうことはなくて、昔と変わらず人の輪もあってコミュニティもある、中野らしい街でありたいです。住んでいる人たちのコミュニティがしっかりあって、理想としてはその中に商店街があって、近所の人と顔をみて会話ができるような街になれば良いなと思います。

市川 今おっしゃられた鷺宮の良さ、コミュニティというのは、住宅街としての魅力ということでしょうか?

田中 そうです。ご近所付き合いがあって、その中に商店があって。僕らにできるのはそういう街づくりではないかと思います。

市川 それにはコミュニケーションの場となる商店街がかなり頑張らないといけませんね。

田中 そう思いますね。地元だけでもやもやしていると挫けそうになってしまうので、地方の商店街を視察に行く機会もあります。苦戦しながらも知恵を出して頑張っている姿を見ると、もうちょっと頑張れるんじゃないかなと勇気づけられます。

市川 視察に行くとたくさん刺激を受けられるのはよく分かります。

田中 しょっちゅう行くことはできないものの、全国商店街振興組合連合会という組織の全国大会が夏にありまして、スケジュールが合えば参加するようにしています。昨年は松山に行って、様々な商店街やアーケード、温泉街の取り組みを見たり、向こうの青年部とコミュニケーションを取ったりして、刺激を受けました。

市川 私は中野駅周辺ばかりが良くなっても仕方ないのだという旨の発言をよくするんです。当然、中野駅周辺の開発は重要です。しかし、先に山手通りの再開発がされた中野坂上は都心の中央環状線が完成して、羽田までのアクセスが良くなりました。東中野駅前も広場ができて、タワーマンションが建ちました。

次に、西武新宿線に目を向けると、鷺宮駅は西武新宿線の中でも急行が止まる主要駅です。そういう主要駅、例えば鷺宮駅、野方駅、東中野駅、中野坂上駅、そして中野駅の5駅くらいを街の核として、今は中野駅周辺に集中していることの中で、何がそうなるかは分からないけれども、そういう中心になる街の街づくりに活かせることがあるだろうと。

今挙げた東中野、野方、鷺宮は区議会でも特別委員会を作って駅を中心にした街づくりを検討しました。鷺宮にも重きを置いているわけです。それはなぜかというと、我々中野駅周辺から見たら、鷺宮という響きがやはり山の手の街みたいに感じるんです。勝手な見方かもしれませんが、鷺宮には大衆的なだけではない、ちょっと高尚な文化を感じるんです。自由が丘やひばりが丘のような街づくりをしたら、鷺宮は発展するのではないかなというのが私のイメージです。

田中さんたちが思っているものの中に、先ほどおっしゃった親しみやすく、都心なのに近い昔と変わらない町をもう一度再建したいという思いがありましたけれど、そういったことの中にも、基本コンセプトみたいのを作ると良いと思いますよ。

田中 商店街でもやっぱり僕らが動かなきゃいけないはずです。でも、地域をどうするかなどの街づくりに関わる会合には、まだ僕らの父親世代が集まっているのが現実です。野方の踏切問題の解消の集まりにも行きましたが、市川さんよりもっと上の世代が一生懸命に話し合いをされていました。将来を決めるのであれば、僕ら現役世代がそこに入って、僕らがどうしたいのか、将来子供を住ませたい街がどうかを発言する必要があります。僕らは商店街が中心に集まっているメンバーですが、地域コミュニティとして、街を変えるための中心メンバーでありたいと思いますね。

市川 中野は商店街と共に街が発展してきました。取り立てて、大企業があるわけじゃないし、町工場があるわけでもない。やっぱり商店街ですよ。私はね、中野の地名の中で鷺宮が一番好きなの。鷺という縁起のいい鳥とお宮の宮が入っているなんて、とても格好いいじゃないですか!IMGP0816_R

中野に限らず、商店街の活性化は難しく、しかし非常に重要な、まさに地方創世の要ともいえる課題である。しかし、後継者不足から当事者が高齢化し、それが更なる活力の減退に繋がっている面は否めない。若い人に活躍の場を!と思いつつも、無意識に任せきれていない面も無いとは言い切れない。そういった中に於いて、田中さんの肩に背負って立つ気概を見せてくれる青年は貴重な存在だ。ぜひ、そういった若手のネットワークを築いて中野を盛り上げていって欲しいと期待するばかりである。

次回も、そんな田中さんから紹介いただいた商店街の若手にご登場いただけることが決まっているので、どんな話が伺えるのか、ご期待いただきたい。

 


【過去のシリーズ】
その10:杉山司(中野経済新聞 編集長)
その9:深井弘之(株式会社ナカノF / 中野区観光協会 事務局長)
その8:谷津かおり(株式会社オフィスエル・アール代表取締役/中野21の会会長)
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]