商店街のヒット企画『まちバル』の立役者が抱く中野の魅力と再開発後への想い【中野のキーマン100人に会う その12】山本祥三(株式会社広島屋/中野区観光協会)

様々なイベントに追われてしばらく間が空いてしまい「次はどなたですか?」と質問されることも多かった本シリーズ。久しぶりの再開には鷺宮商明会商店街の田中章夫さんからご紹介いただいた、山本祥三さんにご登場願った。若くして飲食の現場からたたき上げ、長らく中野のお酒の卸として有名な広島屋に勤務しつつ、商店街切手の若手としてリーダーシップを発揮してきた山本さん。これまでにご登場いただいた中でもとりわけ現場に近い視点から、中野に対する様々な想いを伺った。@IMGP1538_R

市川 山本さんは、中野のお生まれで、今でも中野で活躍していらっしゃる。

山本 1976年の生まれで、小さいころは桃園小学校の裏手に住んでいました。高校受験はせず、服部栄養専門学校に行って調理師免許を取得して、飲食業界に入りたくて四谷にある福田屋という料亭でしばらく務めました。

市川 なるほど。中野で働くようになった経緯はどのようなものですか?

山本 福田屋に納品に来ていた酒屋さんの方に仲良くしていただいていました。当初は料理人になりたかったのですが、酒屋さんなら飲食店の方とも話をしながら楽しく仕事ができるのではないかと思って、転職の際に広島屋にアルバイトとして入社しました。

市川 それがまだ16歳の時というのだから、驚きです。それ以来ずっと広島屋さんに?

山本 そうです。社長も社長の奥様もとてもかわいがって下さったので、ここで頑張ってみようと思って22年、広島屋で育てて貰いました。

市川 なるほど。そういったご経験からなのか、山本さんからは現場主義の魂を感じます。明治維新で富国強兵政策をとった当時の教育の中には「五育」というものがあったそうですね。知育、体育、徳育、食育、才育の1つで、中でも才育を重視したそうですよ。これはつまり「手に職」を付けることで、いわゆる職業専門学校のことです。それ以前は徒弟制度があり親方に師事して手に職を付けました。それを専門学校、職業訓練校を作って育てようというのでとても重要視されていたそうですよ。今の山本さんのお話を聞いて、才育の話を思い出しました。

若くして現場に入った山本さんは、お酒の卸を中心に中野区内の数多くのかかわりを持つ広島屋に入社し、そこで半生を過ごされている。その中で培った経験や人の縁から徐々に商店街での活動にも存在感を発揮するようになる。中でも、区内のキーマンとして彼の名前が知られるようになった「まちバル」について伺った。@IMGP0894_R

市川 そうして中野に根付いた山本さんは、今や商店街で大活躍されていますね。今、力を入れていることはどんなことでしょうか?

山本 今は「まちバル」の実行委員長という大役を仰せつかっています。

市川 「まちバル」は最近よく聞くキーワードですね。まず、この「まちバル」というのがどういう企画かご説明いただけますか?

山本 「まちバル」は、お客様にまず先に飲食店で使える4~5枚の綴りのチケットを買っていただいて、それを持ってお店にいくとドリンクやフードの1品と交換できるという企画です。チケットは1枚7~800円くらいの金額で、複数の店舗で使用できる為、参加者はついはしご酒をしたくなります。

市川 チケット1綴りが5000円以内で収まるようになっているわけですね。お酒を飲む人の心理として一杯飲むと二杯飲みたくなりますね。そして、二杯飲むと三杯飲まないとキリが良くないみたいな気分になり…

山本 おっしゃる通りです。普段から気になっていても入る機会の無かった店にも足を延ばしたり、入店の敷居を下げることになります。1日4軒回ると、居酒屋、BAR、小料理屋におしゃれなスペイン系のお店なんかにも行けて、この街は面白いなあと思ってもらえる。

市川 気軽に入れることで、新しい馴染みのお客さんが増えるかもしれない。

山本 以前に鷺宮で開催した時は、不運にも2日間の開催日の両日ともが雨天だったにも関わらず、お店を予約された方はほぼ全員いらっしゃったそうです。お酒の力は凄いんだなというのを改めて実感しました。

市川 中野では、中野南口駅前商店街会長の吉田さん始められたそうですが、その後、どういった経緯で山本さんが実働されるようになったのでしょう?

山本 広島屋の専務も飲食業を盛り上げるために何ができるか常々考えており、情報を集める中で「まちバル」という企画を知りました。ちょうどその頃、中野区観光協会が立ち上がって区内のマップ作りをするというのでお手伝いしました。吉田さんが音頭を取られて一緒にマップ作りをしていた時に、ちょうど僕らのバルイベントをやりたくて、吉田さんもバルイベントがきる人を探していたので「じゃあ、やりましょう」と。

市川 「まちバル」は色々な商店街で開催されていますね。中野区内ではどれくらいの規模や頻度でやっているのでしょうか?

山本 今年は4月に鍋横商店街、5月に中野駅南口商店街、6月に鷺宮商明会と毎月開催されています。他の商店街でもやりたいという声がありながらも、スタッフ不足などの問題で実現に至らなかった場所もあります。僕たちの目標としては、中野にある10ブロックの商店街全てで開催して、区内を巡回していくようなバルイベントにしていきたいです。

市川 「まちバル」がこれだけ開催されている、魅力的とは何でしょうか?

山本 今まで飲食店が主役になる商店街のイベントってあまり多くありませんでした。鷺宮商明会の田中章夫さんにも言われていたのですが、どこかにステージを設けて集客した場所に露店を出して間接的にPRすることはあっても、飲食店に呼び込む企画は無かった。だから「まちバル」は飲食店からの評判が良いです。

「町おこし」や「にぎわい創出」として催される企画、イベントは数多い。しかし、その多くが街の中心地に大勢の人を集めることを目的としており、来街者が個別の店舗にまで足を延ばすかどうかは商店街や個々のお店の自助努力に任せられる。そういった中で、「まちバル」は店が主役となり、来街者=来店者となる。飲食店こそが街の魅力ともいえるここ中野において、この差は非常に大きい。「お酒」で店と繋がった山本さんにとって、「お酒」で店と新たなお客さんを繋げるという発想も自然なものだったのだろう。@IMGP0824_R

市川 山本さんは中野のいろんなお店にお酒を卸す仕事を長くされている訳ですが、そんな山本さんの目から見たお勧めの店や、注目している場所はありますか?

山本 1つ挙げるとしたら洋風のお店が増えてきたレンガ坂でしょうか。レンガ坂の登場で、中野駅の北側は昔ながらの飲み屋街で、南側の方が若干単価は上がるけれど、おしゃれな洋風なお店という住み分けができてきました。通りを歩いていたお勤めの方が「ここは給料日に来るところだよね」と仰っていたくらいには、イメージができているようですね。

市川 中野駅の北と南では少し文化の違いがあって、北は少し荒っぽいけど人情がある、南は同じ人情でも上品な感じがしますね。それには街の成り立ちも関係があると私は思っています。

今から50年近く前に公社住宅ができて、入居したのはみんなホワイトカラーでした。中央線に乗って丸の内に勤めている様な方々ですね。そういう所の姉弟が線路の南側の桃ケ丘小学校に通っていた訳ですが、学校の周辺には銀行の社宅や警察の官舎があって、こちらも生活レベルの高い人たちが多かった。

私が生まれ育った北口はというと、飲食店街でバーやスナックも多く、2階が住まいになっていて1階のお店で親がお客さんの相手をしているというような家庭も多かった。そこの子たちも桃ケ丘小学校に通っていたので、全然違う生活をしている子供たちが一緒になっていました。狭いエリアに色んな文化が同居している中野を象徴しているようでした。私も、友だちの誕生日会で家に行った時にリビングとダイニングが分かれていたり、紅茶とケーキが出てきたりと言うのが珍しくて、「全然ウチと違うな~!」と驚いたのを覚えています(笑)。

山本 中央線沿いの街並みを見ていると、どこもだんだん似てきているように感じます。だからこそ、中野はそうなって欲しくないということがまずあります。駅周辺の再開発が控えており、もちろん開発されて便利になるのは良いことです。ただ、街は一度壊してしまうと、綺麗な建物は作れても、同じ歴史は二度と作れません。例えば、中野サンプラザを壊すのは仕方ないことですが、建物が新しくなっても、中野サンプラザの歴史の中にあった何かを残して欲しいと思います。

市川 それは中野らしさというものでしょうか?

山本 そうですね。僕らも、育ってきて中野が好きという思いがあるので、ありきたりな街にはなって欲しくないですね。

狭い空間に様々な文化が同居しているのは中野駅周辺の大きな特徴である。また、電車で一駅のところには巨大なビジネス街、繁華街を有する新宿があり。大規模再開発の真っ只中にある中野にとってこれらの地理的条件は今後ますます重要になってくる。その中で中野が個性を発揮すべき「らしさ」について、ここでも山本さんの希望はやはり現場目線からであった。@IMGP1260_R

市川 一つの切り口として、先に開発が完了した四季の都市の施設ができて昼間の人口が2万人増えました。将来的には5万人になると推計されています。ただ、どれだけ人が増えてもそれを受け入れる街のキャパシティには限界があります。実際、「ランチ難民」という言葉が、施設が稼働しはじめてすぐに出てきました。

新しい施設ができたら、飲食は施設内に開業したお店と街に元からあるお店で回すしか方法がありません。特に中野は繁華街から一つ筋を入るだけで高級住宅街になっているという特性もあって、容易に飲食店の数を増やせません。決められたゾーンの中での受け入れられるキャパシティは限界があるので、どんなに大きな施設を作っても、それが全て中野の街の消費に繋げられるかと言ったら、僕は少し疑問に思います。

山本 確かに受け皿は足りていないと思います。飲食に関していえば、空きが出た不動産には軒並み飲食店入るくらいですが、何千という人数を捌けるほどではありません。「あの床屋さんが飲み屋さんになったよね」とか、まだそういうレベルです。

市川 観光協会がマップ作りをしている中でもランチマップを作って少し離れていてまだ知られていないお店に少しでも誘客できるようにしようとしている。しかし、それでも入り切らないそうです。やはり人が2万人増えても店舗数が同じだけ増えている訳ではないですから。ですから、新しい施設を作れば、その分だけ人が溢れることになるでしょう。

昼間人口を増やすのは消費を喚起して街の経済活性化に繋がるとみんな口々に言うけれど、私は本当に中野の街がそれだけのキャパシティをもっているのかなといつも思っています。ちゃんと街の身の丈に合ったものを作って、それがうまく機能することが良いことだと思います。

山本 私も新宿や渋谷に正面からぶつかるのが正解じゃないと思っているので、自分たちの良さを際立たせる「中野ってこういう街だよね!」というのをもっと色濃くした方が街の魅力は更に上がると思います。

中野は昔ながらの飲食店などがひしめく北口や、雰囲気の異なるレンガ坂をはじめとする南口の商店街がとても魅力的です。そういった味わいを残しながら開発していかないと、お隣のもっと大きな街に全部持っていかれてしまいます。今の中野にはせっかく際立った魅力があるので、そこを維持しながら開発をしていかないといけないと思いますよね。

市川 中野のすぐ隣には新宿、渋谷、池袋といった大繁華街があって、そこにはキャパシティでは太刀打ちできないですよね。当然、そのことも考えて、相応しいものを作っていかないといけませんね。 

中野にあって他にないものは何か。シンプルであるが見落としがちな視点である。近隣に大繁華街が存在する中野は、いくらそれ単体が魅力的であっても、近隣都市との比較無しに判断することはできない。それが新宿、渋谷、池袋などにもある当たり前な魅力の縮小再生産では活性化として意味をなさない。ましては、街のキャパシティを無視した拡大も意味はない。街に合った、しかし誰もがうらやむ魅力を見出す力こそが、今後の若きリーダーの資質といえるだろう。@IMGP1144_R

市川 2020年の東京オリンピックに向けて、色んな地域が準備を始めています。中野区観光協会などでもそれは視野に入れているようです。山本さんの周囲でもオリンピックに向けた具体的な話は出ていますか?

山本 まだ出ていませんね。インバウンド対応として多言語化をどうにか進めようと話はしていますが、それくらいです。挙がっている懸案には目を向けていますが、まだ現実的に取り組むまでには、煮詰まっていません。

市川 元々、中野は観光都市ではありません。美味しい食べ物屋さんが点在していて、会社帰りに一杯やって帰るというような人たちを相手にしていた中野の飲食店が中心ですから、情報も整っていない。外国人観光客用のガイドマップの中に「NAKANO」として紹介されるページもありますよね。そこにそういった街並みが出てきたり、中野ブロードウェイが紹介されたりしますよね。だけれど、わざわざ観光バスで来てみるような場所ではない。

山本 やはり浅草寺には勝てません。僕が思うに、中野では北口の飲み屋街が一番強いコンテンツです。もちろん歌舞伎町にも飲み屋はたくさんありますが、横丁的な昔ながらの店があれだけの規模で広がっている街は他にはありません。

市川 中野ブロードウェイが今はオタク系文化が詰まっているから、秋葉原にも行くようなお客さんの流れは確かにあります。しかし、もっと大きな層を見てみると、中野の街に求められているのは北口の昭和っぽい居酒屋やちょっと洒落た南口のレンガ坂のような街並みというのが中野らしさを生み出しているのかなと思います。

山本 里まち連携で提携している産地の自治体も、中野ならもっと売れるのではないかと力を入れてくれます。他の地域から見ても中野はそういうポテンシャルが見えているのだと思います。“古き良きもの”は他がやろうと思っても何十年もかからないとできないものなので、これは既に1つの武器です。

四季の都市もキリンやクリタ工業といった大企業が入居するオフィスビルにしては中野らしいアットホームな雰囲気があります。ベビーカーを押している人がオフィスビルのエントランスを歩いているなど、他では絶対にない風景を見ることができます。どう作ったと思っても、庶民的な方に流れていくんだと思うんです(笑)。 

市川 話が戻るようだけど、だから、中野サンプラザと区役所の一体整備というのは、大きな哀愁があってサンプラザを壊さないで欲しいという人も多いですよね。もし立て替えるならあの三角形を残して欲しいという人も多い。けれども、この限られた2ヘクタールの中でやりくりを考えるのだから現実的なことを見ていかなくてはならない。

山本 そうですね。例えば、サンプラザだと、僕はホールを残して欲しいと思っています。三角形って面白いですが、床面積の構造上が無理だと思うんです。ですから、ライブの思い出を持っている人がすごくたくさんいるホールは今のままで、「ビルは変わったけれど、ここはサンプラザだ」と思えるような赤い階段があるあの感じを再現して欲しいですね。

市川 再開発法という法律の改正があって、従前の建物で歴史的、文化的価値のあるものを保存することが可能になってきました。その事例として、金沢の近江市場の再開発があります。近江市場の雑然としたエリア内に有名な建築家が設計した古い銀行の建物があって、これは絶対に残したいと市民からの要望がありました。再開発後の新しい施設の建設予定地がこの銀行と位置が被ってしまって、このままで着手できないというので、銀行を曳家で移動させることで、古い銀行を街並の中に入れ込んだ景観を実現しました。

山本 そういう事例こそ参考にして欲しいですね。きれいに建て替わってしまうのであれば、何か歴史を残して欲しい。中野のシンボルというか、皆さんの思い出の中に残ってるものなので、それが綺麗さっぱりなくなってしまうのはもったいないと思います。

中野の魅力は中野駅北口の飲み屋街やサンプラザに象徴される歴史にあり。これは本シリーズにご登場いただいた方の多くが口にすることだ。しかし、若く、現場に根差した活動をする山本さんにとってそれは単なるノスタルジーではなく、これから中野がどうあるべきかを考える時の1つの武器なのである。馴染みのものがなくなるのは寂しいから…ではなく、攻めの姿勢で、形にこだわらず、しかし、強みを残すべきである。@IMGP1561_R

市川 最後に、区や議会に求めるもの、望むものはありますか?

山本 18歳の選挙権が始まり、若い人たちの意見も大事になってくる中で、議会や行政に声を届けることは、まだ一般区民からは敷居が高く映っていると感じます。一般区民の人たちと触れ合い、「こうすれば政治に参加できるのだ」ということを分かり易く発信して、堅苦しい場所ではないことが伝わって欲しいです。議会や行政にも面白い人がいっぱいいるし、多くの方が思っているような9時から5時の仕事だけをしている所ではない。色んな方に会って話をすると、そのギャップがすごくもどかしく感じます。

市川 これは私たち側の努力でしょうね。中野区の努力でもある。

山本 僕ら受け手側も、率先してそういう場に出ていく仕組みが必要だと思います。若い人たちに選挙権が移るほど、もっと楽しいことがその子たちにはあるわけじゃないですか。

市川 今は年配の人の方に向けた政治がされている状況があります。それは何故かというと、その人たちは間違いなく投票に行ってくれるからです。若い人たちの投票率が下がれば、そういった向きの政策はどんどん少なくなってしまいますよね。

山本 今はまだそれで良いかもしれないですが10年、20年経った時に、それまで蔑ろにされていた若い人たちが選挙に行こうと本当に思うのでしょうか。その時の日本はどうなるのだろうかと心配に思います。

自分たちが選挙にもっと積極敵に関わらなければと思っていた人ならば、親になったら子供たちに「選挙は必ず行くものだ」と伝えていってくれるはずです。だから、何十年先の子供たちが、僕らの世代になった時を考えていかないといけないと思うんです。その時、投票率が更に落ちていたら、その人たちの意識はもう変わらないですよ。

政治に不満を持っている人たちは、なかなか興味を持つところまでいきません。興味を持つきっかけがあった人たちが、年配になるまで興味を維持して行けるようなコミュニケーションをして欲しいです。僕らも伝えていく世代になってきているので、そういうことに積極手に関わっていきたいと思います。

市川 ちょうど山本さんたち40代の人たちが中間層として、20代・30代と50代・60代の繋ぎ役になりますね。どちらとも話ができる位置に、山本さんが今いらっしゃるのはとても心強いことだと思います。

山本 私たちが率先して動いていきたいですし、いろんな区民がコミュニケーションを取れるような場を作りたいですね。

市川 一緒に努力しましょう。同じ党で若い出井君たちも頑張っています。彼のような議員が、彼だけでなく、もっとたくさん出て欲しいとも思っています。やはり世代が離れてしまうとできない話もありますから、若い政治家と山本さんのような人たちとが、距離を縮めていくというのはとても大事なことだと思うです。その為の努力を、私もしたいと思います。

今は良くても、それでは何十年か先になると本当に政治に参加@IMGP1673_Rしようとする人が居なくなってしまう。それはごもっともであり、我々が忘れてはならない意見である。そうならないように、行政や議会の側も、そして区民の側も若手が手を取り合う機会を増やさなければならない。その為の努力を、私たち年配者もするべきであろう。 

山本さんのお話からは、現場に即した、綺麗ごとだけではない故の力を感じることができた。物事には理想と現実がある。理想を忘れては事を成す意味を見失うことになってしますが、さりとて現実を置き去りにしては絵空事に終わってしまう。その間をとる優れたバランス感覚を、山本さんはお持ちのように感じた。現場で培った嗅覚と実行力で、これからの中野を率いる若者の代表として益々のご活躍を期待したい。


 

【過去のシリーズ】
その11:田中章夫(鷺宮商明会商店街/中野区商店街連合会)
その10:杉山司(中野経済新聞 編集長)
その9:深井弘之(株式会社ナカノF / 中野区観光協会 事務局長)
その8:谷津かおり(株式会社オフィスエル・アール代表取締役/中野21の会会長)
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]


視察報告(防災編)【10年後を準備する、新たな技術と価値の創造を目指して。清水建設建設技術研究所、本社ビル】

20160427_125751創業200年を超える清水建設。その中に構える技術研究所http://www.shimz.co.jp/theme/sit/は1944年(昭和19年)戦時中に設置され、わが国の建設技術の進歩に大きな役割を果した。今回は越中島にある技術研究所を視察する機会を得ることが出来たことは誠にラッキーとしかいいようがなかった。ともかく、世界最先端の建設技術の粋を集約した施設なので一年中視察者来訪の連続なのである。その中にあって予てより視察申し込みをしていたところ、幸運にもキャンセルが発生し視察に至った次第である。

20160427_124952様々な研究棟が立ち並び研究所であるが、何と言ってもここの目玉は昨年4月始動した『先端地震防災研究棟』である。研究所の資料によれば、「ソフト技術(リスクを知る)、ハード技術(リスクに備える)、スキル向上(地震発生後の対応)、の3つの視点から「ワンランク上のBCP」を目指す研究開発の拠点です」と位置づけている防災研究棟なのである。また、世界屈指の性能を誇る大型振動台「E-Beetle」と大振幅振動台「E-Spider」を備え、地震の実験•計測や解析を一体的に推進してる。

早速振動台にヘルメットを被り様々詳細な諸注意を受けてチャレンジ。24階の高層ビルを震度5強の地震が発生した時の揺れを想定し体験させていただいたが、筆舌に尽くし難い揺れが暫く続き、地震がおさまった後も免震構造が齎す揺れが10分程度続く状態は、大海原の中で嵐に遭遇した大型船が揺れている感覚にほぼ近いもの(遊園地アトラクションのバイキング状態)があった。3•11東日本震災時に東京の震度が5強。あの強い揺れの中、タワーマンションの我が家に居合わせた息子から聞かされた揺れの恐怖に納得した次第。

清水本社斜め研究所内の視察を終えた後は中央区京橋に構える清水建設本社ビルhttp://www.shimz.info/HQoffice/。4年前に竣工した超近代化されたハイブリッドビル。特に職場環境面への配慮は他の追随を許さず、自然エネルギー発電装置、空調システム、照明ルクス等のプログラミングは勿論のこと、本社ビルの熱エネルギーを供給しているエリア内のエリアマネジメント(京橋スマートエリア協議会)等、地域を包含した配慮も怠りない。また、ハード面でも免震構造装置やオイルダンパー装置の設置による地震発生時の揺れの吸収。2階にある600名収容(本社ビル内就業者2000名)のレストランに大災害発生時の災害対策本部機能設置や帰宅困難者対策等々、これまたわが国最先端のハイブリッドビルの防災面での地域貢献を目の当たりにした次第。

終わりに、意義深い視察を受け入れて下さった清水建設本社関係各位に感謝の意を表す次第です。


鷺宮の魅力を広める若きリーダー。商店街の若手が抱える課題とは?【中野のキーマン100人に会う その11】田中章生(鷺宮商明会商店街/中野区商店街連合会)

前回、「中野経済新聞」の杉山さんからご紹介いただいたのは、同世代で働き盛り、鷺宮商明会商店街を中心に中野区商店街連合会(区商連)でも活躍する田中章生さん。生まれも育ちも鷺宮というこれからの商店街を牽引するホープである。数多ある中野の商店街を、戦後の復興期に立ち上げた世代から、バトンを受け継いで再活性化させるという、中野に限らない全国的なテーマに正面から取り組み、精力的に活動する田中さんから、区内の商店街のリアルな話を伺った。IMGP0758_R

市川 本日はよろしくお願いします。田中さんは、鷺宮商店街を中心に活躍されていますが、元々お生まれも鷺宮なのですか?

田中 そうです。昭和46年生まれで、両親が化粧品店、祖父が米屋をやっていました。お店は僕の代で止めてしまって、今は地元の先輩の不動産屋で働いています。

市川 昭和46年といったら万博を知らない世代ですね。

田中 知らないですね。以前の、東京オリンピックも体験していません。

市川 では、商店街でも若い世代としてご活躍のことと思います。それでも、鷺宮の街はだいぶ変わったと思うのですが、その変化をどんな風に感じていらっしゃいますか?

田中 敢えて悪い言い方をすれば活気がなくなりました。鷺宮商店街に携わって16年くらい経ちますが、後継者不在で昔ながらの商店が一軒二軒と止めています。僕も止めてしまったのですが、店を止めると街での活動自体も辞めてしまう方も増えて、コミュニティとしての繋がりが減ってしまう現実を16年間見て来ました。僕の父は79歳なのですが、70歳を過ぎると街での活動はさすがに難しく、とりわけその世代が元気だったものですから、彼らの引退に合わせて大きな波が引いた感じがしました。今の鷺宮商店街の青年部は約15名おります。その15名で街を何とか活性化したいと日々活動しています。

市川 中心になる商店街の若手のメンバーが減っている、と。

田中 そうですね。メンバーを増やすメドはなかなかないです。逆に、そのくらいの人数だとお互いに意見をまとめやすいという面もあります。人数が多いと割れてしまいますから。それ以外に、いざ何かやろうとういう時に協力してくれる大学生ボランティアや地域の方もいて、鷺宮商店街を盛り上げよう頑張っているのですが、結果を出すために何が正しいか見つけるのはなかなか難しいですね。

市川 それは正解がない問いですからね。

田中 最終的には地域の人が行って楽しい店や便利な店が揃わないと良くなったという実感はないのだと思います。しかしながら、僕らに実際できることは、まずは商店街に賑わいを持たせることです。そうして、鷺宮商店街を変えるには、市川さんを始めとした区の他のエリアの方と交流を持たせていただくのも、1つの重要なことだと思って、意識的に鷺宮の外にも出て活動するようにしています。

「商店街活性化」と一口に言っても、それは一朝一夕の話ではない。その為には最終的な成功の到達点を描くことと、今解決すべき課題に地道に活動に取り組む胆力が必要となる。後者の課題は、やはり後継者不足であり、ひいては個別商店ではなく商店街全体として活躍できる人材の不足であろう。そういった中で、積極的に地域外に足を運んで、知見を取り入れようとする田中さんには頭が下がる思いである。IMGP0348_R

市川 鷺宮商明会では、区商連が実施している「中野にぎわいフェスタ」にも参加されていますね。田中さんの役割はどういったものなのでしょう?

田中 「中野にぎわいフェスタ」では、今年から僕は鷺宮商明会ではなく、区商連の青年部長として関わっています。鷺宮商店街では『さぎプレ』という地域情報誌を年に3回発行したり、昨年からは「まちバル」も始めたりしています。4年前には”さぎプー”という商店街のキャラクターを作って、その着ぐるみと一緒に様々な場所でPR活動もしています。「中野にぎわいフェスタ」や成人式など区内のイベントにはよく出さていただいています。

市川 確かに、ここ数年でよく鷺宮商明会の名前を見るようになりましたね。

田中 “さぎプー”が生まれてからは外から声がかかることも増えました。昨年は東京都のイベントに出sagipooさせていただいたり、中野でも四季の都市(まち)にできた明治大学に呼んでいただいたりしました。

市川 キャラクターが他と交流するきっかけになっているのですね。

田中 そうですね。”サギプー”がきっかけになって、鷺宮のメンバーが中野駅周辺にも出てくる機会に恵まれました。

市川 交流といえば、2020年の東京オリンピックでは海外からたくさんの方が東京にやってきますね。商店街としても観光客取り込みの機会ですが、それを見据えて考えていることはありますか?

田中 鷺宮は外国の方が多い地域でもあります。先日、宮島さん中野区観光協会)と雑談中ですが、色んな商店街の外国語マップを早稲田大学の留学生らと一緒に作って、商店街が観光スポットになるような仕掛けができたらいいなというような話をしました。昔ながらの商店街というのは日本独特のもので、日本人にとっては珍しくなくても、外国人の方が見たら各商店街が全部違うアトラクションになるのだとか。

市川 商店街を一つの観光資源にするということですね。そうすると中野区にたくさんの観光資源ができますね。

田中 外国の方も言葉は分からないと身構えますが、中野区観光協会が外国語でマップを作ったよ!あれば、行ってみようと思う外国人も増えるはずです。ブロードウェイ商店街などでは既に対応できていますが、各商店街も努力して外国語の表示を作ったりして、商店だけではできないことを青年部で活動できたら素晴らしいと思います。もちろん、あくまで1つの案ですがね。

市川 役割分担をして、鷺宮や中野の良さをアピールしていくと。では、東京の他の街と比べて、中野の違いや魅力って何でしょうか?

田中 すごく感じるのは、人情深さ。粋で格好いい人たちが住んでいる町だと思いますね。かといって、浅草辺りとも違う。

市川 みんなそう言いますね(笑)。下町ではないけど人情深いと。

田中 よく言う、よそ者、若者というワードがありますけども、鷺宮でもそれ然りです。商店街組合の中心的なスタッフにも中野出身じゃない人がいます。もっとシティ的な、小洒落た街では一杯飲んだからと言って翌日から挨拶を交わす仲にはならないですよ。

市川 中野の中ではよく聞く話ですね。そういう舞台が用意されているのですよね。

中野区内には単位商店街や区商連以外にも、地域の活性化の為に活動している団体がいくつかあり、何度かこのシリーズにも登場していただいている中野区観光協会もその1つ。オリンピックを商店街活性化の契機と捉えて、しかし商店街だけでは難しい事業をそれらの団体と連携して行おうというのは、若手世代ならではの柔軟さと言えよう。人手不足は他団体との連携で補う。この視点は今後ますます重要になってくる。IMGP0702_R

市川 反対に、田中さんが感じられる中野の弱点はどこだと思いますか?

田中 賑わい作りのためのイベントなどでの話は多いですが、将来を見据えた話ができていないのが弱点というか欠点かもしれません。例えば商店街に携わっている者の観点から見れば、やはり商店街の衰退が止まってはいません。現実的には、なかなか街を盛り上げる答えや、僕らがよって立つべき土台がなく、手探りで出来ることをやっているというのが現状です。16年携わってもやはり街を良い方向に変えられているという自信はまだありません。先輩方の声も聴きながら、地元にだけいたのではこの答えは出ないと思いますので、こういう機会を通じて色んな方と話して、勉強する事で新たな道を見出したいと思います。

改めてこうして話をすると様々な意見があるのがわかって、鷺宮商店街のメンバー間でも次はどういうイベントをやろうかという話にはなるものの、街自体をどうしていきたいかというディスカッションには欠けていたと感じます。

市川 中心メンバーの方々の悩みは尽きないとお察しします。

田中 鷺宮商店街だけでなく、区商連の青年部長になった今の悩みは、将来の青年部メンバーが数人しかいないことです。そのせいで、中野にはたくさんの商店街がありますが、その横の連携がなかなか取れてないのが現状です。僕としては、各商店街の若手同士でコミュニケーションが取れる会にもう一度戻さなければいけないと思っています。

法人会青年部や、東京商工会議所中野支部の若手が集まる21の会にも横並びで呼ばれるのですが、組織としては商店街の方が資金もあり、裾野のメンバーも多いはずなのですが、みんな商店の仕事をして、地元商店街の仕事をして、その先に更に区商連の…となると、なかなかそこまでは手が回らないというのも分かってはいるのですが、商店街の若手として中野区の中で活動できるとか、区商連青年部に出てきたことで色んな方とお会いして成長できたと思っているので、そういったメンバーを少しでも増やしたいなと思っています。

市川 商工会議所や法人会、観光協会など様々な経済団体がありますでしょ。その中で中野区民の意識を一番キャッチできているのは区商連ですよ。元々街に根を張っているわけですから。そこが経営者が集まっている団体と商店主が集まっている団体の違いです。ぜひ、そういった組織の人が中心的なメンバーになって頑張って欲しいですね。何か、中野区や区議会が力になれることはあるでしょうか?

田中 中野区は行政主導で色々なことを決めたり、動かしたり、作ったりすることが多いですが、民間は民間で中野を盛り上げようという機運があり、区長を中心に中野駅周辺を再開発しようというのとはまた違ったベクトルであるような気がします。

例えば、昨年10月~11月は区が開催するもの、民間が開催するものが入り乱れて、毎週のように中野駅前でイベントが開催されましたが、中野区が何をどう盛り上げたいかということとのコミュニケーションは十分とは言えません。内情は色々あるのでしょうが、中野を盛り上げたいという同じ思いがあるわけですから、もうちょっと手を取り合えないものかと。企画にしても、予算組にしても、もう少し柔軟に構えていただいて、一緒に盛り上げていただけたらと思います。

田中さんがたびたび口にする横のつながりの強化。そして、連携といえば世代間を繋ぐ縦の連携、そして民間と行政との連携も欠かせない。人こそが魅力といえる中野にあって、立体的な人の繋がりできて、若い世代が活躍できる土台として機能した時こそ、新たな中野の商店街文化が花開く。そのことを我々は肝に銘じておくべきである。IMGP0656_R

市川 鷺宮は田中さんの故郷でありますが、鷺宮の街やひいては中野の街がこうなったら良いなと思うことはありますか?

田中 西武新宿線を新井薬師から地下化する計画が決定されましたが、先に高架化された池袋線は沿線の価値が上がって、街の評価自体も上昇しました。新宿線沿線もゆくゆくはそうなって欲しいと思いますね。

市川 沿線には街、文化ができますから、沿線単位での活性化というのは大事な視点ですね。

田中 はい。その一方で、沿線だけでなく、鷺宮は「中野の中の鷺宮」だと思っていますので、皆さんがお持ちの中野の良さ、例えば親しみやすいことや都心に近いのに都会っぽくないこと、そういう中野ならではの良さもまた大事にして良いのではないかと思っています。

中野駅周辺は再開発があり、「シティ」的な街にこれから生まれ変わって行くことが想像できます。その時に、鷺宮にもビルもばんばん建てたいかというと、そういうことはなくて、昔と変わらず人の輪もあってコミュニティもある、中野らしい街でありたいです。住んでいる人たちのコミュニティがしっかりあって、理想としてはその中に商店街があって、近所の人と顔をみて会話ができるような街になれば良いなと思います。

市川 今おっしゃられた鷺宮の良さ、コミュニティというのは、住宅街としての魅力ということでしょうか?

田中 そうです。ご近所付き合いがあって、その中に商店があって。僕らにできるのはそういう街づくりではないかと思います。

市川 それにはコミュニケーションの場となる商店街がかなり頑張らないといけませんね。

田中 そう思いますね。地元だけでもやもやしていると挫けそうになってしまうので、地方の商店街を視察に行く機会もあります。苦戦しながらも知恵を出して頑張っている姿を見ると、もうちょっと頑張れるんじゃないかなと勇気づけられます。

市川 視察に行くとたくさん刺激を受けられるのはよく分かります。

田中 しょっちゅう行くことはできないものの、全国商店街振興組合連合会という組織の全国大会が夏にありまして、スケジュールが合えば参加するようにしています。昨年は松山に行って、様々な商店街やアーケード、温泉街の取り組みを見たり、向こうの青年部とコミュニケーションを取ったりして、刺激を受けました。

市川 私は中野駅周辺ばかりが良くなっても仕方ないのだという旨の発言をよくするんです。当然、中野駅周辺の開発は重要です。しかし、先に山手通りの再開発がされた中野坂上は都心の中央環状線が完成して、羽田までのアクセスが良くなりました。東中野駅前も広場ができて、タワーマンションが建ちました。

次に、西武新宿線に目を向けると、鷺宮駅は西武新宿線の中でも急行が止まる主要駅です。そういう主要駅、例えば鷺宮駅、野方駅、東中野駅、中野坂上駅、そして中野駅の5駅くらいを街の核として、今は中野駅周辺に集中していることの中で、何がそうなるかは分からないけれども、そういう中心になる街の街づくりに活かせることがあるだろうと。

今挙げた東中野、野方、鷺宮は区議会でも特別委員会を作って駅を中心にした街づくりを検討しました。鷺宮にも重きを置いているわけです。それはなぜかというと、我々中野駅周辺から見たら、鷺宮という響きがやはり山の手の街みたいに感じるんです。勝手な見方かもしれませんが、鷺宮には大衆的なだけではない、ちょっと高尚な文化を感じるんです。自由が丘やひばりが丘のような街づくりをしたら、鷺宮は発展するのではないかなというのが私のイメージです。

田中さんたちが思っているものの中に、先ほどおっしゃった親しみやすく、都心なのに近い昔と変わらない町をもう一度再建したいという思いがありましたけれど、そういったことの中にも、基本コンセプトみたいのを作ると良いと思いますよ。

田中 商店街でもやっぱり僕らが動かなきゃいけないはずです。でも、地域をどうするかなどの街づくりに関わる会合には、まだ僕らの父親世代が集まっているのが現実です。野方の踏切問題の解消の集まりにも行きましたが、市川さんよりもっと上の世代が一生懸命に話し合いをされていました。将来を決めるのであれば、僕ら現役世代がそこに入って、僕らがどうしたいのか、将来子供を住ませたい街がどうかを発言する必要があります。僕らは商店街が中心に集まっているメンバーですが、地域コミュニティとして、街を変えるための中心メンバーでありたいと思いますね。

市川 中野は商店街と共に街が発展してきました。取り立てて、大企業があるわけじゃないし、町工場があるわけでもない。やっぱり商店街ですよ。私はね、中野の地名の中で鷺宮が一番好きなの。鷺という縁起のいい鳥とお宮の宮が入っているなんて、とても格好いいじゃないですか!IMGP0816_R

中野に限らず、商店街の活性化は難しく、しかし非常に重要な、まさに地方創世の要ともいえる課題である。しかし、後継者不足から当事者が高齢化し、それが更なる活力の減退に繋がっている面は否めない。若い人に活躍の場を!と思いつつも、無意識に任せきれていない面も無いとは言い切れない。そういった中に於いて、田中さんの肩に背負って立つ気概を見せてくれる青年は貴重な存在だ。ぜひ、そういった若手のネットワークを築いて中野を盛り上げていって欲しいと期待するばかりである。

次回も、そんな田中さんから紹介いただいた商店街の若手にご登場いただけることが決まっているので、どんな話が伺えるのか、ご期待いただきたい。

 


【過去のシリーズ】
その10:杉山司(中野経済新聞 編集長)
その9:深井弘之(株式会社ナカノF / 中野区観光協会 事務局長)
その8:谷津かおり(株式会社オフィスエル・アール代表取締役/中野21の会会長)
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]


中野情報発信の担い手に聞く。 マニアックなカテゴリーでのナンバーワン再発見が、地域の誇れる資源を発信する為のキーワード?【中野のキーマン100人に会う その10】杉山司(中野経済新聞)  

 

昭和45年生まれの45歳。バリバリ働き盛りの杉山司さんは、元大手ITコンサルティング業という専門知識を活かし、ローカルWEBメディア「中野経済新聞」の編集長として、中野の最新情報を対外的に発信している。谷津かおりさん深井弘之さんに続く、中野で活発に活躍する若手キーマンの1人である。ITに理解があり、中野在住でありながら、区外からの目線を持ち合わせている杉山さんからは、これから中野をブランディングしていくに当たって重要なヒントをいくつも提示していただけた。 IMGP0144

市川 本日はよろしくお願い致します。杉山さんは、IT系のコンサルティング業の傍らで、「中野経済新聞」というメディアを運営されているという、たいへんユニークな活動をされていますね。

杉山 就職する時に、この会社ならばもしかしたら社長になれるかもしれないと思った企業を選び、大手のIT系に就職しました。面接の時に「経営企画がやりたい」と宣言して入社し、38歳で営業統括部長になったのですが、色々な理由もあり、「社長になれないな」と思っちゃったんですね(笑)。

市川 そして、退社されて第二の人生を歩み始めたのですね。

杉山 40歳直前に独立して、前職時代にイスラエルのIT製品を日本マーケットに投入するような仕事もしていたので、グローバルIT企業を作ったつもりでした。中国や香港、台湾などのマーケットに日本の商品を輸出したり、海外からの商品などを日本のマーケットに紹介したりするようなことを事業の中核としていました。仲良しの中国人と一緒に上海にも会社を作り、日本から中国、中国から日本という感じで、進出したい、取引したい企業向けに事業コンサルタントをやっていました。

市川 それは今日に至っているのですか?

杉山 今も細々と続けています。元々グローバルな会社を作りたいと思っていたので、今は香港や台湾に向けても事業を展開しようと考えています。

そんなことしていたら、中野コンテンツネットワーク協会という団体から、「中野のコンテンツを発信する事業をしたいので手を貸して欲しい」と相談を受けまして、ちょっと中野の街を見てみようと動いてみたのが、「中野経済新聞」に繋がった直接のきっかけです。

中野には15年ほど住んでいるのですが、10年目くらいまでは中野の事は全然見ていませんでした。自宅は東中野にあったんですが「家どこ?」と聞かれたら、西新宿とか北新宿とか答えるくらい、中野にはまったく興味が無かったんです。

市川 「中野」の響きに抵抗があったのです?(笑)

杉山 というか、単に住んで寝るだけで、本当に何も意識してなかったですね。それが、今まで目を向けなかった中野を眺めてみると「こんなに面白い街だのか!」と再発見しました。

その時に感じたのは、中野の情報が住んでいる自分にも伝わっていないじゃないかということです。しかも、中野は今からもの凄い進化を遂げるかもしれない可能性がありました。それなら、自分でアーカイブしていこうと思ったんです。変わっていく中野を記録し続けて、自分のように中野の事を知らない人たちに情報を届ける仕事をしようと思ったのが4年前です。

市川 中野を知らなかった人から見た中野の発信という視点が大事なところですね。

杉山 本当に何も知らなかったので、何もかも新鮮でした。僕みたいな人はたくさんいると思うので、そういう人に中野に興味を持ってもらえるように過去に培ってきたプロダクトマーケティングの要領で、シティマーケティングをやってみようと勝手に思って始めたのが「中野経済新聞」なんです。IMGP0121

中野に住み、区外で働き、あまり地元には関心がないという中野に住まう若者の典型だった杉山さんだが、今一度中野を見つめ始めたら、たいへん面白い街であることに気付いたという。しかし、同時に、中野に住んでいる人にすら、その良さや情報が伝わっていないことに気付いた。それならばと、経験を活かした、中野の情報のアーカイブ活動がが始まるのである。

市川 「中野経済新聞」は、完全に地元メディアではなくて「みんなの経済新聞ネットワーク」の一部であり、独特の立ち位置ですよね。

杉山 当時の中野地元メディアは「中野の情報を中野の人に伝える」というものが多かったんです。中野の情報を区外に発信するということは私が調べた限りやっていなくて、誰もやってないならやってしまえという感じで始めました。

この媒体を選んだ理由は、ネットワークの横の繋がりの強さが魅力的だったからです。隣接する練馬、新宿や沿線の吉祥寺、最近では杉並区全域を担当する「高円寺経済新聞」が立ち上がりました。そういった繋がりが全国に拡がっていて、自分の記事が北海道や石垣島の媒体に載ることもあるという仕組みが予め用意されていて、僕の目的と合致しました。

市川 なるほど。当初、中野は「新宿経済新聞」の担当エリアだったと聞きました。

杉山 そうです。「新宿経済新聞」が中野の事も書いていましたが、年に2~3本しか記事がなく、「そりゃあ中野の事を知らない訳だよ」と思いまして、中野の部分を私に預けていただきました。

市川 中野の人はあまり欲がないのですよね。駅周辺の商店街は賑わっているし、日中はお勤めに出ている人が多いから、他の人に中野に目を向けて欲しいと旺盛に思う人が少ない。そんなにシティセールスをする必要性が感じられなかったのですね。杉山さんはその中野に目を付けられた訳ですが、これまでは「ありえないこと」だったんですよね。

杉山 調べるほどに、中野の誇らしい部分は大量にある訳です。でも僕は1人だし、日々何をピックアップするのか悩みながらやっています。色んなネタが整理されずに大量にあるがゆえに「中野には何かあるぞ…」という面白さがあります。

市川 そういった雑多さは中野らしさではありますが、伝えづらい面もあると思います。杉山さんなりにどのような工夫をして発信されていますか?

杉山 各文化をそれぞれのレイヤーを作って整理していけば、理解しやすいのでは?と思ってFacebookページを20種類くらい運営しています。「中野特撮マニア」「中野つけ麺マニア」「中野ブロードウェイマニア」「中野写真文化マニア」など自分なりのレイヤーで切り取って情報をまとめてあげると、中野には興味ないけどつけ麺には興味あるという人も中野に注目する入口になるのではないかと思います。

僕個人のFacebookがつけ麺ばかりなのは、つけ麺を食べて紹介することで「中野がつけ麺発祥の地である」ことを知って貰いたいからです。「ラーメン」というレイヤーは膨大ですが、範囲を「つけ麺」に狭めることでエッジが立ちます。狭い範囲でもナンバーワンであるものを見せていくという事を今やっています。おかげで10kg以上太ってしまいましたが(笑)。IMGP0162

「中野人」でありながら、区外からの視点を持ち合わせている。そして、何よりITに精通しているという2つが、区内で活躍する他のキーマンとは違う杉山さんの最大の武器。ITコンサルティング業時代にも、海外商品を日本向けにローカライズにマーケティング的な側面から携わったという。その知見やインターネットの活用における情報の”当て勘”は、中野情報の発信においても遺憾なく発揮されている。

市川 意外と知られていないマニアックなものが中野には多くあります。それを掘り起こしている杉山さんなりの、中野の街の歩き方、面白いものの見つけ方というのはあるのでしょうか?

杉山 中野駅周辺は四つのエリアに分かれています。中野ブロードウェイやサンモールがある北口の商店街エリア、北口西側にできた新しい四季の都市(まち)エリア、なかのZERO周辺の文化エリア、南口マルイ本店の裏側に拡がる高級住宅街エリアが半径2km県内に凝縮されています。

市川 中野駅周辺の特徴的な街構成ですね。

杉山 そうです。そして、それとは別に、中央線沿線の東中野は日本全国に知名度があるお店が何件もあるんです。例えば「ポレポレ東中野」はエッジの立った映画しか上映しない映画館ですが、全国から映画ファンが集まります。昔懐かしいウルトラマンや天竜源一郎などのTシャツを作る「ハードコアチョコレート」は、店舗もありますが、全国からネット通販で買う人が多いお店です。一方で、歴史ある梅若能楽会館があったりして、尖ってナンボみたいな店が多い地域です。

市川 東中野は中野駅周辺とはずいぶん雰囲気が変わりますね。

杉山 東西だけでなく、南北でも違います。中野区は旧野方村と旧中野村がくっついてできた街で、西武新宿線沿線にあたる野方の人は「俺たちは中野じゃないぜ!」とでも言うような独自文化を作っているところも魅力だと思います。反対に、南中野の辺りまで行くと、今度は渋谷に近いせいもあって、DJブースのあるBARみたいなアンダーグラウンド感が中野文化と混ざっています。

市川 中野の街はつい中央線、総武線で見てしまいがちですが、北の西武新宿線、南の丸の内線も加えた東西に走る3つの鉄道の沿線に発展しているところに目を向けているのは流石ですね。

杉山 僕は、縦の移動ラインがない故に中野の文化はできているのではないかと思います。縦に繋がればもっと各地の文化が融合しているはずですが、それがない為に、少しずつ距離を置いて刺激しあって、中野全域を支えているのではないかと。IMGP0126

中野通りとJR中央線が仕切る十字によって、中野駅周辺は特徴的な4つのブロックが狭いエリアに同居する。こういった地元だからこそ持ちえる肌感は、杉山さんのフィルターを通して記事を見る人にもおそらく伝わっている。また、東中野には全国に知名度の高い店が多くあるという。話にある通り、区内の各ブロックが適度に距離が有ることに寄って多様性が育まれた一方で、1駅隣の情報が入りづらい面もある。それが一覧できるだけでも「中野経済新聞」は価値あるメディアと言って良かろう。

市川 確かに、中野は地域ごとに独特の文化を形成してきました。その結果、それぞれ利便性も高い街になっていると思います。それに沿って区内の情報を読み解くのは賢いやり方ですね。一方で、それ故の弱さもあると思います。杉山さんはどのように感じますか?

杉山 文化的に見ると、自分たちが良いと思うものを自分たちだけで消費している傾向があります。もっと他の人たちを巻き込んでも良いんじゃないでしょうか。

最近、区外から来た人が開催する中野駅周辺でのイベントが増えました。そこには他の区からの参加者も多いですが、中野のイベンターで同じような考え方をしている人はあまりいません。外から来る観客と、その人たちが持つ視点がないと新たな化学反応は起きません。僕がそういった新しいイベントを応援したいと思うのは、中野に外の空気が入って何かの融合が起きることを期待しているからです。

例えば、伝統的な氷川神社の例大祭があります。あれは凄いお祭りですよ。1つのお神輿に1人か2人は海外の方がいても良いと思います。でも、外国人の参加者はいません。まだまだ地域ごとに閉鎖的で、そこが弱点なんじゃないかと思います。

だから、僕が区内の良いものを発信していくことで、興味を持った人がもっと中野のイベントに入ってきてくれたら良いなと思います。知るきっかけを作るのはメディアの仕事です。うまく運べば地域そのものの発展や知名度向上にも繋がります。

市川 地域ごとの島意識が強いのは否めませんね。中野駅の南口側と北口側も対抗意識を持っていた時代がずっとありました。お祭りでも、元の神社は同じ氷川様なのに、南北でお神輿は別々です。先輩たちは「南と北が行き来するなんてもっての他だ!」と受け付けませんでした。だけど、お互いのお神輿がガードをくぐって往来するように、青年部同士で調整を進めたら、今ではそれが当たり前になりました。

今度は歩道上のガードレールの向こう側で見ているたくさんの人も巻き込みたいんですよ。私はその人たちの中にも、もし担げるならお神輿を担ぎたいと思っている人がいるはずだと思っています。そういう雰囲気作りをできることが、祭りが末永く続く秘訣だと思います。

杉山 これだけ大きい都心の祭りってそうはないですよね。その素晴らしさを内側に隠し持って、本当は凄いのに「自分たちだけの祭りだ!」という殻が邪魔になっているので、それを破壊できるつもりでやっています。

市川 杉山さんがお話を皆に聞かせたら喜びますよ。自分たちはそんな凄いお祭りだとは思ってないないですから。だけど、歴史をたどっていくと大宮にある氷川一宮から枝分かれしている歴史と由緒あるかなり規模の大きい神社なんです。その例大祭であるという意識は意外と低くて、そういう目で見くれている人がいるとは思っていません。

例えば、北野神社のお神輿は実に立派で総彫物です。浅草にある「宮本卯之助商店」というお神輿を作る商店の名人が作った最後のお神輿ですが、対外的にはあまり知られていません。だからどんどん書いてください。そしたら、私が皆に見せて回りますから(笑)。

杉山 外の人の参加というのは、興味をもって中に入ってくれるという事実が先で、外国人向けや観光客向けの環境づくりは後から付いてくるものです。僕は中野経済新聞を中国語で、weiboという中国版TwitterのようなSNSでも発信しています。せっかく新宿や秋葉原には中国人が大勢来ているのに、同じ沿線の中野に来ないのは何故だろうと思うからです。中野を訪れる外国人は欧米系が多いですが、中国や東アジアの人たちも中野に来るようになると、また何か新しいことが生まれるような気がしませんか?IMGP0132

本シリーズにおいて世代間の認識の違いを感じるテーマである。中野は受け入れることに寛容な街であり、それがこの雑多な文化を作ってきたことは間違いない。一度仲間になれば非常に厚遇するのである。一方で、そこに壁が存在しない訳ではない。中野の良さを発信し、興味を惹かれて来た人に対して、受け入れる側が最大限の努力を約束するというスタンスは、今後も多様性が魅力と言える街であり続ける為に、肝に銘じておきたい。

市川 外国の方はもちろんのこと、日本全国から来た人を迎えられる素地作りをしていかないといけませんね。その中にはソフト面の努力と、ハード面の整備があります。ハード面では、これから中野サンプラザと区役所の一体開発があります。この機会、どう生かせば良いでしょうか?

杉山 中野駅周辺を東西南北に自由に移動できるようには、最低でもして欲しいですね。マルイがある中野3丁目から区役所や四季の都市の4丁目に抜ける道は計画されていると聞きます。加えて、なかのZEROがある2丁目から北口商店街のある5丁目にも直接抜けられる道が1つも無い状況も改善されるべきだと思います。

その上で、駅のすぐ傍で音が鳴らせて、青空の下でイベントができるエリアは確保していただきたいと思っています。既に工事に入っている中野駅北口の暫定広場は、駅から近いオープンスペースという条件がヒットして、近年のイベントの盛り上がりのきっかけになりました。

市川 暫定広場は駅前の賑わい作りに随分と貢献しましたね。その役割は、中野区役所エントランス前広場を整備して引き継がれました。その区役所・中野サンプラザ跡地についてはいかがでしょう?

杉山 サンプラザは中野の象徴でもあるので、この三角形を活かして、いっそ中野に新しく建てるビルはすべて角を落として、斜面にするレギュレーションにするとか、どうでしょうね(笑)。

市川 サンプラザの形は東京スカイツリーの展望台から見てもすぐわかりますからね。いろいろと面白いお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。最後に、中野区や区議会に期待したいことはありますか?

杉山 中野には世界に通じる程のものがないと思っている方が、まだいらっしゃいますが、実はたくさんあります。たとえ今は全国2位のものでも、よりマニアックにカテゴリーを狭めたらナンバーワンになれるかもしれません。戦う範囲を狭めてあげるだけで1番になれるものが、中野にはいくつもあります。それに蓋をしないで、ちゃんと押し上げてあげられるような環境作りをしてもらいたいですね。

市川 ありがとうございます。今あるものの見せ方を変えて発信の仕方を工夫するというのは、メディアを運営されている杉山さんならではの視点だと思います。今後の活躍にも期待しています。

中野サンプラザの特徴的な三角形は世代を問わず中野の象徴であるようだ。年間20万人と言わず、より大勢の観光客が今後も日本を訪れ、スカイツリーから東京を眺めることだろう。IMGP0171そこで、「アレが中野だ!」と人目でわかるサンプラザの存在はやはり大きい。

それだけでなく、中野には全国、全世界で勝負できるマニアックなものが多くある。それをただ磨くだけでなく、発信する際の見せ方を一般的なカテゴリーからマニアックなカテゴリーで扱うことで、そのままナンバーワンにしてしまうというのは、素朴で愚直な中野の人にはなかった、新しい世代の物の見方に思えた。今後も、画期的な切り口で、ドンドンと中野を発信していく杉山さんと「中野経済新聞」に期待したい。


 

【過去のシリーズ】
その9:深井弘之(株式会社ナカノF / 中野区観光協会 事務局長)
その8:谷津かおり(株式会社オフィスエル・アール代表取締役/中野21の会会長)
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]


交流こそが観光資源。人と人の繋がりを大切に中野の活性化を縁の下で支える重要人物 【中野のキーマン100人に会う その8】深井弘之(株式会社ナカノF / 中野区観光協会 事務局長)

 

 

中野駅北口で多目的レンタルスペース「nakano f」は、地元団体のイベントから個人主催のパーティ、ワークショップ、「マッチョカフェ」等の話題を振りまく企画まで、誰でも気軽に使える企画スペースとして個性を放っている。そんな「nakano f」を経営するのは、中野区観光協会を中心に、区内の様々な企画やイベントでも精力的に活動されている深井弘之さん。近年盛り上がりを見せている中野での様々な催しを、縁の下で支える深井さんは何を考え、その目は何を見据えているのか、伺った。IMG_2273

市川 深井さんは、大阪のご出身と伺いました。

深井 はい。大学から東京に出てきました。そのままこちらで就職しましたが20代の内に起業して、中野でお店を構えました。

市川 中野にお住まいになっているのも、その時からですか?

深井 いえ。26歳くらいの時に東中野に住みまして、その後は中央線沿線で、阿佐ヶ谷や西荻窪にも住みました。そして、5年前に中野に戻ってきました。

市川 やはり中野が良いですか?

深井 住みやすいですね。仲間が増えてくると、毎日楽しいですね。この連載第2回の長谷部さんにもすごくお世話になっています。私も、昭和新道から一本東隣の通りにnakano fという店を出していまして、今年から長谷部さんが会長をしている昭和新道商店街に加入させてもらいました。

市川 存じていますよ。1階にスタジオがありますね。商店街では役員もされているとか。

深井 はい。その他にも東京JC(青年会議所)や中野区観光協会等の活動にも参加させていただいております。

市川 そうですか。中野区商店街連合会の中で、昭和新道商店街が入っている第7ブロックは一番盛んな商店街ですね。第7ブロックが中野の商店街の基盤、言わばエンジンなんだと思います。

20歳で起業し、依頼中野で商売をされているという。最近、中野駅周辺の商店街では若者が面白いコンセプトの飲食店を数多くオープンさせているが、そのハシリだったと言ってもよいのではないだろうか。また、その若さにも関わらず、既に数々の地元団体に参加して活躍した実績を積まれているのも恐れ入る。世襲経営者も多い中野で、起業マインドを持った若手経営者でありながら、地域の力学にも精通している、それが深井さんが中野区内の企画で引っ張りだこになる秘密ではなかろうか。IMG_2297

市川 もう10年ほど中野でご商売をされている訳ですが、そうすると、中野がこんな街になったら良いなという思いもおありかと思います。近年は、警察大学校が移転して、その真っさらな土地に新しい街ができ、街が変わり始めました。今後、その影響が更に波及していくでしょう。しかし一方で、何でもかんでも新しくするのも良くないという意見もあります。深井さんが描く、今後の中野の理想図とはどういったものでしょうか?

深井 私は、中野区観光協会が今一番深く関わっている団体です。観光協会はできてまだ数年ですが、最初に戸惑ったのが「中野観光資源が何もない」ということでした。だから、観光協会として最初に考えたのは「何をするか」でした。区役所の観光政策では『里まち連携』などもありますが、私としてはもっと人が交流できる場所ができればなと思っています。私自身がいずれは田舎暮らしをしたいと思っているのですが、中野に住んでいる人が地方に行って暮らして、そこで中野の魅力を伝えれば、そこの出身の子供が東京の大学に行くとなった時に中野に住まわせようとなるのではないかと。そういうことが中野の魅力発信、中野の観光の1つになるのではないかなと思ったんです。

市川 それこそ”中野の大使”ですね。

深井 何かの物を作ったり、中野の街の中で発信したりするよりも、人が交流する方が中野の魅力は伝わると思います。その仕組み作りがしたいと思っています。

市川 区商連の折原名誉会長が「中野区観光協会は中野区が一生懸命やっている『里まち連携』を基本にして立ち上がるのが一番理想的だと思います」と、かつて仰っていました。それが、地域活動・商店街活動で様々なキャリアを積んできた彼の言葉だったんです。

深井 そうだったんですか

市川 だから、当初の中野区観光協会の立ち上げの時には、やや急ぎすぎだと感じたようですね。或いは『里まち連携』が観光協会に発展していくように想定されていたのかもしれません。彼のようなベテランが経験則の中で考えていたのとほぼ同じことを、今、深井さんの口からも伺うというのは非常に興味深いことです。街をつくるのも人、その街のコマーシャルしてくれるのも人、”発信していく”のは全部が人からです。人こそが観光資源ですね。

深井 それは今まさに考えていることですね。

市川 例えば、人の交流のために、どんなことができますか?

深井 最近、私が手がけたのが『中野ハシゴ酒』という企画です。スタンプラリーの形式で、地域の小さな飲食店のような足を踏み入れ難いお店にも1杯目は気兼ねなく頼めるような仕組みを作ることで、地域ごと楽しんで貰おうというものです。昭和新道の飲屋街や南口のレンガ坂のおしゃれな雰囲気を外から来てくれた方や、区内にいても知らなかった方にも伝えたいということで実施しました。

市川 街の中に回遊性を生み出すわけですね。

深井 そうです。今後は各商店街にも「これだったらチラシ1枚あればできるのでやってみませんか」と提案していきます。同じように、観光協会では『街バル』という仕組みを中野駅南口で3度実施した後で、鷺宮に展開し、来年はさらに各地域に広めようとしています。

市川 面白いですね。

深井 そうやって地域交流の楽しさを知って欲しいんです。商店街の方々がこれなら自分たちもできると思っていただけたら、もっと地域の方が関わってくれると思います。そのきっかけ作りをしているところです。

市川 中野は警察大学校があったおかげで、歴史的に治安がよくて、安心して出歩ける飲み屋街です。そこにこういう企画は良いですね。

深井 私も自分の店を出した時に、怖い人達が来たらどうしようと思いましたけれど、本当に何も無かったですからね(笑)。

中野区はこれといった観光資源が無い。何をするにも人と人との繋がりが観光の第一歩と豪語する。これは言い得て妙である。交流することが観光と定義づければ、人材交流、里まち交流が観光の第一歩なのである。地方都市に足を運ぶ中野人(なかのびと)が気軽に出かけた先の地方へ中野の魅力を発信する。その人材交流を果たす為に、中野の魅力の再発見が必要であり、中野の個店が持つポテンシャルを売りにした回遊性のためのイベント、『中野はしご酒、まちパル』など、きっかけづくりに励んでいらっしゃる。IMG_2237

市川 中野の魅力再発見を通して、交流の仕組みづくりをしているのですね。そして、中野で過ごした皆さんが、地方に出たり、地元に帰ったりした時に、中野の魅力を大いに宣伝し、中野を訪ねてくる人が増える。人材交流が一番の観光の源になるということですね。そこで、中野の魅力についてなのですが、ここが東京の他の街と違うよ!というのは、どういったところでしょうか?

深井 私、基本的に、酒飲みなのですが…(笑)

市川 いいじゃない!いいと思いますよ(笑)

深井 中野の飲み屋さんは店主やお客さん同士がすぐに仲良くなれて、このお店が好きなら次はここにも行ってみたらって紹介されたり、一緒に飲み歩いたりできるのはとても良いですね(笑)。私がnakano fというレンタルスペースの経営を始めたのも、当時、私自身は何ら資本があったわけでもなかったのですが、レンタルスペースだったら鍵を開け閉めさえすれば、後は飲んでいて良いじゃないかと思ったからでして(笑)。

市川 そうすれば、深井さんは外に飲みにいけると。やっぱり飲み屋さんの魅力を感じているのですね。

深井 中野の何よりの魅力だと思います(笑)。店を出してだいたい10年と申し上げましたけれども、同じくらいに昭和新道に出来たのが、長谷部さんの立ち飲み居酒屋パニパニです。当時は立ち飲み店が多くできました。同時期に出来てきたということもあって、特にそういうお店は好きで通っていますね。

市川 最近、昭和新道商店街では昭和の雰囲気をよりアピールするような「メロディアスナイト」という催しもやっていて、一層面白くなっていますね。

深井 長谷部さんの企画ですね。

市川 あの辺りは僕たちが子どもの頃には、夜になると”流し”が歩いてもいたものです。カラオケ代わりですね。その雰囲気を「メロディアスナイト」で醸し出そうと目論んでいるということですよね。

深井 人と人との触れ合いは中野の魅力だと思います。この雰囲気作りはチェーンの居酒屋ではできないことです。いくら大きなハコがあって、何十人の宴会ができようとも、そのグループが自分たちで楽しむだけで、居合わせたお客さん同士の触れ合いが生まれることはありません。

市川 個店でできる芸当ですよね。

深井 はい。結局、そういった触れ合いこそ、中野の魅力だと思いますね。

お酒大好き人間の深井さん。何と言っても中野駅北口の飲み屋さんが魅力的と言う。居酒屋さんを店から店へはしご酒、そんな大人の遊びの原点とも言えるステージに当たる中野駅北口の飲食店街が一番の魅力と薦める。小さな店で肩を寄せ合って飲む、カウンター越しに店主と語らうという経験はどこでもできるものではなく、時に思いがけない感動に出くわすことがある。これは、以前にご登場いただいた長谷部智明さんも仰っていた話である。IMG_2239

深井 お酒の話しかしてないですね(笑)

市川 ちなみに、どれくらい飲みますか、酒量は?

深井 僕はビールを大瓶だと……7本くらいですかね(笑)

市川 やりますねぇ…。私も毎日よく飲んでいました。それで、一度身体を壊してしまったんですよ。以来、一切飲んでないんです。だからね、お酒飲みの気持ちはすごくよくわかりますよ(笑)

今でも仕事柄そういう席には行きますが、ノンアルコールでお付き合いしています。ただ、ハシゴ酒のような楽しそうな企画に参加できないのは残念ですね。お酒は人と人の繋がりを強めるひとつの材料としては、恰好ですよね。

深井 中野の皆さんは、飲んでいても質が良いですしね。青年会議所に所属していた頃に、わんぱく相撲という子供の相撲大会をやっていまして、東京23区の他区からイベントの応援に来てくれたメンバーが「中野の子供たちはすごく礼儀正しいですね」と仰います。子供が、大人の言うことを聞いてくれて自主的に動いてくれて素晴らしいと。そういう気質ができあがっているのか、飲み屋さんに行っても皆ちゃんとルール守っていて、一人でも入りやすい。道徳的に恵まれた環境だったのではないかと思いますね。

市川 そういう点は、中野は山の手でもありますね。山の手だけど下町っぽい。

深井 人情深くもありますね。

市川 山の手と言いましたが、この中野駅周辺は意外と気取っていてクオリティは高いと思っているんですよ。何故かというと、街として恵まれているからです。ここの商店街は、今では人通りが絶えなくて、黙っていてもそれなりに人が来きます。これが地方都市ではそうはいきませんよ。恵まれているから、それなりに教育を受けたり、躾を身に着けたり、しています。だから、子供たちの学力も結構高いです。それらは、中野の自慢のひとつですよ。

深井 そういう美点を私の世代がどう繋げていくかというのも課題だと思います。それから、中心部だけが盛り上がって、周辺部、例えば川島商店街等はシャッター通りになっていて、そういった問題もあります。だから、さっき申し上げた『街バル』のような取り組みを通じて、盛り上がりが区内全体に広がって欲しいです。今は『街バル』自体に人気があるので、それを目当てに来て下さる人もいます。『街バル』に参加したお客さんがお店に根付いてくれるか、そういった課題はありますけど、これがひとつの機会になって欲しいですね。

市川 結局、敷居を跨ぐまでが長いんですよね。

深井 昭和新道商店街の小さい飲み屋さんは、常連さんしかいないところが多いので、いきなり入るには抵抗があります。そのハードルをどう下げるか、ちょっとしたきっかけを作りたいんです。

市川 一旦入ると人の縁が出来て、それが癖になって、扉を開けないと今日一日が終わらないような妙な習慣になったりするから面白いですよね。

中野駅周辺商店街の賑わいを如何に区全域の商店街にまで波及させていくかというのは、中野が抱える課題の1つである。若くして深井さんもこの課題を捉えていらっしゃるのは、参加された各団体での経験の賜物だろう。その為に『街バル』という全国的に知られて、人気もある仕組みの拡大に取り組んでいるのも、商店街のお客さんを増やすという意味では、非常に大きな貢献になっていることだろう。IMG_2278

市川 他にも、こうあったら中野の街はもっと良くなると思うようなところはありますか?

深井 それは、最近新たに街に入ってきている人たちをどう迎え入れかですね。大学や大きな会社にやってくる人たちを受け入れる体制がまだできていない印象があります。法人会や商工会議所などが関係づくりをしているところはありますが、まだそこまで強い繋がりはできてはいません。例えば、町会の方をどう巻き込むか。それから、30代40代で会社を興した一番動く世代が地域にコミットできていないこと。そういった巻き込みが、私たちの世代の課題だと私は思っています。

市川 そうかもしれないですね。30代40代が、地域のために動けていないですね。

深井 万が一、昼間に災害があった時に助けになるのは、その世代の人たちだろうと思います。彼らが地域にもっと密着できていれば、いざという時に体を張って動いてくれるでしょう。子育ての世代ということもありますので、子供の手本となるような地域での活動ができればより良いと思います。

市川 なるほど。子育てをしている30代40代は多いですね。学校や子供を通じたコミュニティーができています。PTAでバレーボールチームに入ったりすると、そのコミュニティーはあるけれど、「町会」という単位のコミュニティーまでには接続しませんね。

深井 横の繋がりがまだないんです。

市川 私が、いつも訴えていることなのですが、地域のお年寄りも新しい人を迎え入れる気持ちを持っているつもりで、しかし、やっぱり敷居を高くしている面はあると思います。

深井 それは僕もすごく感じます。皆さん「若い人を呼びたいんだ」と仰いますが、若者が中に入って新しいことしようとするとなかなか思うようにいかない。

市川 「そんなのは聞いてない」とかね(笑)。ある時、若い人がお神輿を担ぎに来ました。事前にちゃんと断りを入れてあったのに、当日になって「何でこんな人たちが来るんだ」という訳ですよ。「いや前に相談していますよね」「いや俺聞いてない」と始まる訳です。私みたいな立場の人間が言えば理解もしてくれるのですが、地域活動やっている青年部の人たちからだと聞き入れられない。そうすると青年部の人たちが僕の所にきて、赫々云々と話をする。若者達に良い所を取られてしまう怖れみたいなものもあるのかもしれません。でも、バトンは繋いで行くものですよ。

深井 政治家は地域のリーダーとして引っ張っていく面と、調整役的な役割と、両方ありますよね。

市川 どっちかっていうと調整役の方が多いかもしれないですね(笑)。地域のコーディネーターというほどではないけど、地方議員はそういう面が強いと思います。中野駅周辺が再開発注目されているので、地元出身で中野駅周辺の問題に強い今の私のような立場だと、特に。

深井 今、インタビューを撮っているサンクォーレビルの開発もそうですよね。

市川 サンクォーレの開発を通じて、商店街活性化も、都市計画も、地域コミュニティーのことも勉強しました。ひとつのことに取り組むと、関わる全体のことに通じていくんです。

深井さんが突いている30~40代の人たちと地域の交流は課題です。お神輿を担いでいる時に、ガードレールの内側の歩道側で見ている人と車道側で担いでいる人たちにある垣根と同じですね。『ハシゴ酒』にしても『街バル』にしても、近年盛り上がっている『にぎわいフェスタ』や『東北復興大祭典』、『中野文化祭』などの大型街イベントにしても、全てはそういう垣根を取り払おうとしてやっている訳でしょう。祭というのは”村”の絆、つまりコミュニティーを確認し合うひとつの行事ですからね。

そんな深井さんに、中野の街が抱える課題について伺ったところ、それは区外から新たに中野にやってきた人や、30代・40代の街の活動への巻き込みだという。新しい人を迎え入れる体制が未だ地域に整ってないと言う。働き盛りの30代、40代の人たちが地域の為に動いてない、否、動き機会がないのであろう。地域、特に町会の敷居を低く出来ないものか?との思いを持つ若年層の方達が多いようだ。これは勿体ない話である。分かってはいても、旧来の仕組みや考え方、古参のプライドといったものがそれを阻害するケースはまま見受けられる。このご意見、私たちは肝に銘じておくべきだ。IMG_2195

市川 中野サンプラザ・区役所エリアの一体開発がいよいよ迫っています。深井さんは、この跡地はどんな街になったら、或いは、どんな施設ができたらいいかと思いますか?

深井 外から来る方は、皆さん「中野で安く泊まれるホテルがない」と仰います。私は商店街の人間なので「いかに飲食店に人を呼ぶか」を考えると、ビジネスホテルのような素泊まりできる安いホテルがあると、中野に用事がある人が、新宿に泊まって新宿で飲食するのではなくて、中野の店に人が流れるのではないかと考えています。

市川 中野駅には快速電車が停まりますから、都心へのアクセスが良いです。東京駅にも品川駅にも30分くらいで行けます。東京駅は新幹線が全部集結しているし、品川駅には将来リニアモーターカーが通ります。そんな駅の至近距離にホテルがあると便利ですね。移動距離が短い分、新宿副都心のホテルより利便性が高いはずです。外国人観光客を想定した時にも、そんなに高いホテルには泊まっていません。だから、安宿も需要がありますよね。日本の生活を味わいたい人には人気です。中野の商店街には昭和の風情もありますから、それっぽい雰囲気の宿泊施設ならば人気が出るかもしれませんね。

深井 それっぽいというのは、日常のマンションみたいな形でしょうか?

市川 そうそう、ウィークリーマンションみたいなね。そうしたら、使用頻度は高まると思います。他の地域に行けばそれなりのシティホテルはあるのだから。

深井 どちらを選んでもらうかですよね。

深井 いろんな方の意見聞いていると、新しい飲食店街を作りたいという方もいますが、私はあんまりそれには賛成ではなくて、やはり今ある飲食店街を活かして欲しいという思いがあります。区民が憩える場所として大事にして欲しいです。

皆さんインバウンドだ何だとお話されますが、そもそも区民が楽しめる場所が実は少ないんです。先にできた四季の森公園は週末には家族連れでたいへん賑わっています。それは、中野に家族で楽しめる場所が少ないということだと思います。だから、スーパー銭湯みたいなものでもいいと思うんですけれど、1日そこにいれば家族連れが楽しいというような場所があるといいですね。

市川 同じようなことを、前回の谷津かおりさんからも伺いました。他所から人を呼び込むっていうのも大事だけれども、そこに暮らす人の視点に立った施設というのも大事でしょうね。

中野には宿泊施設が少ない。また、住環境の面でも前回の谷津かおりさんがおっしゃるように快適に子育てするには十分とはいえない。これらは、旅行者や子育て中の家族だけでなく、商店街の活性化という切り口で見てもデメリットであり、中野サンプラザ前跡地の再開発では食事が付かないようなホテルが良いのではないかという。確かに外国人観光客なども一流ホテルよりも民泊や安いホテルを好む傾向にある。ご意見が常に商店街と繋がっているところに、考えの芯が太い人柄が見える。IMG_2254

市川 さて、東京オリンピックが5年後に控えています。オリンピックを見据えて、中野ではどんな取り組みができるでしょう?

深井 それには、やはり今の商店街を大切に残していくことですね。他の街でやっているような、新しいものつくってどうこうというよりも、地道にやることが中野の魅力発信になるのではないかと思っています。オリンピックに合わせて、平和の森に体育館を作るという計画もありますよね。それは今後も区民が活用でききるものであれば良いですし、そういった取り組みも必要だと思いますが、もう少し地域密着というか、オリンピックを機会に今ある中野の面白さが伝われば良いなと思いますね。

市川 警察大学校の跡地を利用した中野セントラルパークの街づくりの成功があまりにも見事だったから、全体的に勇み足なところがあるのは否めませんね。

深井 そういう雰囲気がサンプラザ跡地一帯の再開発にはあると思います。新しいものができるということは、何か古いものが潰されていくということです。今も残っている仲見世通りの辺は一度潰してしまうともう元には戻りません。中野ブロードウェイの東側にあった四十五番街がまさにその煽りを受けました。その為に、民間でできるのは情報発信やイベント企画などのきっかけ作りですけれども、行政側にもちゃんと守ってくれるような取り組みを期待したいですね。

市川 今はハード面の整備に目が行きがちですが、新しい中野駅周辺の街づくりの中でこれから最も大事になのはソフト面の整備です。でも、ソフトとは何かって皆知りません。それは、清掃であり、治安であり、環境づくりです。所謂エリアマネジメントです。「あ、この街ってゴミが1つも無いね!」という街、「縁石に2cmの段差すらない!」と車椅子の方が感じる街。目に見えない、当たり前だと思っていることを当たり前にできる街にすることが、最後の課題になってきます。それによって呼び込まれる人が消費する。その消費力によって街の回転が良くなります。

深井 ソフト面で今中野にある特徴的なものは、アニメやマンガ等のPOPカルチャーと言われていますが、これは民間から自然発生したものですから、行政が狙ってどうこうできるものではありません。その路線がそっぽ向かれた時に、じゃぁ何が残るんだろうと考えないといけません。そういうところで、行政や区議会の皆さんが力を発揮して欲しいと思います。

5年後のオリンピックの話を向けると、まずは地道な活動を続けていくべきだと警鐘を鳴らす。今、進行中の再開発もあり、新しい何某かの導入やハード面の整備といった話に花が咲くが、価値あるものも、一度つぶしたら元には戻らないことも、忘れてはならない。また、ソフト面においても、行政や区議会は一過性の潮流に捕らわれず、普遍性のあることを期待したいとのご指摘、ごもっともである。「今の商店街を残していくこと。壊したら二度と戻らないことを肝に命じて街づくりに臨んで欲しいし、中野の魅力発信、それも地道に発信、そして地域密着の街『中野』を目指して欲しい」という深井さんの思いは一聴に値する。

市川 いろいろお話を聞かせて頂いたんですが、深井さんのお話の中で首尾一貫しているのは「人と人との繋がり」ですね。やっぱり酒は人と人との潤滑油ですね。一杯やっていると、良いアイディアも浮かびます。翌日になると忘れちゃうのが残念なところですが(笑)。IMG_2330

深井 実は、友達と飲み屋での打合せを録音してみたら、翌日に聞くと死にたくなるくらい恥ずかしかったです。飲みの席でメモを取るのはやめようと思いました(笑)

市川 仰るとおり。今日は、とても参考になりました。

深井 こちらこそとても勉強になりました

市川 どうもありがとうございました。また今度、中野のお店で、ゆっくりお話しましょう。

次回は中野経済新聞編集長の杉山司さんにご登場願います。乞うご期待!


 

【過去のシリーズ】
その8:谷津かおり(株式会社オフィスエル・アール代表取締役/中野21の会会長)
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]