とにかく明るくてテンポのいい女性、谷津かおりさん。中野区で一番歴史ある桃園小学校を経て中野二中、日大二校に進学後、日本大学芸術学部で映画監督コースにて学んだ。立ち上げた芸能プロダクションは現在7期目。表現力豊かな役者を育てて舞台に立たせると共に、学校に人材を提供してドラマ教育を提言するなど、コミュニケーションスキルを向上させることに演劇を活用する。更に、小学4年生のお子さんのママとして主婦業にも勤しむ。仕事に、家族に、自らの人生をかける快活な谷津さんに、働く女性の視点から話を伺った。
市川 谷津さんは中野坂上のお生まれで、今も坂上にいらっしゃるのですね。
谷津 そうです。地元の中学校を卒業した後は、日大二高に通い、そのまま日本大学芸術学部の映画学科に進みました。当時は俳優になりたいという夢があったので。
市川 脚本も書かれるのですよね?
谷津 4本目の作品から舞台の台本を書くようになって、以降は書くことが楽しくなってしまって、俳優をやめ、作る方に回りました。
市川 現在のお仕事にもそれが活かされているということでしょうか?
谷津 演劇の力が世の中の為になれば良いというコンセプトで、芸能プロダクションと販売促進のイベント業務、そして演劇のスキルを使ったコミュニケーション教育も行っています。
演劇スキルはコミュニケーションに役立つものがたくさんあるので、表現教育やドラマ教育という日本ではまだあまり聞き慣れないものですが、それを企業の研修で行ったり、芸術家体験をさせてコミュニケーション能力を育むという事業を小学校などで授業の一環として行ったりしています。
市川 そういう力を子供の内から付けていくことは、これからグローバル社会で世界の人と交流するにあたって当然必要になるスキルですね。学校に広めていくというのは面白い試みだと思います。
谷津 昨今、コミュニケーション能力が下がっていて、これは子供だけでなく学校の先生もそうだと思っています。その問題解決に、私は演劇をツールとして使おう考えました。他にも、中野坂上で2年前からスタジオを運営しています。そこはアートとコミュニケーションに特化したスタジオを謳っています。地域の子供向けダンス教室や、クリニカルアートという美術を使った五感を刺激するや、大人のダンス教室、俳優の養成など行っていて、貸しスタジオとしても利用できます。
市川 会社とお稽古場の運営、忙しい毎日をお過ごしですね。そして、1児の母でもいらっしゃる。
谷津 小学生4年生が1人おります。本当に子供がいてよかったなと神様に初めて感謝しています(笑)
市川 4年生は一番活発な頃ですね。
谷津 段々反抗期になってきました。
市川 谷津さんは生まれも育ちも中野で、現在もお仕事も、スタジオも、子育ても、全て中野坂上でいらっしゃるのですね。
谷津 はい。スタジオを借りる際も自宅から近い場所にしました。子育てしながらなので、自宅から離れるのは厳しいかなと思いまして。
谷津さんの子どもの頃、本町2丁目の住宅街に嘗て存在した商店街があった。街なかの商店街で、生鮮三品はもとより、全ての商品中野は暮らし易い街であったし、現在でもその伝統は引き継がれている。そんな中野坂上では街の近代化(再開発等)が進み、嘗ては地下鉄丸ノ内線新宿駅から中野坂上駅までの間に駅が増え、地下鉄大江戸線、首都高速中央環状線が開通する等、利便性の高まりと共に、ビジネス街へと変貌した。その変化には喜びと同時に一抹の寂しさを覚えるとも言う。
市川 生まれ育った中野坂上での小さいころの印象深い思い出は何かありますか?
谷津 商店街が賑やかでしたね。今はお蕎麦屋さんとクリーニング屋さんしかありませんが、当時は金物屋さんや文房具屋さん、お肉屋さんなど何でもありました。路地3つ分しかない小さい商店街でしたが、通りに行けば全て済みました。酒屋さんがあって、そこでお味噌を買っていたのを覚えています。そして、朝日ヶ丘公園と朝日が丘児童館で本当によく遊んでいました。今の子たちはあまり行かないですが、私はほぼ毎日通っていました。
市川 家の中にいるより、外で遊ぶことが多かったのですね。
谷津 遊具もたくさんありましたからね。新しい鉄棒技の練習を夕方暗くなるまでしていました。
市川 そうして、過ごしてきた中野坂上の街ですが、最近は雰囲気が変わってきましたね。特に感じる変化はどんなものでしょうか?
谷津 当時、新宿から中野坂上までは1駅でした。たったそれだけの距離で、こんなに素朴な街があるのかというのが印象的でしたね。近くに高層ビルが見えるのに、ここには下町。私にとってはそれが自慢でした。その後、大江戸線が出来て、何と言っても首都高が通り、オフィスビルが建ってからは、4月は新社会人の子たちがたくさんやってくるような、ビジネス街へと変わっていきました。一言で言うと、近代化されましたね。
市川 環状六号線はあんなに広い道じゃなかったですね。道幅が狭くて、ゴミゴミしていた印象があります。
谷津 昔は小さなお店がたくさんあったから、ゴミゴミしたように見えたのかもしれないですね。
市川 中野坂上の変化は本当に大きなものだと思います。近代化されて便利になった反面で、失ったものもあったでしょう。そのようなことも含めて、今後、街がこんな風になって欲しいなという思いはありますか?
谷津 私は中野には古い良さを残す街、新しいものも古いものも両方あるような街になって欲しいと思っています。中野の街が近代化されることはもちろん良いことではありますが、中野はまた、下町っぽいところも魅力だと思っていました。例えば、港区のように完全に都会化されていないところに味がありました。そんな昭和の雰囲気と未来を両方味わえる街にしてもらいたいと切に願っています。
再開発が進んでいる中野駅周辺もそんな下町の雰囲気を残せる街だと思っているので、忘れず、無くさないで欲しいと思っています。新旧文化の架け橋のように、タイムスリップできるような街を作ってもらいたいですね。
中野の街は新旧、都会と下町、未来の文化と昭和の文化が融合された街。「古い良さを残す街」とは谷津さんが生まれ、育ち、そして働く中野の街を言い得ている。今迄このコーナーに登場くださった方々が口を揃えて言う、山の手でありながら下町文化の香りがする街であるということにも通じるのであろう。
市川 「米国人一家、おいしい東京を食べ尽くす」という本も中野の下町がかなりクローズアップされていて、そこ出てくる飲み屋や焼鳥屋は大変魅力的です。だから下町文化を残したい。しかし、新しくしていかないと活力が生まれない、という間で街づくりは成されているのですね。
以前は、国が自治体への補助や助成は一律のばら撒き的な側面がありました。しかし、今は国も「私たちはこういうメニューでもって取り組みます」というビジョンを示す自治体に対して資金を出すようになりました。だから中野も独自のものを作り上げようと頑張っているのですが、そうやって作られる新しい良さというものがあまり走りすぎてしまうと、本来の中野が持ちえていた良さが失われてしまう心配をみなさん持っていらっしゃるようですね。
谷津 その心配はすごくあります。例えば、数年後にやってくる中野サンプラザの建て替えでも、変なビルが建ってしまったら嫌だなと思いますよ(笑) せっかくシンボリックな建物ですから、建て替えるなら、また中野のシンボルになるものでないと納得がいかないと感じるでしょうね。
市川 これは皆さん共通していて、中野サンプラザを建て替えるなら、今までと同じように、スカイツリーから見てもあそこが中野だとひと目で分かる建物にして欲しいと仰いますね。
谷津 サンプラザが見える=中野だとわかる、というような素敵なランドマークになって欲しいですね。だから、デザインにはこだわって欲しい。今、提案されている案はテンプレートのようなシルエットで、中野のことをちゃんと考えてくれているのだろうかと感じてしまって、ショックでしたね。
市川 デベロッパーやゼネコンは民間の事業者として採算を重視しますから、街の声をどこまで反映させられるかは、今後、如何に対話が進むかでしょう。既に中野の経済団体が主導して勉強会が開催されていますが、これも地元の独善的な方向に走るといけません。
現在挙がっている案を叩き台と捉えて、これから肉付けをして行かなければならないですから、あのプランのままということはないでしょう。時間都的な焦りを感じているようなところも見受けられるので、気を付けないといけないですね。
谷津 大事なことなので、じっくり考えて作って欲しいなと思いますね。
市川 谷津さんは、新しく建て替えるサンプラザ跡はどんな内容のものが良いと思われますか?
谷津 まず多目的に使えるホールは欲しいです。座席は固定ではなく可動式のものが良いですね。
個人的には、ショッピングモールのようなものがあればいいなと思っています。商店街への圧迫と言われてしまうかなとも思いますが、入るのであろうテナントが根本的に違うので、そこは気にしなくてもいいのかなと。後は水辺のある公園が欲しいなと思います。お天気の良い日に子供たちが遊べるような。近くに保育施設があればお母さんたちも来やすいのかなと思いますけど。
市川 もう1つ。中野坂上で生まれ、仕事をされている谷津さんです。中野駅周辺が変わっても、中野の隅々に移動できるバス網のような交通の便が機能しないと起爆剤とはなりません。そのことに経済界は目を付けているけれど、議会側はなかなか追いついていない現状があり、私はそれも課題に感じています。議会は各地域の代表なので、出身地域のことしかわからなくて、意外とローカル色が強いのです。谷津さんは、若手経済人として、その辺りはどのようにお感じでしょうか?
谷津 私も中野の真ん中が盛り上がることで、それが端々まで行き届くような開発をして欲しいと思っています。それ以上に、南方のエリアは北側の西武線のような鉄道がない分、置いてきぼりを感じています。もっと中野の南を盛り上げたいという気持ちにはなってしまいますね。
中心街のリニューアルが進む中野で、区全体の中にあって、特に大久保通りから南側一帯のまちづくりの遅れを指摘する。中野坂上交差点周辺や東中野駅周辺も近代化された街になった。しかし、その隣接地や後背地の用途地域の見直しは依然課題として残っている。
市川 その他で、これからの中野に対して感じられることや思うことはありますか?
谷津 中野は公園自体も少ないのですが、園内に遊具が少ないですね。防災公園だから仕方ないのかもしれませんが、面白い公園が中野には無いように思います。だから、週末には子供を連れて他区に行ってしまう。お母さんたちが可哀想だなと思うくらい。安全性を重視するあまりなのでしょうか。遊具がどんどんなくなってしまって…。
市川 事故が起きた時とかね。責任の所在が自治体に来るからなのでしょうが…、確かに仰る面はあると思います。
谷津 杉並区では公園に遊具がたくさんあります。足立区にはギャラクシティという施設があるのですが、子供用のボルタリングなどもあって、わざわざ足を運んだりしました。中野はまだそういった所に力を入れる意識が足りていないと感じます。一方で、中野区の公立の保育士さんの平均年齢は45歳らしいのですが、やはりみなさんプロフェッショナルだなと感じました。
市川 それはどういうことでしょうか?
谷津 以前、日曜保育をやっている施設に子供を連れて行ったのですが、民間経営の施設で若い保育士さんがいらしたのですが、結婚がきっかけであっという間に辞めてしまわれました。それで「ああ、こういうことか」と感じましたね。
若い保育士さんは泣いている子供を親から引き離すことを躊躇うなど、技術として足らないところが多いです。ベテランの保育士さんは慣れた感じでお母さんから子供を預かってくれるので、こちらとしても仕事に行きやすい。若い先生が子供と一緒に泣いちゃっているみたいなになると、気持ち的に仕事に行きづらいですよね。そして、その保育士さんがやっと慣れて、仕事としての技術が定着する前に辞めてしまう。
そういったところは民営よりも公立の施設は安心感があって、それは親にも子どもにも、とても大事なことだと痛感しました。公立ならではの時間的融通の利かなさもありましたが、個人的には本当に感謝しています。
市川 なるほど。保育園は整備が進みつつあります。とはいえ、保育園を必要な数だけ作ったら良いのかというと、少子化が進んでいるので、これから先には保育施設が今ほどは必要がなくなる時代がやって来ますから難しい問題ですね。
谷津 小学校の統合に関してはどう思われますか?あんなに保育園を作っていて、また周囲にも大きな新しいマンションが建って、そこで生まれた子供たちが大きくなった時に、小学校が受け入れきれるのかと心配しています。
市川 中野で最初に3校を統合した小学校は当初4学級や5学級の学年まであって鳴り物入りでした。でも、今は2学級か3学級に落ち着いています。統合したからと言って、学級数はそう増えません。でも、教室の数はきちっと揃えてあります。中学校でも、2校を統合した中野中学校では教室の数は1学年6教室用意してありますが、今は4クラスだけなので、キャパシティには余裕があります。そういった心配への手当はきちんとされていますよ。
谷津 それなら安心ですね。そういったことをハッキリと仰っていただける方が少ないように感じます。今日はそのお話を伺えただけでも良かったです。市川先生のように答えて下さる方がもっと多ければ、母親は安心できると思います。
市川 もし、中野区や区議会に期待したいことがあればおっしゃってください。
谷津 中野駅周辺の再開発には期待しています。デザイン的にもランドマークになる素敵な建物を建てて欲しいです。そして、子供を育てやすい街にして欲しいと思います。
市川 それには、家賃が割高という事も関係していますか?
谷津 家賃が高いというだけでなく、今は子育てができる物件さえもありません。広さを求めると更に値段が上がってしまします。夫婦2人や赤ちゃんまでは良いのですが、子供が大きくなると適した家が見つからなくなります。そこに行政の補助があれば…とか、建設業社や不動産会社と連携した施策は何かできないものかと思います。今のままでは、子供の成長に合わせて、他区に出て行ってしまう一方です。
市川 オーナー側にしてみれば、マンションやアパートは満室になってくれないと困るので、現在の中野の需要を考えると、単身者向けのワンルームになってしまうのでしょうね。
谷津 そうです。ただ、子どもが育て易い街を目指すのならば、どこかでそれを変えていかないと、繰り返しになってしまいます。これは、今後の中野の課題だと思います。
市川 保育施設もそうであるように、子育て環境も徐々に改善されていますが、選挙に投票するのは高齢者が多いので、やはり高齢者向けの政策が手厚くなる傾向は否めません。子育てをしている世代やこれから親になる世代にも、谷津さんのように、自分たちの今後に興味を持って欲しいですね。皆さん、国政には興味があるのですが、区や都になると興味の枠から外れてしまうようです。
谷津 確かに、若い世代が選挙に無関心にならないように、幼いころから選挙に対する認識や知識を教育の中に取り入れていくことが大事だと思います。もちろん、最低限の知識は学んではいますが、自分たちの1票がどう作用していくかまでしっかりとは教わりません。生活に直結する区政なら尚更です。
市川 仰るとおりですね。これはとても貴重な意見を伺いました。本日は、大変ありがとうございました。
働く母親として、仕事に、子育てに、そして経済団体での活動にと奔走されている谷津さんらしい鋭いお話を伺うことができた。子育ての問題は、保育施設から学校の教室数、更には住環境と多岐にわたる。それらを俯瞰的に見て、自身の経験も踏まえて語られる谷津さんのお言葉には確かな重みがある。
最終的に、やはり教育の現場に問題意識が帰着するのは、彼女自身の活動故のことだろう。もの言う子育て世代として、今後も活躍に期待すると共に、彼女のように問題意識を表現できる同世代が増えることを願ってやまない。
【過去のシリーズ】
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
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その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
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その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
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その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
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その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
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