昭和45年生まれの45歳。バリバリ働き盛りの杉山司さんは、元大手ITコンサルティング業という専門知識を活かし、ローカルWEBメディア「中野経済新聞」の編集長として、中野の最新情報を対外的に発信している。谷津かおりさん、深井弘之さんに続く、中野で活発に活躍する若手キーマンの1人である。ITに理解があり、中野在住でありながら、区外からの目線を持ち合わせている杉山さんからは、これから中野をブランディングしていくに当たって重要なヒントをいくつも提示していただけた。
市川 本日はよろしくお願い致します。杉山さんは、IT系のコンサルティング業の傍らで、「中野経済新聞」というメディアを運営されているという、たいへんユニークな活動をされていますね。
杉山 就職する時に、この会社ならばもしかしたら社長になれるかもしれないと思った企業を選び、大手のIT系に就職しました。面接の時に「経営企画がやりたい」と宣言して入社し、38歳で営業統括部長になったのですが、色々な理由もあり、「社長になれないな」と思っちゃったんですね(笑)。
市川 そして、退社されて第二の人生を歩み始めたのですね。
杉山 40歳直前に独立して、前職時代にイスラエルのIT製品を日本マーケットに投入するような仕事もしていたので、グローバルIT企業を作ったつもりでした。中国や香港、台湾などのマーケットに日本の商品を輸出したり、海外からの商品などを日本のマーケットに紹介したりするようなことを事業の中核としていました。仲良しの中国人と一緒に上海にも会社を作り、日本から中国、中国から日本という感じで、進出したい、取引したい企業向けに事業コンサルタントをやっていました。
市川 それは今日に至っているのですか?
杉山 今も細々と続けています。元々グローバルな会社を作りたいと思っていたので、今は香港や台湾に向けても事業を展開しようと考えています。
そんなことしていたら、中野コンテンツネットワーク協会という団体から、「中野のコンテンツを発信する事業をしたいので手を貸して欲しい」と相談を受けまして、ちょっと中野の街を見てみようと動いてみたのが、「中野経済新聞」に繋がった直接のきっかけです。
中野には15年ほど住んでいるのですが、10年目くらいまでは中野の事は全然見ていませんでした。自宅は東中野にあったんですが「家どこ?」と聞かれたら、西新宿とか北新宿とか答えるくらい、中野にはまったく興味が無かったんです。
市川 「中野」の響きに抵抗があったのです?(笑)
杉山 というか、単に住んで寝るだけで、本当に何も意識してなかったですね。それが、今まで目を向けなかった中野を眺めてみると「こんなに面白い街だのか!」と再発見しました。
その時に感じたのは、中野の情報が住んでいる自分にも伝わっていないじゃないかということです。しかも、中野は今からもの凄い進化を遂げるかもしれない可能性がありました。それなら、自分でアーカイブしていこうと思ったんです。変わっていく中野を記録し続けて、自分のように中野の事を知らない人たちに情報を届ける仕事をしようと思ったのが4年前です。
市川 中野を知らなかった人から見た中野の発信という視点が大事なところですね。
杉山 本当に何も知らなかったので、何もかも新鮮でした。僕みたいな人はたくさんいると思うので、そういう人に中野に興味を持ってもらえるように過去に培ってきたプロダクトマーケティングの要領で、シティマーケティングをやってみようと勝手に思って始めたのが「中野経済新聞」なんです。
中野に住み、区外で働き、あまり地元には関心がないという中野に住まう若者の典型だった杉山さんだが、今一度中野を見つめ始めたら、たいへん面白い街であることに気付いたという。しかし、同時に、中野に住んでいる人にすら、その良さや情報が伝わっていないことに気付いた。それならばと、経験を活かした、中野の情報のアーカイブ活動がが始まるのである。
市川 「中野経済新聞」は、完全に地元メディアではなくて「みんなの経済新聞ネットワーク」の一部であり、独特の立ち位置ですよね。
杉山 当時の中野地元メディアは「中野の情報を中野の人に伝える」というものが多かったんです。中野の情報を区外に発信するということは私が調べた限りやっていなくて、誰もやってないならやってしまえという感じで始めました。
この媒体を選んだ理由は、ネットワークの横の繋がりの強さが魅力的だったからです。隣接する練馬、新宿や沿線の吉祥寺、最近では杉並区全域を担当する「高円寺経済新聞」が立ち上がりました。そういった繋がりが全国に拡がっていて、自分の記事が北海道や石垣島の媒体に載ることもあるという仕組みが予め用意されていて、僕の目的と合致しました。
市川 なるほど。当初、中野は「新宿経済新聞」の担当エリアだったと聞きました。
杉山 そうです。「新宿経済新聞」が中野の事も書いていましたが、年に2~3本しか記事がなく、「そりゃあ中野の事を知らない訳だよ」と思いまして、中野の部分を私に預けていただきました。
市川 中野の人はあまり欲がないのですよね。駅周辺の商店街は賑わっているし、日中はお勤めに出ている人が多いから、他の人に中野に目を向けて欲しいと旺盛に思う人が少ない。そんなにシティセールスをする必要性が感じられなかったのですね。杉山さんはその中野に目を付けられた訳ですが、これまでは「ありえないこと」だったんですよね。
杉山 調べるほどに、中野の誇らしい部分は大量にある訳です。でも僕は1人だし、日々何をピックアップするのか悩みながらやっています。色んなネタが整理されずに大量にあるがゆえに「中野には何かあるぞ…」という面白さがあります。
市川 そういった雑多さは中野らしさではありますが、伝えづらい面もあると思います。杉山さんなりにどのような工夫をして発信されていますか?
杉山 各文化をそれぞれのレイヤーを作って整理していけば、理解しやすいのでは?と思ってFacebookページを20種類くらい運営しています。「中野特撮マニア」「中野つけ麺マニア」「中野ブロードウェイマニア」「中野写真文化マニア」など自分なりのレイヤーで切り取って情報をまとめてあげると、中野には興味ないけどつけ麺には興味あるという人も中野に注目する入口になるのではないかと思います。
僕個人のFacebookがつけ麺ばかりなのは、つけ麺を食べて紹介することで「中野がつけ麺発祥の地である」ことを知って貰いたいからです。「ラーメン」というレイヤーは膨大ですが、範囲を「つけ麺」に狭めることでエッジが立ちます。狭い範囲でもナンバーワンであるものを見せていくという事を今やっています。おかげで10kg以上太ってしまいましたが(笑)。
「中野人」でありながら、区外からの視点を持ち合わせている。そして、何よりITに精通しているという2つが、区内で活躍する他のキーマンとは違う杉山さんの最大の武器。ITコンサルティング業時代にも、海外商品を日本向けにローカライズにマーケティング的な側面から携わったという。その知見やインターネットの活用における情報の”当て勘”は、中野情報の発信においても遺憾なく発揮されている。
市川 意外と知られていないマニアックなものが中野には多くあります。それを掘り起こしている杉山さんなりの、中野の街の歩き方、面白いものの見つけ方というのはあるのでしょうか?
杉山 中野駅周辺は四つのエリアに分かれています。中野ブロードウェイやサンモールがある北口の商店街エリア、北口西側にできた新しい四季の都市(まち)エリア、なかのZERO周辺の文化エリア、南口マルイ本店の裏側に拡がる高級住宅街エリアが半径2km県内に凝縮されています。
市川 中野駅周辺の特徴的な街構成ですね。
杉山 そうです。そして、それとは別に、中央線沿線の東中野は日本全国に知名度があるお店が何件もあるんです。例えば「ポレポレ東中野」はエッジの立った映画しか上映しない映画館ですが、全国から映画ファンが集まります。昔懐かしいウルトラマンや天竜源一郎などのTシャツを作る「ハードコアチョコレート」は、店舗もありますが、全国からネット通販で買う人が多いお店です。一方で、歴史ある梅若能楽会館があったりして、尖ってナンボみたいな店が多い地域です。
市川 東中野は中野駅周辺とはずいぶん雰囲気が変わりますね。
杉山 東西だけでなく、南北でも違います。中野区は旧野方村と旧中野村がくっついてできた街で、西武新宿線沿線にあたる野方の人は「俺たちは中野じゃないぜ!」とでも言うような独自文化を作っているところも魅力だと思います。反対に、南中野の辺りまで行くと、今度は渋谷に近いせいもあって、DJブースのあるBARみたいなアンダーグラウンド感が中野文化と混ざっています。
市川 中野の街はつい中央線、総武線で見てしまいがちですが、北の西武新宿線、南の丸の内線も加えた東西に走る3つの鉄道の沿線に発展しているところに目を向けているのは流石ですね。
杉山 僕は、縦の移動ラインがない故に中野の文化はできているのではないかと思います。縦に繋がればもっと各地の文化が融合しているはずですが、それがない為に、少しずつ距離を置いて刺激しあって、中野全域を支えているのではないかと。
中野通りとJR中央線が仕切る十字によって、中野駅周辺は特徴的な4つのブロックが狭いエリアに同居する。こういった地元だからこそ持ちえる肌感は、杉山さんのフィルターを通して記事を見る人にもおそらく伝わっている。また、東中野には全国に知名度の高い店が多くあるという。話にある通り、区内の各ブロックが適度に距離が有ることに寄って多様性が育まれた一方で、1駅隣の情報が入りづらい面もある。それが一覧できるだけでも「中野経済新聞」は価値あるメディアと言って良かろう。
市川 確かに、中野は地域ごとに独特の文化を形成してきました。その結果、それぞれ利便性も高い街になっていると思います。それに沿って区内の情報を読み解くのは賢いやり方ですね。一方で、それ故の弱さもあると思います。杉山さんはどのように感じますか?
杉山 文化的に見ると、自分たちが良いと思うものを自分たちだけで消費している傾向があります。もっと他の人たちを巻き込んでも良いんじゃないでしょうか。
最近、区外から来た人が開催する中野駅周辺でのイベントが増えました。そこには他の区からの参加者も多いですが、中野のイベンターで同じような考え方をしている人はあまりいません。外から来る観客と、その人たちが持つ視点がないと新たな化学反応は起きません。僕がそういった新しいイベントを応援したいと思うのは、中野に外の空気が入って何かの融合が起きることを期待しているからです。
例えば、伝統的な氷川神社の例大祭があります。あれは凄いお祭りですよ。1つのお神輿に1人か2人は海外の方がいても良いと思います。でも、外国人の参加者はいません。まだまだ地域ごとに閉鎖的で、そこが弱点なんじゃないかと思います。
だから、僕が区内の良いものを発信していくことで、興味を持った人がもっと中野のイベントに入ってきてくれたら良いなと思います。知るきっかけを作るのはメディアの仕事です。うまく運べば地域そのものの発展や知名度向上にも繋がります。
市川 地域ごとの島意識が強いのは否めませんね。中野駅の南口側と北口側も対抗意識を持っていた時代がずっとありました。お祭りでも、元の神社は同じ氷川様なのに、南北でお神輿は別々です。先輩たちは「南と北が行き来するなんてもっての他だ!」と受け付けませんでした。だけど、お互いのお神輿がガードをくぐって往来するように、青年部同士で調整を進めたら、今ではそれが当たり前になりました。
今度は歩道上のガードレールの向こう側で見ているたくさんの人も巻き込みたいんですよ。私はその人たちの中にも、もし担げるならお神輿を担ぎたいと思っている人がいるはずだと思っています。そういう雰囲気作りをできることが、祭りが末永く続く秘訣だと思います。
杉山 これだけ大きい都心の祭りってそうはないですよね。その素晴らしさを内側に隠し持って、本当は凄いのに「自分たちだけの祭りだ!」という殻が邪魔になっているので、それを破壊できるつもりでやっています。
市川 杉山さんがお話を皆に聞かせたら喜びますよ。自分たちはそんな凄いお祭りだとは思ってないないですから。だけど、歴史をたどっていくと大宮にある氷川一宮から枝分かれしている歴史と由緒あるかなり規模の大きい神社なんです。その例大祭であるという意識は意外と低くて、そういう目で見くれている人がいるとは思っていません。
例えば、北野神社のお神輿は実に立派で総彫物です。浅草にある「宮本卯之助商店」というお神輿を作る商店の名人が作った最後のお神輿ですが、対外的にはあまり知られていません。だからどんどん書いてください。そしたら、私が皆に見せて回りますから(笑)。
杉山 外の人の参加というのは、興味をもって中に入ってくれるという事実が先で、外国人向けや観光客向けの環境づくりは後から付いてくるものです。僕は中野経済新聞を中国語で、weiboという中国版TwitterのようなSNSでも発信しています。せっかく新宿や秋葉原には中国人が大勢来ているのに、同じ沿線の中野に来ないのは何故だろうと思うからです。中野を訪れる外国人は欧米系が多いですが、中国や東アジアの人たちも中野に来るようになると、また何か新しいことが生まれるような気がしませんか?
本シリーズにおいて世代間の認識の違いを感じるテーマである。中野は受け入れることに寛容な街であり、それがこの雑多な文化を作ってきたことは間違いない。一度仲間になれば非常に厚遇するのである。一方で、そこに壁が存在しない訳ではない。中野の良さを発信し、興味を惹かれて来た人に対して、受け入れる側が最大限の努力を約束するというスタンスは、今後も多様性が魅力と言える街であり続ける為に、肝に銘じておきたい。
市川 外国の方はもちろんのこと、日本全国から来た人を迎えられる素地作りをしていかないといけませんね。その中にはソフト面の努力と、ハード面の整備があります。ハード面では、これから中野サンプラザと区役所の一体開発があります。この機会、どう生かせば良いでしょうか?
杉山 中野駅周辺を東西南北に自由に移動できるようには、最低でもして欲しいですね。マルイがある中野3丁目から区役所や四季の都市の4丁目に抜ける道は計画されていると聞きます。加えて、なかのZEROがある2丁目から北口商店街のある5丁目にも直接抜けられる道が1つも無い状況も改善されるべきだと思います。
その上で、駅のすぐ傍で音が鳴らせて、青空の下でイベントができるエリアは確保していただきたいと思っています。既に工事に入っている中野駅北口の暫定広場は、駅から近いオープンスペースという条件がヒットして、近年のイベントの盛り上がりのきっかけになりました。
市川 暫定広場は駅前の賑わい作りに随分と貢献しましたね。その役割は、中野区役所エントランス前広場を整備して引き継がれました。その区役所・中野サンプラザ跡地についてはいかがでしょう?
杉山 サンプラザは中野の象徴でもあるので、この三角形を活かして、いっそ中野に新しく建てるビルはすべて角を落として、斜面にするレギュレーションにするとか、どうでしょうね(笑)。
市川 サンプラザの形は東京スカイツリーの展望台から見てもすぐわかりますからね。いろいろと面白いお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。最後に、中野区や区議会に期待したいことはありますか?
杉山 中野には世界に通じる程のものがないと思っている方が、まだいらっしゃいますが、実はたくさんあります。たとえ今は全国2位のものでも、よりマニアックにカテゴリーを狭めたらナンバーワンになれるかもしれません。戦う範囲を狭めてあげるだけで1番になれるものが、中野にはいくつもあります。それに蓋をしないで、ちゃんと押し上げてあげられるような環境作りをしてもらいたいですね。
市川 ありがとうございます。今あるものの見せ方を変えて発信の仕方を工夫するというのは、メディアを運営されている杉山さんならではの視点だと思います。今後の活躍にも期待しています。
中野サンプラザの特徴的な三角形は世代を問わず中野の象徴であるようだ。年間20万人と言わず、より大勢の観光客が今後も日本を訪れ、スカイツリーから東京を眺めることだろう。そこで、「アレが中野だ!」と人目でわかるサンプラザの存在はやはり大きい。
それだけでなく、中野には全国、全世界で勝負できるマニアックなものが多くある。それをただ磨くだけでなく、発信する際の見せ方を一般的なカテゴリーからマニアックなカテゴリーで扱うことで、そのままナンバーワンにしてしまうというのは、素朴で愚直な中野の人にはなかった、新しい世代の物の見方に思えた。今後も、画期的な切り口で、ドンドンと中野を発信していく杉山さんと「中野経済新聞」に期待したい。
【過去のシリーズ】
その9:深井弘之(株式会社ナカノF / 中野区観光協会 事務局長)
その8:谷津かおり(株式会社オフィスエル・アール代表取締役/中野21の会会長)
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]