前回、「中野経済新聞」の杉山さんからご紹介いただいたのは、同世代で働き盛り、鷺宮商明会商店街を中心に中野区商店街連合会(区商連)でも活躍する田中章生さん。生まれも育ちも鷺宮というこれからの商店街を牽引するホープである。数多ある中野の商店街を、戦後の復興期に立ち上げた世代から、バトンを受け継いで再活性化させるという、中野に限らない全国的なテーマに正面から取り組み、精力的に活動する田中さんから、区内の商店街のリアルな話を伺った。
市川 本日はよろしくお願いします。田中さんは、鷺宮商店街を中心に活躍されていますが、元々お生まれも鷺宮なのですか?
田中 そうです。昭和46年生まれで、両親が化粧品店、祖父が米屋をやっていました。お店は僕の代で止めてしまって、今は地元の先輩の不動産屋で働いています。
市川 昭和46年といったら万博を知らない世代ですね。
田中 知らないですね。以前の、東京オリンピックも体験していません。
市川 では、商店街でも若い世代としてご活躍のことと思います。それでも、鷺宮の街はだいぶ変わったと思うのですが、その変化をどんな風に感じていらっしゃいますか?
田中 敢えて悪い言い方をすれば活気がなくなりました。鷺宮商店街に携わって16年くらい経ちますが、後継者不在で昔ながらの商店が一軒二軒と止めています。僕も止めてしまったのですが、店を止めると街での活動自体も辞めてしまう方も増えて、コミュニティとしての繋がりが減ってしまう現実を16年間見て来ました。僕の父は79歳なのですが、70歳を過ぎると街での活動はさすがに難しく、とりわけその世代が元気だったものですから、彼らの引退に合わせて大きな波が引いた感じがしました。今の鷺宮商店街の青年部は約15名おります。その15名で街を何とか活性化したいと日々活動しています。
市川 中心になる商店街の若手のメンバーが減っている、と。
田中 そうですね。メンバーを増やすメドはなかなかないです。逆に、そのくらいの人数だとお互いに意見をまとめやすいという面もあります。人数が多いと割れてしまいますから。それ以外に、いざ何かやろうとういう時に協力してくれる大学生ボランティアや地域の方もいて、鷺宮商店街を盛り上げよう頑張っているのですが、結果を出すために何が正しいか見つけるのはなかなか難しいですね。
市川 それは正解がない問いですからね。
田中 最終的には地域の人が行って楽しい店や便利な店が揃わないと良くなったという実感はないのだと思います。しかしながら、僕らに実際できることは、まずは商店街に賑わいを持たせることです。そうして、鷺宮商店街を変えるには、市川さんを始めとした区の他のエリアの方と交流を持たせていただくのも、1つの重要なことだと思って、意識的に鷺宮の外にも出て活動するようにしています。
「商店街活性化」と一口に言っても、それは一朝一夕の話ではない。その為には最終的な成功の到達点を描くことと、今解決すべき課題に地道に活動に取り組む胆力が必要となる。後者の課題は、やはり後継者不足であり、ひいては個別商店ではなく商店街全体として活躍できる人材の不足であろう。そういった中で、積極的に地域外に足を運んで、知見を取り入れようとする田中さんには頭が下がる思いである。
市川 鷺宮商明会では、区商連が実施している「中野にぎわいフェスタ」にも参加されていますね。田中さんの役割はどういったものなのでしょう?
田中 「中野にぎわいフェスタ」では、今年から僕は鷺宮商明会ではなく、区商連の青年部長として関わっています。鷺宮商店街では『さぎプレ』という地域情報誌を年に3回発行したり、昨年からは「まちバル」も始めたりしています。4年前には”さぎプー”という商店街のキャラクターを作って、その着ぐるみと一緒に様々な場所でPR活動もしています。「中野にぎわいフェスタ」や成人式など区内のイベントにはよく出さていただいています。
市川 確かに、ここ数年でよく鷺宮商明会の名前を見るようになりましたね。
田中 “さぎプー”が生まれてからは外から声がかかることも増えました。昨年は東京都のイベントに出させていただいたり、中野でも四季の都市(まち)にできた明治大学に呼んでいただいたりしました。
市川 キャラクターが他と交流するきっかけになっているのですね。
田中 そうですね。”サギプー”がきっかけになって、鷺宮のメンバーが中野駅周辺にも出てくる機会に恵まれました。
市川 交流といえば、2020年の東京オリンピックでは海外からたくさんの方が東京にやってきますね。商店街としても観光客取り込みの機会ですが、それを見据えて考えていることはありますか?
田中 鷺宮は外国の方が多い地域でもあります。先日、宮島さん(中野区観光協会)と雑談中ですが、色んな商店街の外国語マップを早稲田大学の留学生らと一緒に作って、商店街が観光スポットになるような仕掛けができたらいいなというような話をしました。昔ながらの商店街というのは日本独特のもので、日本人にとっては珍しくなくても、外国人の方が見たら各商店街が全部違うアトラクションになるのだとか。
市川 商店街を一つの観光資源にするということですね。そうすると中野区にたくさんの観光資源ができますね。
田中 外国の方も言葉は分からないと身構えますが、中野区観光協会が外国語でマップを作ったよ!あれば、行ってみようと思う外国人も増えるはずです。ブロードウェイ商店街などでは既に対応できていますが、各商店街も努力して外国語の表示を作ったりして、商店だけではできないことを青年部で活動できたら素晴らしいと思います。もちろん、あくまで1つの案ですがね。
市川 役割分担をして、鷺宮や中野の良さをアピールしていくと。では、東京の他の街と比べて、中野の違いや魅力って何でしょうか?
田中 すごく感じるのは、人情深さ。粋で格好いい人たちが住んでいる町だと思いますね。かといって、浅草辺りとも違う。
市川 みんなそう言いますね(笑)。下町ではないけど人情深いと。
田中 よく言う、よそ者、若者というワードがありますけども、鷺宮でもそれ然りです。商店街組合の中心的なスタッフにも中野出身じゃない人がいます。もっとシティ的な、小洒落た街では一杯飲んだからと言って翌日から挨拶を交わす仲にはならないですよ。
市川 中野の中ではよく聞く話ですね。そういう舞台が用意されているのですよね。
中野区内には単位商店街や区商連以外にも、地域の活性化の為に活動している団体がいくつかあり、何度かこのシリーズにも登場していただいている中野区観光協会もその1つ。オリンピックを商店街活性化の契機と捉えて、しかし商店街だけでは難しい事業をそれらの団体と連携して行おうというのは、若手世代ならではの柔軟さと言えよう。人手不足は他団体との連携で補う。この視点は今後ますます重要になってくる。
市川 反対に、田中さんが感じられる中野の弱点はどこだと思いますか?
田中 賑わい作りのためのイベントなどでの話は多いですが、将来を見据えた話ができていないのが弱点というか欠点かもしれません。例えば商店街に携わっている者の観点から見れば、やはり商店街の衰退が止まってはいません。現実的には、なかなか街を盛り上げる答えや、僕らがよって立つべき土台がなく、手探りで出来ることをやっているというのが現状です。16年携わってもやはり街を良い方向に変えられているという自信はまだありません。先輩方の声も聴きながら、地元にだけいたのではこの答えは出ないと思いますので、こういう機会を通じて色んな方と話して、勉強する事で新たな道を見出したいと思います。
改めてこうして話をすると様々な意見があるのがわかって、鷺宮商店街のメンバー間でも次はどういうイベントをやろうかという話にはなるものの、街自体をどうしていきたいかというディスカッションには欠けていたと感じます。
市川 中心メンバーの方々の悩みは尽きないとお察しします。
田中 鷺宮商店街だけでなく、区商連の青年部長になった今の悩みは、将来の青年部メンバーが数人しかいないことです。そのせいで、中野にはたくさんの商店街がありますが、その横の連携がなかなか取れてないのが現状です。僕としては、各商店街の若手同士でコミュニケーションが取れる会にもう一度戻さなければいけないと思っています。
法人会青年部や、東京商工会議所中野支部の若手が集まる21の会にも横並びで呼ばれるのですが、組織としては商店街の方が資金もあり、裾野のメンバーも多いはずなのですが、みんな商店の仕事をして、地元商店街の仕事をして、その先に更に区商連の…となると、なかなかそこまでは手が回らないというのも分かってはいるのですが、商店街の若手として中野区の中で活動できるとか、区商連青年部に出てきたことで色んな方とお会いして成長できたと思っているので、そういったメンバーを少しでも増やしたいなと思っています。
市川 商工会議所や法人会、観光協会など様々な経済団体がありますでしょ。その中で中野区民の意識を一番キャッチできているのは区商連ですよ。元々街に根を張っているわけですから。そこが経営者が集まっている団体と商店主が集まっている団体の違いです。ぜひ、そういった組織の人が中心的なメンバーになって頑張って欲しいですね。何か、中野区や区議会が力になれることはあるでしょうか?
田中 中野区は行政主導で色々なことを決めたり、動かしたり、作ったりすることが多いですが、民間は民間で中野を盛り上げようという機運があり、区長を中心に中野駅周辺を再開発しようというのとはまた違ったベクトルであるような気がします。
例えば、昨年10月~11月は区が開催するもの、民間が開催するものが入り乱れて、毎週のように中野駅前でイベントが開催されましたが、中野区が何をどう盛り上げたいかということとのコミュニケーションは十分とは言えません。内情は色々あるのでしょうが、中野を盛り上げたいという同じ思いがあるわけですから、もうちょっと手を取り合えないものかと。企画にしても、予算組にしても、もう少し柔軟に構えていただいて、一緒に盛り上げていただけたらと思います。
田中さんがたびたび口にする横のつながりの強化。そして、連携といえば世代間を繋ぐ縦の連携、そして民間と行政との連携も欠かせない。人こそが魅力といえる中野にあって、立体的な人の繋がりできて、若い世代が活躍できる土台として機能した時こそ、新たな中野の商店街文化が花開く。そのことを我々は肝に銘じておくべきである。
市川 鷺宮は田中さんの故郷でありますが、鷺宮の街やひいては中野の街がこうなったら良いなと思うことはありますか?
田中 西武新宿線を新井薬師から地下化する計画が決定されましたが、先に高架化された池袋線は沿線の価値が上がって、街の評価自体も上昇しました。新宿線沿線もゆくゆくはそうなって欲しいと思いますね。
市川 沿線には街、文化ができますから、沿線単位での活性化というのは大事な視点ですね。
田中 はい。その一方で、沿線だけでなく、鷺宮は「中野の中の鷺宮」だと思っていますので、皆さんがお持ちの中野の良さ、例えば親しみやすいことや都心に近いのに都会っぽくないこと、そういう中野ならではの良さもまた大事にして良いのではないかと思っています。
中野駅周辺は再開発があり、「シティ」的な街にこれから生まれ変わって行くことが想像できます。その時に、鷺宮にもビルもばんばん建てたいかというと、そういうことはなくて、昔と変わらず人の輪もあってコミュニティもある、中野らしい街でありたいです。住んでいる人たちのコミュニティがしっかりあって、理想としてはその中に商店街があって、近所の人と顔をみて会話ができるような街になれば良いなと思います。
市川 今おっしゃられた鷺宮の良さ、コミュニティというのは、住宅街としての魅力ということでしょうか?
田中 そうです。ご近所付き合いがあって、その中に商店があって。僕らにできるのはそういう街づくりではないかと思います。
市川 それにはコミュニケーションの場となる商店街がかなり頑張らないといけませんね。
田中 そう思いますね。地元だけでもやもやしていると挫けそうになってしまうので、地方の商店街を視察に行く機会もあります。苦戦しながらも知恵を出して頑張っている姿を見ると、もうちょっと頑張れるんじゃないかなと勇気づけられます。
市川 視察に行くとたくさん刺激を受けられるのはよく分かります。
田中 しょっちゅう行くことはできないものの、全国商店街振興組合連合会という組織の全国大会が夏にありまして、スケジュールが合えば参加するようにしています。昨年は松山に行って、様々な商店街やアーケード、温泉街の取り組みを見たり、向こうの青年部とコミュニケーションを取ったりして、刺激を受けました。
市川 私は中野駅周辺ばかりが良くなっても仕方ないのだという旨の発言をよくするんです。当然、中野駅周辺の開発は重要です。しかし、先に山手通りの再開発がされた中野坂上は都心の中央環状線が完成して、羽田までのアクセスが良くなりました。東中野駅前も広場ができて、タワーマンションが建ちました。
次に、西武新宿線に目を向けると、鷺宮駅は西武新宿線の中でも急行が止まる主要駅です。そういう主要駅、例えば鷺宮駅、野方駅、東中野駅、中野坂上駅、そして中野駅の5駅くらいを街の核として、今は中野駅周辺に集中していることの中で、何がそうなるかは分からないけれども、そういう中心になる街の街づくりに活かせることがあるだろうと。
今挙げた東中野、野方、鷺宮は区議会でも特別委員会を作って駅を中心にした街づくりを検討しました。鷺宮にも重きを置いているわけです。それはなぜかというと、我々中野駅周辺から見たら、鷺宮という響きがやはり山の手の街みたいに感じるんです。勝手な見方かもしれませんが、鷺宮には大衆的なだけではない、ちょっと高尚な文化を感じるんです。自由が丘やひばりが丘のような街づくりをしたら、鷺宮は発展するのではないかなというのが私のイメージです。
田中さんたちが思っているものの中に、先ほどおっしゃった親しみやすく、都心なのに近い昔と変わらない町をもう一度再建したいという思いがありましたけれど、そういったことの中にも、基本コンセプトみたいのを作ると良いと思いますよ。
田中 商店街でもやっぱり僕らが動かなきゃいけないはずです。でも、地域をどうするかなどの街づくりに関わる会合には、まだ僕らの父親世代が集まっているのが現実です。野方の踏切問題の解消の集まりにも行きましたが、市川さんよりもっと上の世代が一生懸命に話し合いをされていました。将来を決めるのであれば、僕ら現役世代がそこに入って、僕らがどうしたいのか、将来子供を住ませたい街がどうかを発言する必要があります。僕らは商店街が中心に集まっているメンバーですが、地域コミュニティとして、街を変えるための中心メンバーでありたいと思いますね。
市川 中野は商店街と共に街が発展してきました。取り立てて、大企業があるわけじゃないし、町工場があるわけでもない。やっぱり商店街ですよ。私はね、中野の地名の中で鷺宮が一番好きなの。鷺という縁起のいい鳥とお宮の宮が入っているなんて、とても格好いいじゃないですか!
中野に限らず、商店街の活性化は難しく、しかし非常に重要な、まさに地方創世の要ともいえる課題である。しかし、後継者不足から当事者が高齢化し、それが更なる活力の減退に繋がっている面は否めない。若い人に活躍の場を!と思いつつも、無意識に任せきれていない面も無いとは言い切れない。そういった中に於いて、田中さんの肩に背負って立つ気概を見せてくれる青年は貴重な存在だ。ぜひ、そういった若手のネットワークを築いて中野を盛り上げていって欲しいと期待するばかりである。
次回も、そんな田中さんから紹介いただいた商店街の若手にご登場いただけることが決まっているので、どんな話が伺えるのか、ご期待いただきたい。
【過去のシリーズ】
その10:杉山司(中野経済新聞 編集長)
その9:深井弘之(株式会社ナカノF / 中野区観光協会 事務局長)
その8:谷津かおり(株式会社オフィスエル・アール代表取締役/中野21の会会長)
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]