様々なイベントに追われてしばらく間が空いてしまい「次はどなたですか?」と質問されることも多かった本シリーズ。久しぶりの再開には鷺宮商明会商店街の田中章夫さんからご紹介いただいた、山本祥三さんにご登場願った。若くして飲食の現場からたたき上げ、長らく中野のお酒の卸として有名な広島屋に勤務しつつ、商店街切手の若手としてリーダーシップを発揮してきた山本さん。これまでにご登場いただいた中でもとりわけ現場に近い視点から、中野に対する様々な想いを伺った。
市川 山本さんは、中野のお生まれで、今でも中野で活躍していらっしゃる。
山本 1976年の生まれで、小さいころは桃園小学校の裏手に住んでいました。高校受験はせず、服部栄養専門学校に行って調理師免許を取得して、飲食業界に入りたくて四谷にある福田屋という料亭でしばらく務めました。
市川 なるほど。中野で働くようになった経緯はどのようなものですか?
山本 福田屋に納品に来ていた酒屋さんの方に仲良くしていただいていました。当初は料理人になりたかったのですが、酒屋さんなら飲食店の方とも話をしながら楽しく仕事ができるのではないかと思って、転職の際に広島屋にアルバイトとして入社しました。
市川 それがまだ16歳の時というのだから、驚きです。それ以来ずっと広島屋さんに?
山本 そうです。社長も社長の奥様もとてもかわいがって下さったので、ここで頑張ってみようと思って22年、広島屋で育てて貰いました。
市川 なるほど。そういったご経験からなのか、山本さんからは現場主義の魂を感じます。明治維新で富国強兵政策をとった当時の教育の中には「五育」というものがあったそうですね。知育、体育、徳育、食育、才育の1つで、中でも才育を重視したそうですよ。これはつまり「手に職」を付けることで、いわゆる職業専門学校のことです。それ以前は徒弟制度があり親方に師事して手に職を付けました。それを専門学校、職業訓練校を作って育てようというのでとても重要視されていたそうですよ。今の山本さんのお話を聞いて、才育の話を思い出しました。
若くして現場に入った山本さんは、お酒の卸を中心に中野区内の数多くのかかわりを持つ広島屋に入社し、そこで半生を過ごされている。その中で培った経験や人の縁から徐々に商店街での活動にも存在感を発揮するようになる。中でも、区内のキーマンとして彼の名前が知られるようになった「まちバル」について伺った。
市川 そうして中野に根付いた山本さんは、今や商店街で大活躍されていますね。今、力を入れていることはどんなことでしょうか?
山本 今は「まちバル」の実行委員長という大役を仰せつかっています。
市川 「まちバル」は最近よく聞くキーワードですね。まず、この「まちバル」というのがどういう企画かご説明いただけますか?
山本 「まちバル」は、お客様にまず先に飲食店で使える4~5枚の綴りのチケットを買っていただいて、それを持ってお店にいくとドリンクやフードの1品と交換できるという企画です。チケットは1枚7~800円くらいの金額で、複数の店舗で使用できる為、参加者はついはしご酒をしたくなります。
市川 チケット1綴りが5000円以内で収まるようになっているわけですね。お酒を飲む人の心理として一杯飲むと二杯飲みたくなりますね。そして、二杯飲むと三杯飲まないとキリが良くないみたいな気分になり…
山本 おっしゃる通りです。普段から気になっていても入る機会の無かった店にも足を延ばしたり、入店の敷居を下げることになります。1日4軒回ると、居酒屋、BAR、小料理屋におしゃれなスペイン系のお店なんかにも行けて、この街は面白いなあと思ってもらえる。
市川 気軽に入れることで、新しい馴染みのお客さんが増えるかもしれない。
山本 以前に鷺宮で開催した時は、不運にも2日間の開催日の両日ともが雨天だったにも関わらず、お店を予約された方はほぼ全員いらっしゃったそうです。お酒の力は凄いんだなというのを改めて実感しました。
市川 中野では、中野南口駅前商店街会長の吉田さん始められたそうですが、その後、どういった経緯で山本さんが実働されるようになったのでしょう?
山本 広島屋の専務も飲食業を盛り上げるために何ができるか常々考えており、情報を集める中で「まちバル」という企画を知りました。ちょうどその頃、中野区観光協会が立ち上がって区内のマップ作りをするというのでお手伝いしました。吉田さんが音頭を取られて一緒にマップ作りをしていた時に、ちょうど僕らのバルイベントをやりたくて、吉田さんもバルイベントがきる人を探していたので「じゃあ、やりましょう」と。
市川 「まちバル」は色々な商店街で開催されていますね。中野区内ではどれくらいの規模や頻度でやっているのでしょうか?
山本 今年は4月に鍋横商店街、5月に中野駅南口商店街、6月に鷺宮商明会と毎月開催されています。他の商店街でもやりたいという声がありながらも、スタッフ不足などの問題で実現に至らなかった場所もあります。僕たちの目標としては、中野にある10ブロックの商店街全てで開催して、区内を巡回していくようなバルイベントにしていきたいです。
市川 「まちバル」がこれだけ開催されている、魅力的とは何でしょうか?
山本 今まで飲食店が主役になる商店街のイベントってあまり多くありませんでした。鷺宮商明会の田中章夫さんにも言われていたのですが、どこかにステージを設けて集客した場所に露店を出して間接的にPRすることはあっても、飲食店に呼び込む企画は無かった。だから「まちバル」は飲食店からの評判が良いです。
「町おこし」や「にぎわい創出」として催される企画、イベントは数多い。しかし、その多くが街の中心地に大勢の人を集めることを目的としており、来街者が個別の店舗にまで足を延ばすかどうかは商店街や個々のお店の自助努力に任せられる。そういった中で、「まちバル」は店が主役となり、来街者=来店者となる。飲食店こそが街の魅力ともいえるここ中野において、この差は非常に大きい。「お酒」で店と繋がった山本さんにとって、「お酒」で店と新たなお客さんを繋げるという発想も自然なものだったのだろう。
市川 山本さんは中野のいろんなお店にお酒を卸す仕事を長くされている訳ですが、そんな山本さんの目から見たお勧めの店や、注目している場所はありますか?
山本 1つ挙げるとしたら洋風のお店が増えてきたレンガ坂でしょうか。レンガ坂の登場で、中野駅の北側は昔ながらの飲み屋街で、南側の方が若干単価は上がるけれど、おしゃれな洋風なお店という住み分けができてきました。通りを歩いていたお勤めの方が「ここは給料日に来るところだよね」と仰っていたくらいには、イメージができているようですね。
市川 中野駅の北と南では少し文化の違いがあって、北は少し荒っぽいけど人情がある、南は同じ人情でも上品な感じがしますね。それには街の成り立ちも関係があると私は思っています。
今から50年近く前に公社住宅ができて、入居したのはみんなホワイトカラーでした。中央線に乗って丸の内に勤めている様な方々ですね。そういう所の姉弟が線路の南側の桃ケ丘小学校に通っていた訳ですが、学校の周辺には銀行の社宅や警察の官舎があって、こちらも生活レベルの高い人たちが多かった。
私が生まれ育った北口はというと、飲食店街でバーやスナックも多く、2階が住まいになっていて1階のお店で親がお客さんの相手をしているというような家庭も多かった。そこの子たちも桃ケ丘小学校に通っていたので、全然違う生活をしている子供たちが一緒になっていました。狭いエリアに色んな文化が同居している中野を象徴しているようでした。私も、友だちの誕生日会で家に行った時にリビングとダイニングが分かれていたり、紅茶とケーキが出てきたりと言うのが珍しくて、「全然ウチと違うな~!」と驚いたのを覚えています(笑)。
山本 中央線沿いの街並みを見ていると、どこもだんだん似てきているように感じます。だからこそ、中野はそうなって欲しくないということがまずあります。駅周辺の再開発が控えており、もちろん開発されて便利になるのは良いことです。ただ、街は一度壊してしまうと、綺麗な建物は作れても、同じ歴史は二度と作れません。例えば、中野サンプラザを壊すのは仕方ないことですが、建物が新しくなっても、中野サンプラザの歴史の中にあった何かを残して欲しいと思います。
市川 それは中野らしさというものでしょうか?
山本 そうですね。僕らも、育ってきて中野が好きという思いがあるので、ありきたりな街にはなって欲しくないですね。
狭い空間に様々な文化が同居しているのは中野駅周辺の大きな特徴である。また、電車で一駅のところには巨大なビジネス街、繁華街を有する新宿があり。大規模再開発の真っ只中にある中野にとってこれらの地理的条件は今後ますます重要になってくる。その中で中野が個性を発揮すべき「らしさ」について、ここでも山本さんの希望はやはり現場目線からであった。
市川 一つの切り口として、先に開発が完了した四季の都市の施設ができて昼間の人口が2万人増えました。将来的には5万人になると推計されています。ただ、どれだけ人が増えてもそれを受け入れる街のキャパシティには限界があります。実際、「ランチ難民」という言葉が、施設が稼働しはじめてすぐに出てきました。
新しい施設ができたら、飲食は施設内に開業したお店と街に元からあるお店で回すしか方法がありません。特に中野は繁華街から一つ筋を入るだけで高級住宅街になっているという特性もあって、容易に飲食店の数を増やせません。決められたゾーンの中での受け入れられるキャパシティは限界があるので、どんなに大きな施設を作っても、それが全て中野の街の消費に繋げられるかと言ったら、僕は少し疑問に思います。
山本 確かに受け皿は足りていないと思います。飲食に関していえば、空きが出た不動産には軒並み飲食店入るくらいですが、何千という人数を捌けるほどではありません。「あの床屋さんが飲み屋さんになったよね」とか、まだそういうレベルです。
市川 観光協会がマップ作りをしている中でもランチマップを作って少し離れていてまだ知られていないお店に少しでも誘客できるようにしようとしている。しかし、それでも入り切らないそうです。やはり人が2万人増えても店舗数が同じだけ増えている訳ではないですから。ですから、新しい施設を作れば、その分だけ人が溢れることになるでしょう。
昼間人口を増やすのは消費を喚起して街の経済活性化に繋がるとみんな口々に言うけれど、私は本当に中野の街がそれだけのキャパシティをもっているのかなといつも思っています。ちゃんと街の身の丈に合ったものを作って、それがうまく機能することが良いことだと思います。
山本 私も新宿や渋谷に正面からぶつかるのが正解じゃないと思っているので、自分たちの良さを際立たせる「中野ってこういう街だよね!」というのをもっと色濃くした方が街の魅力は更に上がると思います。
中野は昔ながらの飲食店などがひしめく北口や、雰囲気の異なるレンガ坂をはじめとする南口の商店街がとても魅力的です。そういった味わいを残しながら開発していかないと、お隣のもっと大きな街に全部持っていかれてしまいます。今の中野にはせっかく際立った魅力があるので、そこを維持しながら開発をしていかないといけないと思いますよね。
市川 中野のすぐ隣には新宿、渋谷、池袋といった大繁華街があって、そこにはキャパシティでは太刀打ちできないですよね。当然、そのことも考えて、相応しいものを作っていかないといけませんね。
中野にあって他にないものは何か。シンプルであるが見落としがちな視点である。近隣に大繁華街が存在する中野は、いくらそれ単体が魅力的であっても、近隣都市との比較無しに判断することはできない。それが新宿、渋谷、池袋などにもある当たり前な魅力の縮小再生産では活性化として意味をなさない。ましては、街のキャパシティを無視した拡大も意味はない。街に合った、しかし誰もがうらやむ魅力を見出す力こそが、今後の若きリーダーの資質といえるだろう。
市川 2020年の東京オリンピックに向けて、色んな地域が準備を始めています。中野区観光協会などでもそれは視野に入れているようです。山本さんの周囲でもオリンピックに向けた具体的な話は出ていますか?
山本 まだ出ていませんね。インバウンド対応として多言語化をどうにか進めようと話はしていますが、それくらいです。挙がっている懸案には目を向けていますが、まだ現実的に取り組むまでには、煮詰まっていません。
市川 元々、中野は観光都市ではありません。美味しい食べ物屋さんが点在していて、会社帰りに一杯やって帰るというような人たちを相手にしていた中野の飲食店が中心ですから、情報も整っていない。外国人観光客用のガイドマップの中に「NAKANO」として紹介されるページもありますよね。そこにそういった街並みが出てきたり、中野ブロードウェイが紹介されたりしますよね。だけれど、わざわざ観光バスで来てみるような場所ではない。
山本 やはり浅草寺には勝てません。僕が思うに、中野では北口の飲み屋街が一番強いコンテンツです。もちろん歌舞伎町にも飲み屋はたくさんありますが、横丁的な昔ながらの店があれだけの規模で広がっている街は他にはありません。
市川 中野ブロードウェイが今はオタク系文化が詰まっているから、秋葉原にも行くようなお客さんの流れは確かにあります。しかし、もっと大きな層を見てみると、中野の街に求められているのは北口の昭和っぽい居酒屋やちょっと洒落た南口のレンガ坂のような街並みというのが中野らしさを生み出しているのかなと思います。
山本 里まち連携で提携している産地の自治体も、中野ならもっと売れるのではないかと力を入れてくれます。他の地域から見ても中野はそういうポテンシャルが見えているのだと思います。“古き良きもの”は他がやろうと思っても何十年もかからないとできないものなので、これは既に1つの武器です。
四季の都市もキリンやクリタ工業といった大企業が入居するオフィスビルにしては中野らしいアットホームな雰囲気があります。ベビーカーを押している人がオフィスビルのエントランスを歩いているなど、他では絶対にない風景を見ることができます。どう作ったと思っても、庶民的な方に流れていくんだと思うんです(笑)。
市川 話が戻るようだけど、だから、中野サンプラザと区役所の一体整備というのは、大きな哀愁があってサンプラザを壊さないで欲しいという人も多いですよね。もし立て替えるならあの三角形を残して欲しいという人も多い。けれども、この限られた2ヘクタールの中でやりくりを考えるのだから現実的なことを見ていかなくてはならない。
山本 そうですね。例えば、サンプラザだと、僕はホールを残して欲しいと思っています。三角形って面白いですが、床面積の構造上が無理だと思うんです。ですから、ライブの思い出を持っている人がすごくたくさんいるホールは今のままで、「ビルは変わったけれど、ここはサンプラザだ」と思えるような赤い階段があるあの感じを再現して欲しいですね。
市川 再開発法という法律の改正があって、従前の建物で歴史的、文化的価値のあるものを保存することが可能になってきました。その事例として、金沢の近江市場の再開発があります。近江市場の雑然としたエリア内に有名な建築家が設計した古い銀行の建物があって、これは絶対に残したいと市民からの要望がありました。再開発後の新しい施設の建設予定地がこの銀行と位置が被ってしまって、このままで着手できないというので、銀行を曳家で移動させることで、古い銀行を街並の中に入れ込んだ景観を実現しました。
山本 そういう事例こそ参考にして欲しいですね。きれいに建て替わってしまうのであれば、何か歴史を残して欲しい。中野のシンボルというか、皆さんの思い出の中に残ってるものなので、それが綺麗さっぱりなくなってしまうのはもったいないと思います。
中野の魅力は中野駅北口の飲み屋街やサンプラザに象徴される歴史にあり。これは本シリーズにご登場いただいた方の多くが口にすることだ。しかし、若く、現場に根差した活動をする山本さんにとってそれは単なるノスタルジーではなく、これから中野がどうあるべきかを考える時の1つの武器なのである。馴染みのものがなくなるのは寂しいから…ではなく、攻めの姿勢で、形にこだわらず、しかし、強みを残すべきである。
市川 最後に、区や議会に求めるもの、望むものはありますか?
山本 18歳の選挙権が始まり、若い人たちの意見も大事になってくる中で、議会や行政に声を届けることは、まだ一般区民からは敷居が高く映っていると感じます。一般区民の人たちと触れ合い、「こうすれば政治に参加できるのだ」ということを分かり易く発信して、堅苦しい場所ではないことが伝わって欲しいです。議会や行政にも面白い人がいっぱいいるし、多くの方が思っているような9時から5時の仕事だけをしている所ではない。色んな方に会って話をすると、そのギャップがすごくもどかしく感じます。
市川 これは私たち側の努力でしょうね。中野区の努力でもある。
山本 僕ら受け手側も、率先してそういう場に出ていく仕組みが必要だと思います。若い人たちに選挙権が移るほど、もっと楽しいことがその子たちにはあるわけじゃないですか。
市川 今は年配の人の方に向けた政治がされている状況があります。それは何故かというと、その人たちは間違いなく投票に行ってくれるからです。若い人たちの投票率が下がれば、そういった向きの政策はどんどん少なくなってしまいますよね。
山本 今はまだそれで良いかもしれないですが10年、20年経った時に、それまで蔑ろにされていた若い人たちが選挙に行こうと本当に思うのでしょうか。その時の日本はどうなるのだろうかと心配に思います。
自分たちが選挙にもっと積極敵に関わらなければと思っていた人ならば、親になったら子供たちに「選挙は必ず行くものだ」と伝えていってくれるはずです。だから、何十年先の子供たちが、僕らの世代になった時を考えていかないといけないと思うんです。その時、投票率が更に落ちていたら、その人たちの意識はもう変わらないですよ。
政治に不満を持っている人たちは、なかなか興味を持つところまでいきません。興味を持つきっかけがあった人たちが、年配になるまで興味を維持して行けるようなコミュニケーションをして欲しいです。僕らも伝えていく世代になってきているので、そういうことに積極手に関わっていきたいと思います。
市川 ちょうど山本さんたち40代の人たちが中間層として、20代・30代と50代・60代の繋ぎ役になりますね。どちらとも話ができる位置に、山本さんが今いらっしゃるのはとても心強いことだと思います。
山本 私たちが率先して動いていきたいですし、いろんな区民がコミュニケーションを取れるような場を作りたいですね。
市川 一緒に努力しましょう。同じ党で若い出井君たちも頑張っています。彼のような議員が、彼だけでなく、もっとたくさん出て欲しいとも思っています。やはり世代が離れてしまうとできない話もありますから、若い政治家と山本さんのような人たちとが、距離を縮めていくというのはとても大事なことだと思うです。その為の努力を、私もしたいと思います。
今は良くても、それでは何十年か先になると本当に政治に参加しようとする人が居なくなってしまう。それはごもっともであり、我々が忘れてはならない意見である。そうならないように、行政や議会の側も、そして区民の側も若手が手を取り合う機会を増やさなければならない。その為の努力を、私たち年配者もするべきであろう。
山本さんのお話からは、現場に即した、綺麗ごとだけではない故の力を感じることができた。物事には理想と現実がある。理想を忘れては事を成す意味を見失うことになってしますが、さりとて現実を置き去りにしては絵空事に終わってしまう。その間をとる優れたバランス感覚を、山本さんはお持ちのように感じた。現場で培った嗅覚と実行力で、これからの中野を率いる若者の代表として益々のご活躍を期待したい。
【過去のシリーズ】
その11:田中章夫(鷺宮商明会商店街/中野区商店街連合会)
その10:杉山司(中野経済新聞 編集長)
その9:深井弘之(株式会社ナカノF / 中野区観光協会 事務局長)
その8:谷津かおり(株式会社オフィスエル・アール代表取締役/中野21の会会長)
その7:宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]