中野駅北口警察大学校跡地に誕生した四季の都市(まち)は企業に勤める社会人や学生、子ども連れのママさんたちでいつも賑わって微笑ましい景観を生み出しています。公園の周囲を囲む建物や大学キャンパスの公開空地の連続した景観が、従前の中野には無かったCMやドラマ•映画のロケ等に使用され、中野の名前を全国的に広げていく原動力にもなりました。事実、日経MJ・2013年ヒット商品番付に「東京中野」が選出されました。これもキリンや水のクリタが入る中野セントラルパークが公園を中心とした大規模再開発を行い、大手企業の転入や明治大学などのキャンパス移転が行われ、大きく様変わりしたことがこの決め手となったようです。
さて、この四季の森都市(まち)誕生までには様々な経緯がありました。その中に隠されたまちづくりの歴史の1ページを中野を故郷に持つ者の一人として次世代に語り継いでいくことは大事なことと思い今日はブログのテーマに取り上げて見ました。そもそも警察大学校、警視庁警察学校等関係機関の府中市へ移転決定がされたのは、竹下内閣当時の一省庁一施設移転方針決定に端を発します。竹下内閣当時の地価上昇の原因の一つに,東京への人口や諸機能の一極集中であり、政府としては,第4次全国総合開発計画の着実な推進等を通じ,都市・産業機能の地方への分散により,東京への過剰な依存から脱却を図る一環として,政府機関等の地方移転を推進していくこととしており,そのため,移転方針について決定。これに基づき一省庁一機関移転の実現に取り組みました。所謂、警察庁は警察大学校を移転させることでこの移転方針に従うことになります。
同時に移転後13haに及ぶ広大な国有地の利用について先ず地元自治体である中野区に国から相談が入ります。当初、中野区はこの跡地にゴミの自区内処理の原則に基づき、東京都から移管を受けたばかりであった清掃事業の焼却処理施設予定地としてこの地に清掃工場建設計画の立てます。平成2年、中野区町会連合会から中野区議会に提出された「清掃工場建設早期実現」の陳情が全会一致で採択され、中野区の清掃工場建設の動きが加速します。さらに、区民斎場、産業能率センター等の施設建設や移転方針発表、また、当時飯田橋に構えていた東京警察病院の中野移転が発表されます。この時点(平成13年)で東京都、中野区、杉並区の三者で計画されていた「警察大学校等跡地土地利用点検計画案」で清掃工場は地下式。地上は公園等広場として活用される案が中野区報等を通じ区民に知らされます。当然、清掃工場、区民斎場等、迷惑?施設建設反対運動が中野駅周辺地元の住民から起こされます。しかし、地元住民としては幸いなことに、平成15年ゴミの23区内全量消却達成を受け、中野区を始め、焼却施設を持たない区に清掃工場の建設中止が特別区長会で決定されます。特別区(23区)清掃協議会のもと、清掃工場をもたない区は費用負担をすることによって清掃工場を持つ区にゴミ処理のお願いをすることになるのです。
途端に見直されたのが跡地利用点検計画案です。平成17年の時点では、計画案中、跡地最南地にあった警察庁職員宿舎は移転する予定に含まれていません。現在のセントラルパークサウスとその南側を走る道路の辺りに国家公務員の官舎を残したままの国有地払い下げに向かって協議は進んでいたのですが、同年、跡地最南官舎の南側の街区(囲町々会)から、官舎を残したままでは自分たちの住まう街区に道路が接道しないので官舎を同跡地の中で移転が出来ないかを問う陳情が中野区議会へ囲町々会から提出され、全会一致で採択されます。しかし、すでにこの時点では財務省、東京都、中野区、杉並区の四者協議会が設置され、土地処分の内容は官舎を残したままで進んでいます。ところが、平成17年年末、その意思が伝わらないまま置かれた格好になっていた中野区議会で採択された前述の囲町々会の意を汲んだ陳情を持参し財務省へ直談判に向かいます。地元選出松本文明代議士が走ります。翌年、平成18年2月に土地処分の手続きを予定している財務省は当然門前払いを食らわします。しかし、なお食い下がる中、政治が行政を動かします。財務省はその熱意に官舎移転に応じることになります。しかも警察大学校跡地内で考慮する条件で応じます。位置的には四季の森公園の北側道路を挟んだ前面の用地、区立中野中学校の南側の用地に移転が決定。地元住民や中野区議会、そして地元代議士の熱意が財務省を動かしたのです。
平成18年3月「国有財産関東地方審議会」において土地処分内容は官舎が移転を見た整形された土地の内容になります。万が一、官舎が移転しないまま最南の土地に残っていたならば、現在最南の箇所のある道路は極端なS字を描き、囲町の街区に道路は接道しないままになっていました。同時にセントラルパークサウスはもっと北側にせり出した格好になります。その分、四季の森公園の面積が縮小されることになります。現在の1.5haの都市計画公園は1ha程度の公園にしかならなかったわけです。しかも、この話にはおまけがつきます。平成21年、民主党が政権交代。事業仕分けが始まります。その中で警察大学校跡地内に移転建築する警察庁宿舎の建設計画を事業見直しの中で中止します。区立中野中学校の南側、国家公務員宿舎予定地を中野区は四季の森公園拡張用地として取得します。結果、四季の森公園は現在の1.5haの公園から2.1haの公園へと拡張されることになります。今後、拡張部分の公園整備工事が始まりますが、四季の森公園は更に立派な都市計画公園へと変身します。国有地の払い下げは地元住民のまちづくりのインセンティブを高めるものでなければならないとのコンセプトから派生した地元町会の陳情が国を動かした話。まさに政治は住民の中にあるのです。今日も若者や子どもたちの元気な声が広い四季の森公園に谺します。