昭和4年落成の中野駅移転改築工事に大きく関わった先人の一人に宇田川林五郎氏と沢野磯次郎氏がいらっしゃいます。中野北口サンモール商店街北口駅前広場から入ってすぐ右側になる「わしや」さんとその先左側にあるサワノ眼鏡店の創設者です。現在の中野駅ガード上線路のレベルが当時の地盤レベルでした。今のガード辺りに踏切があって舗装もされていない当時、人や馬が行き交うたびにに土埃が風に舞うことは日常茶飯事だったようです。そもそも北側にお店を構える店主は中野駅下車して埃舞う踏切を渡り北側に位置するお店の前を通って新井薬師参拝に向かうわけですから、当然にして人の流れに不自由を感じます。ちょうど本稿で昨日紹介した中野駅東側移転改築計画を着々と進める線路南側の商店主と協議をして中野駅改築工事の協議会を発足。大土木工事が始まります。当時は人馬で作業をするわけですからかなり大掛かりな土木工事であったことが推測されます。南側は南口五差路交差点辺りから現在の中野駅ガード方向に向かって道路新設工事(現在の中野通り)と南口駅前広場開削工事が始まります。同時に線路北側においても現在の駅前広場を中心に南側から北進しする道路新設開削工事が始まります。南口駅前広場から見て東側は中野ゼロボールに向かう坂、西側は桃丘小学校跡地方向に向かう坂、レンガ坂、北口駅前広場から線路沿いを西側囲町に向かう坂、東側織田学園に向かう坂、中野通りをサンプラザ方向に向かってなだらかな坂道を形成しているこが昭和初期中野駅移転改築工事を物語として語り継いでいます。5年後の2020年東京五輪の年を目処に中野駅西口改札口が竣工予定です。待望の駅ビルも同時進行する計画が進み始めました。昭和初期から数えること100年。いよいよ実現する平成の中野駅再開発は100年後を睨んだものでなければなりません。夢は膨らみます。
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