2000年代に突入して早くも14年の歳月が流れてました。社会的には大企業によるアウトレットモール等、巨大商業施設の出現が地方で活発に起こり、地方の従来型の商店街は疲弊を余儀なくされ、シャッター通り商店街の汚名を頂く結果に繋がりました。流通革命の渦の中に巻き込まれたまま地方商店街の凋落はその一途を辿るばかりです。それが故に中野ブロードウエイ商店街はその活路を「連携」といった視点を置きながら2000年代14年の歳月を過ごします。市町村のレベルから昨年(2013年)は岩手県といった都道府県レベルへ進んだことで中野ブロードウエイの「里まち連携」は様々はノウハウを獲得します。この一連の流れの中で強く感じ取ることは中野ブロードウエイが「商業施設と情報発信機関」の両面を併せ持つ稀有な存在になりつつあることです。
取り分け、2010年に世界的ポップアートの第一人者、村上隆氏が出店されたことはその勢いに更に拍車をかけたと言っても過言ではありません。モノを売らず、無名のアーティスト発掘の舞台としての位置づけでお店の存在は、中野ブロードウエイが自ら目論む「ブロードウエイ丸ごとミュージアム構想」と合致します。そして、この流れと相まって奇しくも同じ年(2010年)に「アールブリュット」との出会いに巡り会えたことは、取りも直さずわが国のアールブリュット事務局機能を有す社会福祉法人「愛成会」との蜜月が生まれたことを意味します。此の様な関係性は全国でも例がなく、世界でもここまでの発展形態は無いと謂われます。現在、5年に亘るアールブリュット文化発信活動と、2020年東京オリンピック•パラリンピックに向けての今後の歩みは商店街の新しい有り様を提示することになるでしょう。