中野駅周辺の話題

中野ブロードウェイの歴史(草創期編)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

中野ブローウエイは1966年(昭和41年)竣工します。全長140m、幅45m、高さ31m。鉄骨•鉄筋コンクリート造、地下3階、地上10階建ての建築物は、当時としては巨大建築物(床面積58000㎡)というより『巨大オブジェ』であったと言っても過言ではなかったでしょう。地上4階までの商業床は400以上の店舗に分譲され、当初はファッションビルとしての店舗構成を成していました。しかし、それ以後吉祥寺、新宿、立川といった中央線沿線地域に駅ビルが完工、更に渋谷、池袋等の有力なファッションビルの出店攻勢を受けることになります。当然にして中野ブロードウエイの魅力は薄れます。取り分け、分譲ビルの性格上、デベロッパー機能を持ち合わせていない欠点が露呈、飲食店の隣店がブティックといったような纏まりに欠ける商店街へと堕することになります。そこで、1981年(昭和56年)開館15周年の改装事業に取り組むことになりますが、中野ブロードウエイの全体的なイメージ造りを構築することに失敗。暫くの間、宣伝企画の消化試合的な運営が続くことになります。

さて、1980年(昭和55年)「まんだらけ1号店」の出店が、後に中野ブロードウエイの一大潮流を起こす先駆けになったことは今日現在の中野ブロードウエイを見れば一目瞭然であろう。同時にそれまでの従来型業態への問題提起をも意味していたと今では解釈するしかないのも事実になります。1986年(昭和61年)開館20周年を迎える頃、バブル経済の前奏曲が流れ始めます。多くの人々は自らが未体験のフワフワした恐ろしい時代に突入していることに全く気づくことなく日々を送ります。やがて訪れる悲劇の暴走に備える術を持たない人々がなんと多かったことか?今は懐かしい歴史の一ページになります。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加