鉄道とともに発展をしてきた街中野。特に中野駅周辺はその傾向が顕著です。さて、中野サンプラザが竣工したのが既に本稿でも紹介した通り、昭和48年(1973年)田中角栄氏が内閣総理大臣として日本列島改造論を打ち出した時期です。この施設、特に大ホールは人気殺到。テレビで全国放映される歌謡ショーやコンサートなど「今日はここ中野サンプラザから中継です」の名文句でテレビを通じて全国的に名を売りました。その度に中野に足を運ぶ人の数も増加、イベントの前後など中野駅からサンプラザに向かう人の流れがまるで川の流れような様相を呈していたことや、イベントが跳ねた後の楽屋出入り口にはファンが殺到、交通整理の警察官まで出動されたことなど今では懐かしい光景になりました。そのように中野サンプラザに足を運ぶ人の増えても中野駅直近に位置しているものですから地元商店街にまで人の流れが派生しない。賑わいと地元産業活性化といった観点から押しますと、ここいらに駅前施設の負の部分が見え隠れしていることは残念としか言いようがありません。従って、中野サンプラザの建て替えに依って中野駅前周辺の人の流れに回遊性を生み出すような施設のあり方を探っていかなければならないことは過去の教訓を生かさなければなりませんね。さて、中野サンプラザ。どのように変身を遂げるのか?次回より私なりの考えを述べていきたいと思ってます。いよいよ本題の「中野サンプラザどうなる」に入ります。
中野駅周辺の話題