中野駅周辺の話題

中野サンプラザどうなる(3)

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中野サンプラザ用地。明治の時代から昭和の終戦まで陸軍省の用地だったことは昨日紹介しました。その歴史の1ページで付け加えておきたいことが二つ三つありますので、今日もお付き合いお願いします。一つは昨日紹介した鳩のお話です。陸軍省電信隊で飼育されていた鳩は軍用鳩。戦地に赴いて通信手段として戦地の空を飛びます。さて、鳩の習性ですが、自分の厩舎以外のところには帰巣しない。万が一にも厩舎を移動しますと自ら戻る場所を見失い野生化します。ところが戦地に赴きますと一個中隊なり小隊なりが戦線を移動します。同時に通信手段である鳩の厩舎も移動します。一般の伝書鳩の習性に従えば鳩は戻れない。そこで厩舎を移動しても戻れるよう訓練されたのが電信隊の軍用鳩。これを「中野種」と称して世界に誇れる軍用鳩だったのだそうです。ちなみに現在キリン本社が入る中野セントラルパークサウスビル辺りに厩舎があったことを地元の長老から伺いました。もう一つ、昨日、陸軍省の用地は中野サンプラザが一番東側だとすれば一番西側が日大二高辺りまでだったことは昨日述べた通り。そこで地図を広げて見ますと杉並区側に馬橋公園があります。実はこの公園の位置に陸軍省気象予報部がありました。現在の気象庁ですね。中に気象神社があったほどですからてるてる坊主ではありませんが、お天気に対して神に祈りを捧げる稲作文化の習慣がわが国伝統文化として残されている形がここに読み取ることが出来ます。現在、高円寺にある氷川神社の中に気象神社は移設されております。一度足を運ばれてはいかがでしょうか。中野サンプラザの将来を語る上で、その土地にまつわるお話をと思い調べて行くうちに様々隠れた数々の歴史があることに気付かされます。これまた次世代に引き継ぎたいことですね。

注、高円寺氷川神社Wikipediaより参照、http://ja.wikipedia.org/wiki/氷川神社_(杉並区)

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