中野駅周辺の話題

中野サンプラザどうなる(2)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

昨日は中野サンプラザ計画竣工に田中角栄元首相が大きく関わっていたお話をしました。今日は現在のサンプラザ用地の歴史を紐解いてみることにします。遡ること明治の時代、明治20年とも言われますが陸軍省がこの地に鉄道大隊、気球隊、電信隊を構えることになります。サンプラザ用地面積だけではこれだけの施設を構えることは出来ないのは当然ですね。そこでどれほどの広さがあったか調べてみますと、現在地(中野駅前)から杉並区天沼にある日大二高辺りまで一帯の広大な土地に陸軍省は施設を構えたようです。鉄道の敷設訓練に要する規模を考慮しますと当然ですし、気球隊は所謂飛行隊ですから滑走路や格納庫にも大きな規模のものが必要であったでしょう。また電信隊は今で言うところの情報受発信基地になりますね。なんと当時わが国の高速交通機関であった鉄道や気球(飛行機)、はたまた電信技術の研究機関が中野にあったことになります。後、いち早く明治の内に鉄道大隊は千葉県習志野へと移転消滅。続いて気球隊も埼玉県所沢へ移転され現在の航空自衛隊入間基地として現存。陸軍省施設として戦争終結まで残るのは電信隊だけになります。また戦時中、陸軍中野学校が千代田区九段からこの地に移転されます。地元の長老の話しによれば、電信隊が飼育していた伝書鳩(軍用鳩)がとても優秀であったようです。その数1000羽とも伺いました。鳩の話しはまたの機会にしますが、わが国のトップ機関が構えていた中野サンプラザ用地。紐解けば由緒ある土地なんです。今後建て替えられる施設はわが国最高峰のものであることがこの土地の神様に対するせめてものご恩返しかと思います。これから10年。正念場を迎えます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加