中野駅周辺の話題

中野の向かう道(序章)

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DSC_0046徳川の時代、犬屋敷や桃園が存在した中野は閑静な農村として江戸郊外に位置していた。明治に入り甲武鉄道の開通に伴う中野駅の開設。そして利便性の向上により陸軍省鉄道大隊、気球隊、電信隊等重要な軍事施設が開設された。また中野駅~飯田町駅(現在の飯田橋駅)間にわが国初の鉄道電化、所謂電車が開通するなど、閑静な農村は一変して軍人や高級官僚が住まう町へと変化する。住民の需要に応える商店街が形成されたのもこの時期に合わせてである。その伝統が引き継がれたか今日にあってもサラリーマンの多い住宅都市としてその暮らしやすさが改めて見直されている。さて、中野駅周辺まちづくりは着々と進められている。13haにも及ぶ警察大学校等跡地に完成した四季の都市(まち)は、四季の森公園を中心にプラチナ級オフィスビルの中野セントラルパーク、明治、帝京平成、早稲田大学各中野キャンパス、高度医療を担う警察病院等々都市機能の粋を集約実現させた。更に東京五輪の年(2020年)を目処に中野駅西口改札開設、南北駅前広場の拡充や駅周辺の再開発事業竣工等、ハード面での整備に余念がない。重ねて中野区役所庁舎移転改築、現庁舎跡地と中野サンプラザ用地を一帯化して中野サンプラザに代わる新たな中野のランドマーク建設計画など、これから10年はまさに中野駅周辺まちづくりの正念場であると言っても過言ではない。中野駅周辺に限らず、西武新宿線連続立体交差化事業も東京五輪の年を目処に進捗、また、従前不足していた1ha以上の大規模公園の実現等々、将来の中野が大きく変わる要素は盛りだくさんである。「暮らしやすい」「住み続けたい」誰もがそう思える町になるのか?それは中野区100年の歴史から振り返れば一目瞭然であろう。先人が営々と築いたこの町の伝統と文化を守りつつ新たなまちづくりに取り組む姿勢を忘れてはならない。(次回に続く)

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