中野四季の森公園は、中野駅北口近くの中野四季の都市(まち)の中央部に位置する、面積約15,000平方メートルの都市公園である。公園の南側に立地する業務・商業ビル「中野セントラルパークサウス」等が提供する公共空地と連担して、約30,000平方メートルの緑豊かな都市空間が創出されている。公園の構成は広場主体となっており、平日は近隣のオフィスビルで働く人や隣接する3つの大学の学生など、多くの人に利用されている。また、休日には家族連れやジョギングなどのスポーツをする人でも賑わいを見せている。毎年秋に開催される「東北復興大祭典なかの」や「中野にぎわいフェスタ」などの大型イベントの会場としても使用されている。また、広域避難場所の中核をなす防災公園として、マンホールトイレや防災井戸なども備えており、大規模災害時に対応できるものとなっている。
中野四季の都市(まち)のエリアは、江戸時代には五代将軍綱吉が設けた「お囲い犬屋敷」の広大な区域の一部であり、綱吉の死後は跡地の一部に桃の木が植えられ、桃園として多くの江戸市民が訪れた。その後は前述のとおり明治時代から軍関係施設が立地した後、第二次大戦後はGHQによる接収の後、警察大学校及び警視庁警察学校が置かれ、2001(平成13)年まで使われた。警察大学校等の跡地の利用については、当初は23区内各区に清掃工場の建設を求められていたこともあり、清掃工場と防災公園を主体としたものとして計画されていた。しかし、その後、廃棄物の減量等の進展により新たな清掃工場が必ずしも必要ではなくなったこと等を受け、中野のまちの活性化と防災機能を併せ持つ街として、公共と民間のパートナーシップにより地区一体で開発を推進することとなり、区は公園や道路等のインフラ整備を行い、建物の整備は主に民間で行うこととされた。平成24年4月には中野区が財務省から購入した土地に中野四季の森公園が開園し、これに先駆け、公園に接する都市計画道路も開通した。なお、四季の都市公園の名称は、一般公募により選定されたものである。