中野駅周辺の話題

中野サンプラザどうなる?

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中野サンプラザ建て替えのニュースが昨年暮れNHKニュースで報道され俄に現実味を帯びてきました。そもそも中野サンプラザの現地計画竣工に、かの田中角栄元内閣総理大臣が大きく関わっていた事実を知っている人は少なくなりました。当時の中野区関係者、とは申しましてもすでに半世紀が経過しているので少数ですが、中野区議会の大先輩で、都議会、国会で活躍された高橋一郎先生から伺ったお話によりますと、当時(昭和40年代初頭)現在の中野サンプラザと中野区役所一帯用地は警察大学校用地だった。そこに国(大蔵省)から払い下げる話しが持ち上がります。同時に大手百貨店の用地買収話が示されます。当然の如く地元商店街から反対運動が起きます。当時の上山輝一区長がこの地に広場と青少年関連の施設を方針として掲げます。上山区長は高橋都議(当時)と同行して田中角栄(当時幹事長)邸を訪問します。僅かな面会時間の中要望を伝えますと田中角栄自民党幹事長は労働省に電話を入れ勤労青少年会館構想を確認します。田中角栄幹事長のGOサインでと労働省が同会館を現地に方針決定。昭和48年全国勤労青少年会館竣工、愛称が中野サンプラザとなります。開館セレモニーに奇しくもサンプラザの仕掛人たる田中角栄氏が内閣総理大臣としてテープカットに臨席。まさに政治が築いた歴史を垣間見る中野サンプラザ誘致のお話です。半世紀経過した現在中野サンプラザは土地も建物も中野区の貴重な資産として残されました。先人の並々ならぬご尽力に感謝です。後世伝えたいですね。

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