自己紹介

昭和30年(1955年)2月20日東京渋谷日赤病院にて生まれる

幼稚園に入るまで小児喘息に悩まされ、シャイな幼児時代、毎夕、手を繋いで祖母と歩く警察大学校庭の散歩が唯一の楽しみ。大学校の守衛さんも身体のためと散歩を許してくれました。

学校法人野方学院幼稚園

母に手を引かれ幼稚園の門まで行ったもののとうとう幼稚園の中に入れず家に帰った思いで。とにかくシャイで先生や親をてこずらせました。友達が出来はじめ楽しく通園出来るようになっていきます。

旧桃丘小学校(JR中野駅に一番近い小学校です)

故・山口二三先生に励まされ、苦手の逆上がりを克服、水泳、運動会リレー選手など活躍、幼児時代の小児喘息すっかり完治し、スポーツ少年の片鱗を覗かせる。山口先生は区議会初出馬のときご自身の嘗ての教え子のお宅を一軒一軒お願いして歩いてくださいました。

旧中央中学校(野方警察署の隣りにあります.中野の中心部にあるので中央中と命名)

ハンドボール部に所属、東京都大会で活躍、当時の名門高からスカウトも。陸上競技大会でも走り幅跳び、砲丸投げ、800リレーの選手として活躍。もっぱらスポーツに専念して学業の方は疎かでしたが、一度だけ保健体育の試験で学年一位の座に。

立教高校(東武東上線志木駅下車、埼玉県新座市野火止は昔焼畑農業を行っていたとか)

サッカー部に入部、「浦和を制すものは全国を制す」といわれ、埼玉大会ではベスト4、ポジションはゴールキーパー、当時の全日本GKの瀬田龍彦氏(日立)は親戚。当時の立教高校は自由奔放な学風で、個性豊かな友達がたくさんいました。

市川珠算教室(昭和22年創立の老舗、以来通学した生徒はトータルして25000名)

珠算を通じて生涯教育に貢献、日商簿記専門学校講師、(社)全国珠算教育連盟東京都支部役員を経て関東大会、東京都大会、中野区大会など珠算競技大会選手育成に励む。

結婚、長男誕生(故・神田勘十郎元区議会議長ご夫妻の媒酌で結婚)

昭和55年(1980年)父がお世話になった神田先生の媒酌で結婚。私の年齢は25歳でした。そして結婚9年目にして待望の長男誕生。妻・友子、長男・信太朗の3人家族の出発です。

明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科・修士課程修了(青山ゼミ)

明治大学院ガバナンス研究科卒業式 青山ゼミ同期のみ仲間です。

青山ゼミ仲間の皆さんと卒業記念の一枚です。

前列左が青山やすし教授、左が中邨章教授です。