中野のキーマン100人に会う

125年目の変革~街の玄関口JR中野駅長が進める駅と人、地域の結節点~【中野のキーマン100人に会う:その5】飯塚晃(JR中野駅長)[前編]

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シリーズも第5弾を迎えた。今回は中野の玄関口JR中野駅の飯塚駅長にご登場いただく。とても気さくなお人柄も手伝ってか、このインタビュー当初から話が弾んだ。神奈川県藤沢生まれで江ノ島周辺を遊び場として子ども時代を過ごした飯塚駅長は、30年前にJRに入社。以来、30年間の努力はまさに開かれた人生そのものであったのであろう。人怖じしない明るい性格からか駅社員の職場での対応も元気そのものである。今は亡き高倉健主演の『鉄道員(ぽっぽや)』は北の果ての小さな終着駅で、不器用なまでにまっすぐに、鉄道員としての誇りをもって生きてきた“佐藤乙松”を描いた浅田次郎原作の珠玉の映画であった。飯塚駅長はこのぽっぽやを地で行く人物だ。IMGP8003

飯塚 私が東京エリアの担当になったのは昭和60年くらいです。日航機が墜落して30年となりますが、その頃です。今週ちょうどうちの社員5名がJALの安全啓発センターを見学しました。安全に関する戒めを学べる施設です。1時間20分で巡るコースが決まっていて、中盤までは日航機墜落でどういうことが起きたのかが示され、その後には本当に悲惨な状態そのものが展示されています。ちょっとした油断でこうなるのだ、と。

市川 そうでしたか。安全安心は、こういった企業では一番のキーワードですからね。

飯塚 弊社がグループ全体で取り組んでいるのも、まさしく変わらぬ使命は鉄道の安全なくしてそれ以外は何もないということです。安全安心、これが第一です。

市川 中野駅は乗降客数が、吉祥寺を抜いて中央線で第4位になりましたね。朝夕のラッシュ時には非常に混雑します。そして、駅周辺の再開発も進みます。今以上に、駅のキャパシティが不足してくると思われます。当然それに合わせて駅も変わっていかなければならない。西口の新設も行われる予定と聞いています。今後、まだまだまだ伸びる乗降客数に対応して、究極の安全に向けて、駅としてどういうことを備えていかなければならないのか、どのようにお考えでしょうか?

飯塚 過去からも様々な取り組みをしてきました。例えば、北口の改札口が7通路では足りないということでリニューアルして8通路になりました。それでも足りなくて、今年3月にもうひとつ通路を増やしました。当初は大学やキリン本社の移転も想定して7通路でしたが不足してしまいました。嬉しい悲鳴ですけれども、想定以上にお客様が多くなったことで9通路確保しました。今想定できる範囲での西口の開発規模については、流動調査を実施して区にも説明し、どれくらいの広さにするべきかをご説明しました。

鉄道を走らせながらの改良ですから、やはり制約が出てきます。今のところ、まず西口改札を作ること全力を傾けます。それから、今後は南口エリアのビルもガラッと変わりますよね。今の南口の課題の1つは、ロータリーの手前の歩道と改札の機械の間の距離が不足していることです。北口は待ち合わせができるだけの流動性を確保できていますが、南口はそうなっていません。それが街の開発が進むことによってクリアされるのであれば、今の広さでも大丈夫でしょう。しかも丸井ビルの裏手側(旧桃園地区)への連絡通路を作る計画案もありますから、横断歩道を渡る手間が解消されるならば、開発後の流動性は確保されると思います。これがハード面の全体像です。

そして、常々お客様にご迷惑をおかけしているのは、駅構内の上下の移動がエスカレーターのみでエレベーターがないことです。西口新設に併せてエレベーターを作る計画ですが、それまでは人間の力でおもてなしをさせていただきたいと思っています。

市川 ありがとうございます。安全で便利な今後の中野駅造りに期待しております。IMGP7768

公共輸送機関に欠かせないものは「究極の安全」。ダイヤ(時刻表)通りに電車が動くことに当たり前の感覚を持っているのは日本人だけだろう。他国ではあり得ないことなのである。その当然を当然の仕事として日々働くことの誇りを飯塚駅長から感じ取った。 

市川 昨年中野駅が125周年を迎えましたね。

飯塚 中野駅は明治22年に開業して、昨年で開業125周年を迎えました。周年行事を通じて区役所だけではなく、経済界や街の方々とお付き合いでき、本当の意味で街とのお付き合いが深まったと思います。

お互いの顔も知っていて、家族同士の交流もあって、映画「鉄道員(ぽっぽや)」のように、街と密着しているというのが昔の鉄道の姿だったと思います。でも、私が一昨年の12月に初めて駅長という仕事をする際、駅長はどうしても私がイメージしていた「鉄道員」のようには見えなかった。歴代の駅長が取り組まれたことも色々おありでしょうけれど、もっともっと駅は身近でなければならないと思いました。ただ駅が近くにあるということでなく、街の方々と交流しながらお互いを伸ばしつつ、駅が足りないものは補っていくような仕事をしていきたいと思いましたね。

市川 125周年行事ではそれができた、と。今もその思いでやっていらっしゃる。

飯塚 一日駅長というのを他の駅であまりやりませんが、一昨年からかなり実施しました。そうすると「えっ、お願いすれば一日駅長できるんですか!?」という声もいただくようになりました。元々が官鉄・国鉄という歴史もありますから、保守的になりがちです。でも、やれない理由を一つ一つ消していくと「やれば良いじゃん!」ということに周りも気がつき始めます。そうやって、中野駅の方向性を社員と共に掲げながら進んできている状況ですね。

意外と中野駅ってどういう所なのかをご存知ない方が、いっぱいいらっしゃいました。それに、中野駅に勤める約90名の社員も、友だちに「中野ってどんな街?」「おすすめスポットってどこ?」って聞かれた時に答えられるほど街を理解している社員増やしたいとも思っていました。そういう思いから駅長としての仕事を始めました。僕はもっと駅をオープンにしていきたいと思っています。IMGP7846

中野駅90名の社員が揃って地域の人たちとの交流に努める。今秋の中野駅周辺にある神社の祭礼に社員がJRの半纏を纏って神輿を担ぐことになっている。単にPR活動だけでなく、地域の人の顔を覚え、同時に社員の顔を地域の人たちの覚えてもらうのが狙いである。開かれた中野駅の構築はまず人的交流から始まる。

市川 中野は、中央線の線路がまるで国境のように北口と南口を遮断しているような時代がありました。北と南で文化が違いました。私はもっと風通し良くなればいいのにと思いながら育ってきました。昔は南北それぞれの町会の神輿が駅の高架を潜ることまかりならんということもあったのが、5,6年前にその壁を破られました。このガード下を神輿が行き来するようになった。

私は駅そのものがやはり街の交流の象徴だと思っています。今の駅の形態では、往来が便利というわけではないですけれど、今後は駅ビルの開発があると考えると、南北の往来はより自由になり、もっと風通しがよくなると思います。そういうような観点からも、駅長がおっしゃったように、社員の方が街と交流をして中野駅をもっと開放的にしたいというお気持ちは非常にありがたいと思います。と同時に、ハード面での整備も必要になりますね。その点については、将来像をどのように描いていらっしゃいますか?

飯塚 おっしゃられるように、私も南と北、更に東と西にも大きな川があるような気がします。まず中野通りがあって東側と西側に、そして鉄道で南北に頒かち、往来しづらい形になってしまっている。着任して街を巡るほどに東西南北4つの区分があり、それぞれの街の方の動きが非常に気になりました。現在計画を進めている中野駅西口の開発計画がありますので、この大きな変化を活用して、駅周辺360度行来しやすい、交流しやすい街の形を目指すべきなだと思っています。

市川 ずばりそのとおりで、駅の周りは中野2丁目・3丁目、そして5丁目・8丁目と4ブロックになっています。南北だけでなく東西の軸も加えて4つのブロックを西口の新改札口で繋ぐ、あるいは南北の改札口で5丁目と2丁目を繋ぐといった回遊性の整備は、行政にも一定の責任があると思います。ただ、やはりこれはJRさんのご協力がなければできません。JRさんと自治体がしっかり接点を持っていなければいけませんね。駅長として、どのようにして自治体との接点を持たれているのか、或いは自治体の必要性をどういうところでお感じになっているのか、お聞かせいただけますか?

飯塚 行政は、街の住民だけでなく、関わりを持っている企業の方々などからも、千差万別ある意見を集約して発信する、なおかつ、その為の様々なツールを持っているポジションだと思います。ただ、時にはひとつの窓口でやり取りしていても、遠くの部署に行くに従って伝言ゲームのように本来の意図が伝わらないころもあります。

去年からのお付き合いしている方々と、未来の中野の街をどう創っていくかという話し合いに呼ばれることもあり、私なりに感じるところは、弊社は、街が「こうやって欲しい!」という意見の窓口であり、繋ぎ役であり、なおかつ、解説者なのではないかと。

話が行き違ってきたときに、「間違いなくそれはこういうことですか?」とチェックする立場が必要になります。前面に出過ぎず、ポジショニングはしっかりした中で、裏方で応答するような動きを自然にできればいいんじゃないかなと思っているんです。

市川 それはありがたい限りですね。駅周辺の街づくりにご協力いただきながら進めるわけですけれども、線路敷きやその上の工事となると、電車が止まっている限られた時間の作業ですね。ですから、中野駅と中野区、中野駅と東中野駅が一体になって取り組んでいく必要があり、駅長のおっしゃっているとおりだと思います。IMGP8045

飯塚駅長は中野の街のこともしっかりと見据えていらっしゃる。「中野通りは川の如し!」とは名言であろう。今まで私どもは「JRの鉄道敷が国境の如し!」とはよくいったものの、「中野通りが川の如し!」とは初めて聞いた台詞であった。中野通りと鉄道敷が交流する中から、中野駅周辺は4つのブロック(中野2・3・4・5丁目の4街区)で構成されていることにも当然気付かれていた。 

それら街区にはそれぞれに特長があって、ごった混ぜの街が中野の特色であるとも言う。まさに先日開催されたチャンプルーフェスタの「チャンプルー」の語源通りとも言う。後編では、飯塚駅長の目から見た中野についても語っていただく。

[後編]へ続く

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