中野のキーマン100人に会う

若手人材を「巻き込み」「育て」「活躍させる」。経済・観光のキーマンに見る組織活性化の法則。【中野のキーマン100人に会う:その7】 宮島茂明(中野区観光協会会長/中野法人会会長)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

地域の経済団体が協力して設立した”完全民間”の中野区観光協会は4年目を向かえる。宮島茂明さんはその設立時から会長を務める。また今期、2500社の会員を擁する中野法人会の会長も就任した。経済界という独特の気風を持つコミュニティでの長い経歴を持ち、同時に柔和で、地域の若者とも積極的に交流する宮島さんに、中野の経済と観光という2つの視点から話を伺った。IMGP9367

市川 宮島会長は中野ご出身でいらっしゃるのですか?

宮島 いえ、出身は愛知県です。中野に来たのは昭和43年で、私が高校1年生の時でした。小学1年生の時に東京の日本橋に引っ越しまして中学3年生まではそこにいました。私の家は繊維業をやっているのですが、日本橋の横山町は繊維街なので、その近くで事業を始めたんです。

市川 愛知県でお生まれになって日本橋で育ったと。

宮島 移ってきた当時の中野は駅の周辺も空き地が点在していました。当時は、うちの会社のこのビルがこの野方界隈では初めてのビルだったくらいじゃないでしょうか(笑)。

市川 高校生の頃に会社の先代ができたばかりの環七沿いにビルをお建てになって越してこられたわけですね。その後、宮島会長もお仕事に就いて、中野の経済界の方々とのお付き合いが始まったと。

宮島 中野経済界との繋がりができたのは35歳を過ぎた辺りだったと思います。法人会の青年部会ができて2.3年目頃に参加しました。そこから地域とのご縁が始まっていきました。

でも、最初の数年はそんなに会話もないし、どこかに飲みに行くこともなく、ただ顔だけ出して帰ってくるだけでした。青年部会の役員をやるようになって、皆さんとよく会話したり飲みに行ったりするようになったのは40歳くらいからでしょうか。最初は青年部会の役員をやってその後に親会の役員、商工会議所や他の団体の役職というようにお誘いをいただくようになっていきました。

市川 経済界で長く活動されてきた中で、当時と今を比較して変化を感じられることはございますか?

宮島 当初はあらゆる団体が元気で勢いがありましたね。当時は顔だけ出して、各団体が「ああしよう」「こうしよう」という感じもなく、ラフに食事したり、ゴルフに行ったりしていたのが、バブルが終わった頃から段々右下がりになってきました。団体の会員も減っていって、かといって何かをしないといけない。そこで、地域の中では団体の横の繋がりを持つ動きがあって、次第に団体同士の距離感が近くなっていきました。「民間でも頑張ってやろうよ!」という気運を持ったメンバーの繋がりが深くなって、法人会、商工会議所、商店街連合会、信金協議会ががっちりと手を組めるようになったというのは、ここ数年の大きな変化ですね。そういった中で最後に実ったのが、中野区観光協会の設立でした。

市川 バブルの時代が終焉を迎えた後の変化から生まれたプラス面なのでしょうね。これは、他の地域でも同じような動きがあったのでしょうか?例えば、近隣の豊島区や新宿区、渋谷区などではどうでしょう?

宮島 今これだけ経済界が一致団結して協力して動こうという体制を取れているのは中野だけです。他の地域ではそういった気運はないようです。僕らの世代が核になりながら、若い世代も誘いながら結束することができました。

市川 中野区観光協会の設立には経済界5団体の協力がありました。この5団体が主導して街づくりの勉強会を開催したり、区長や区議会に対しての要請行動を行ったり、一緒に動くことによって経済団体の意見が集約されて、意見を伺う側にとっては非常に受け止め易い形が作られた訳です。こういったご尽力に敬意を表したいと思っています。

先代の仕事に合わせて少年時代に中野に移り住んだ宮島さん。会社を継いで、次第に地元経済界との繋がりが深くなる中で実績を重ね、中野の経済5団体のバックアップを受けて設立された中野区観光協会では設立時の会長を任せられることになった。宮島さんの柔軟で、様々な意見を受け止められる姿勢も、受け入れ、近づき、巻き込んでいく、坩堝のような中野の街の特性にマッチしていたのだろう。IMGP9178

市川 中野の地域経済を考えるに当たって、私は若い経営者や30~40代の個人事業主、商店主の方々による町会、商店街の活性化はこれからの課題だと思っています。経済団体の中でも同じような課題をお持ちではないかと思っているのですが、若手の育て方や成長への期待などはどのようにお考えでしょうか?

宮島 法人会の青年部会長になった時、例会になかなか人数が集まらず、このままではいけないと感じました。法人会というのは経営者だけの集まりですから、自分の会社で言えない愚痴をこぼしたり、経営者同士が集まることによって同じ悩みについて話したりできます。そこから生まれる活力もあるわけです。そういう経営者がストレスを発散できる、楽しめる場所として再スタートさせて、5.6年経過した時に青年会のメンバーが増え始めました。今は70名くらいの会員が青年部会に所属しています。

ここ10年くらいは法人会の青年部会が人材供給源の役をしばらく担っていて、東京青年会議所や東京商工会議所の21の会にも人が流れるなど、若手の経営者が経済界の活動にも興味を持って参加してきてくれる流れがあります。

市川 各団体相互でメンバーが交流して、地域活動への参加が増えている、と。

宮島 そんな中で法人会は今年からかなり若返っていて、副会長は7人中4人が50代です。昔は70代の方が多かったので、かなり若返ってきました。これも一つ、若手が活躍できる場になってきています。会議所の方も、今後は人材が入れ替わっていくのではないでしょうか。法人会の青年部会や東京商工会議所中野支部の21の会という若手の会はどちらも50歳が定年です。そこで、若いうちに役職を経験することができます。

市川 そこから親会にも人材供給していこうということですね。役職に就くことによって意識が変化します。そいう地域に対する感覚や物の考え方が、ご自身の事業に反映されることもあるでしょう。

宮島 同世代の横の繋がりがしっかりできれば、それも事業に活きてくると思います。気分転換する時や仕事のアドバイスが欲しい時、経営者自身が持っている自分のネットワークというのが必要です。経営は事業取引だけが全てではないですから(笑)

市川 宮島会長が実行されたのは、最初に同じ立場同士の慰め合いではない、切磋琢磨の場を設けて、青年部会の活動を活発化し、その中で役職に就いて活躍して貰う。そして50歳で定年になった若手経営者が親会で更に活躍する。同時に、青年部の若返りを目指す。これは望ましい姿ですね。

経済界にデビューし、法人会の青年部会で役職についた宮島さんが取り組んだのはいかに若手経営者の参加を増やすかという取り組みであった。一種のコミュニティである経済団体もネットワーク外部性により参加者が多くなるにつれて価値が高まり、新たな参加者を呼びこむことができ、それが更に団体の価値を高める。そうして集った当時の若手経営者が現在の中野経済界の中で更に活躍の場を広げている。IMGP9381

市川 駅周辺の再開発が現在進行形進む中野の街に対して、中野区観光協会の会長として、どんな期待がありますか?

宮島 駅周辺に大きな再開発プロジェクトがいくつかあります。それに伴って、駅前は注目を浴びながら発展して行くと思います。しかしながら、中野は駅前だけではありませんから、観光協会の立場から言えば北部も南部もひっくるめて元気になっていって欲しいし、その場を提供していきたいと思っています。

観光協会では、ここ数年で中野にキャンパスや寮を置いた3つの大学とも連携を結んで、学生と一緒に中野全域の活性化を図ります。色んな学生とお会いすると、やはり家と学校を往復するだけで、中野の街を知らないという話を聞きます。学生の内から地域に出て、社会の仕組みを経験を通して勉強していくことも必要だと思っています。

市川 学生にチャンスを与えると、学問だけでは得られない学びがありますね。生きた学問というのでしょうか。せっかく中野キャンパスに通っているのだから、学校と自宅の往復の中にそれを組み込んでもらいたいと思います。そういったことが今後の中野の街を作っていく原動力になると期待されているのですね。

宮島 そうです。しかし、それをどう掘り起こしていくのかという所が課題です。学校側にも地域にもそれぞれ事情があります。資金が自由に出てくるわけでない中で、どうやって一緒に組んで、地域なり、社会なりを経験していってもらうかを考えるのが私たちの仕事です。

中野の良さは自由さで、ある程度は色々なものを受け入れる懐の深さです。ここ数年で、相当な数のイベントが増えましたし、我々の立場でも色んな形で変化をしていくことができました。その自由さを持っている地域が中野であり、他にはない結束の強さも1つの強みだと思います。

市川 自由で懐が深いのが中野の良さだという意見はこのシリーズを始めてからお目にかかった方が皆さん共通して挙げています。どんな街でも新しく来た方には一定のハードルがあるけれど、そのハードルの低さを一旦お見せして「どうぞ」と受け入れるのが非常に上手だと皆さんがおっしゃる。これは東京の他の街との違いでもありますね。

宮島 先日、明治大学の横田学長にお会いした時におっしゃっていたのが、彼が一ツ橋大学の国立キャンパスにいらした当時、国立市は様々なチャレンジを受け入れてくれるとても良い街だったそうです。しかし、中野に来て、これほどに自由で地域がウェルカムの姿勢で迎えてくれる上に、積極的に学生と何かやろうという意思表示を見せてくれることに驚いたのだとか。「国立以上に自由な街があったことに驚きました」というような表現をされていました。私たちは「一緒にやって盛り上げよう!」というのが原点であって、それが皆に共通しているので、誰でも受け入れていくのかなと思います。

市川 例えば、JR中野駅の駅ビルの話も、いきなり区長から話が出た時にも商店街の皆さんも「それは絶対だめです!」と否定せずに、「一緒に話し合おう」と共存の方向で受け入れました。それは中野の良さですね。

中野の街は懐が深く、何でも一旦受け入れてしまうのが大きな特徴である。このシリーズで必ず示される見解を宮島さんもお持ちであった。何事も反対運動の中からいいものが出来ない。中でも、中野で学ぶ学生に目を向け、若者の活力を中野の街の活性化の原動力にしたいと考えている。活躍できるチャンスがある場所を提供するという手法には、経済団体で得た成功体験が活かされているようにも感じられる。IMGP9203

市川 中野の中で、宮島会長の一押しのおすすめスポットはどこでしょう?

宮島 今なら中野セントラルパークと四季の森公園からなる四季の都市(まち)でしょうか。古い場所ならば、中野駅北口の飲食街です。どちらもここならお客さん来るからと自然に入れ替わりながらできた場所です。四季の森公園は学生からの評判がとても良いですね。先日、早稲田の学生と話をしたら、四季の森公園の雰囲気が好きだから、わざわざランチを食べる為にやってくると言っていました。お昼をそこに食べにくると言っていました。風が強いのが難点ですが(笑)。

市川 四季の都市(まち)と中野駅北口に繋がる場所として、中野区役所・中野サンプラザエリアの一体再開発を控えていますね。このエリアの魅力を活かして、さらに発展させるには何が必要でしょうか?

宮島 僕なりの意見としては、デベロッパー案で高層ビルの計画がありますが、それをできるだけ駅に近い場所に建てて、その階下にバスターミナル、タクシーの乗り場を全部収められないかと思っています。そして、ビルのホームと同じ高さの階から中野通りまで高低差のないデッキを伸ばして、緑あふれる公園にしたいですね。地上からは3階くらいの高さではないかと思います。デッキの下には、ホールや店舗が入居できるようにすれば、区民が集える場所ができます。今までには無かったような、緑あふれる駅周辺の施設になったら面白いと思っています。

市川 確かに、どこの街にでもあるものを作ってもらっては困るわけです。多少スケジュールのズレが生じたとしても50年、100年先のことを考えれば、おっしゃったような総合的な「中野の街ならば何が良いのか?」を考えぬいた施設が必要でしょう。今出ているデベロッパー案を叩き台として見ながら、都心の駅前にはあまり見られないような水と緑と光があふれる空間、その下には店舗。良いと思います。そしてまた多様なイベントで賑わう駅前になると良いですね。

宮島 結局、今はある程度の音量が出せて、人が集められるのは駅前しかないわけですよ。そこを最大限活用するべきです。中野駅北口暫定広場にイベントが集まってくるのは、やはり駅前で音が出せて、みんなが集い易いからです。区内の南北から人が集まれるのは駅前しかないじゃないですか。

中野駅周辺の再開発に対しては、バスターミナル・タクシーを大型施設の中に組み込む、レベル差を利用したデッキを構築して緑を配置する、地上フロアに店舗を置くなど具体的な案が即座に返ってきた。現在の中野駅周辺は開発予定地の広場が観光協会を初め様々な団体に活用されることで、コミュニティとしての機能を発揮している。開発後も同様の機能を期待されて然るべきであろう。IMGP9442

市川 中野駅周辺の再開発が進む中で、2020年には東京オリンピックが開催されます。観光という視点では大きなチャンスがやってくる訳ですが、中野の街ではどういったことをすべきか、観光協会としても計画や抱負をお持ちかと思います。

宮島 中野へのインバウンドの旅行客をどう誘致していくかを考える中でオリンピックの準備も進めていきます。大きくは2つあります。

東京オリンピックにやってくる旅行客の中で、競技だけを見て帰る人はほとんどいません。では、競技観戦以外にどこにいくのかといった時に、日本の普通の生活を見たい、体験したいという旅行客が一定数います。そんな街はどこだろうと考えたら、それは中野です。飲食街で焼鳥を食べて、立呑屋で飲んで、イベントに参加して、夏祭りならお神輿を担ぐ、盆踊りなら駅前の盆踊り大会に参加する、体験型の地域コンテンツになるというのが1つ。これは大きな予算を掛けずに実施できます。

もう1つは、これは観光協会で何とか事業化したいのですが、留学生に協力してもらって、母国語で、自分の言葉で、母国に向けた発信して貰いたいと思っています。「中野のこんなお店があるよ。デイリーチコのソフトクリームは8段あるよ!(笑)」と、写真を送るだけでも来たくなるような。留学生のメリットは日本の地域の生活を垣間見たり、経験したりできて、興味のあることに参加できます。今の観光協会のネットワークでも1年で50人以上の留学生とはコンタクトが取れますし、学校も応援してくれています。大学3校をはじめ留学生と十分なコンタクトを取れるネットワークがあるのは、中野では観光協会かもしれません。

市川 それがいずれは学生の単位取得に繋がるようになるかもしれませんね。

宮島 それは私たちも思っていました。しかし、学生にこの活動が単位になると嬉しいかと聞いたらそうでもないんです。例えば、”観光協会協力認定書”みたいなものでも構わないと。社会に出てから活動する時の経歴として、「観光協会認定書を取得」と書いておけば目に留まるわけです。「これ何ですか?」と質問されたら、それが他の人との差別化になります。

例えば、中野の観光大使をやっていた学生が就職試験の際にそのことを書いたら、それが目に留まってそこで話が弾んだと言っていました。だから今では単位だけの問題ではないと思っています。彼らと話をしながら、上手く利用しあっていける関係にどうなっていくかということだと思いますね。

市川 宮島会長は、中野に移転をしてきた大学に通学をしている学生と留学生、こういった人たちとの繋がりをなかなり大事にされていますね。

宮島 そうですね。これは夢ですが、最終的に、観光協会でやっている「にぎわいフェスタ(毎年10月に開催している中野駅周辺を会場とした大型イベント)」を彼らに任せていきたいと思っています。明治大学のキャンパスは建物のみで図書館もグラウンドもありません。学園祭というと和泉やお茶の水に行ってしまうそうです。でも、中野キャンパスは違っていて、「にぎわいフェスタ」という地域のイベントと一緒にやるんだよ!というのもありかなと。だから、今年の「にぎわいフェスタ」には、学生グループが20くらいの露店を出します。一緒にやろうとすると、彼らは新たなチャレンジをどんどんしてくれます。

市川 色々とありがとうございました。今後も経済人としての宮島会長の、また法人会や観光協会の活躍に期待しております。

「オリンピックにやってきた旅行客は競技だけを見て帰るはずがない。では、競技以外には何を見たいのか?」この問いかけはシIMGP9529ンプルであるだけに、説得力を持つ。 

都内で、外国人が求める”日本の日常”こそ旅行コンテンツであると言えるのは”下町ダウンタウン”である中野の強みである。また、それを留学生に自分の言葉で(母国語で)、地元の国に向けて発信してもらおうというのは慧眼といえるであろう。

構想にとどまらず、すでにそのネットワークを有している。このスピード感は民間の力だ。また、地域の考え方と、地域にやって来る人の臨むもの、協力者の利益を全て考えてリンクさせる宮島さんようなバランス感覚は、今後の中野の街づくりに於いて更に必要性を増していくだろう。


 

 

【過去のシリーズ】
その6:折原烈男(中野区商店街連合会名誉会長)
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その5:飯塚晃(JR中野駅第52代駅長)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その4:藤原秋一(エフ・スタッフルーム代表取締役)[前編]
その3:土橋達也(土橋商店)[後編]
その3:土橋達也(土橋商店)[前編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[後編]
その2:長谷部智明(立ち飲み居酒屋パニパニ店主)[前編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[後編]
その1:大月浩司郎(フジヤカメラグループ会長)[前編]

  • このエントリーをはてなブックマークに追加