土橋商店は、雑貨やアパレルなどを卸売りするBtoBサイト「超激安ドットコム」を運営している。その表紙に記されている『気絶安!』とは名言ではないだろうか。会社創業36周年を期に創業者が会長職に就き、社長職は息子の土橋達也さんに引き継がれた。6月7日(日)に小生も発起人の一人に加えていただき、社長就任披露パーティーが盛大に開かれ、”2代目”は毎日気絶安に励んでいる。昭和47年(1972年)の第二次ベビーブームに中野で生まれ、中野で育ちであり、中野の地から事業拡大に励む土橋達也さんに【中野のキーマン100人に会う】シリーズ第3弾にご登場いただいた。市川 今日はお忙しい中、どうもありがとうございます。
土橋 こちらこそ、お招きいただきまして、ありがとうございます。
市川 お父様と旧知だった御縁で達也さんの社長就任パーティーに伺いました。達也さんの立派な成長ぶりを見て、ここで会社を譲ろうと思ったのでしょうね。中野に生まれて、中野で商売をされて、様々な想い入れをお持ちかと思います。
土橋 根っからの中野っ子ですから想い入れだらけです(笑)。生まれは中野5丁目で18歳くらいに新井に引っ越しました。砂場やビー玉や面子で散々遊んでいましたね。僕らが昭和の遊びをやっていた最後の世代じゃないでしょうか。天神さんの辺りによく集まっていて、当時の僕らの最大コミュニティでした。ちょうど貴乃花親方が同級生で、僕も強い方だったので、わんぱく相撲では意気揚々と挑んだら大人と子供くらいの差でやられちゃったりしましてね(笑)。
市川 天神では今でも境内で盆踊りや相撲大会もあって、まだ当時の行事が続いています。子供が大勢いた当時とは違うけれども、そういう体験を今の子供にもさせてあげたいという大人が、まだ残っているのでしょうね。
土橋 そうですね。ただ、あれだけ賑やかだった商店街は今や壊滅的になっています。この歳になって天神さんの辺りに行くと物悲しさを感じます。外で遊ぶ子供も当時より少なくなりました。
市川 子供が減ったと感じるのは、これまで登場いただいた皆さん共通の感想ですね。当時と今の中野を比べて、達也さんが特に変化を感じるのは、どういったところでしょう?
土橋 今は、中野区以外の人が中野区にやって来て、新しく住み始めていますね。そして、中野を気に入って、盛り上げようとしてくれています。僕らが当たり前に通っている店が、彼らにとっては、味のある良い店だと感じられるようです。四季の都市(まち)のような新しい施設にもこれまでとは違う人達が集まっていて、今とても良い街になってきたなと感じます。
市川 子供がたくさんいて、賑やかに遊んでいた当時も良かったけれども、そういった当時の昭和な風情が残る中野に憧れて、今新たに中野に住まいを求めてやって来る人もいると。
土橋 たまたま中野に引っ越してきたら、その面白さにどんどん嵌って、もう出たくないなんて人も結構多いですね。
「昔と比べると子供が少なくなっている」というのは、このシリーズの前回(長谷部さん)、前々回(大月さん)もそうであったように、皆が感じるところだ。しかし、それだけでなく、新たに中野に入ってくる人が魅力を感じて、中野に居付いているというのは土橋さん世代だから感じることかもしれない。昭和の懐かしい匂いに惹かれた、若い世代が、中野の新しい文化の担い手として、確かにこの街に集まってきている。市川 そうやって新しい人が来てくれるのは、中野は便利だし、暮らし易い証拠だと思います。達也さんの中で中野の良さ、売りというのはどういったことをお考えですか?
土橋 中野は都会でありながら下町であり、人情味のある街です。何故かと言うと、僕らは40代で、昭和の人と触れ合う感覚を知る最後の世代。仲間意識が強いんです。そして、1代前の先輩方が会社や店のオーナーになっている。繋がりや義理人情が残っているのが良い所ですね。顔が見えるんです。たまたま隣り合わせた人と仲良くなっちゃうとか。治安も良いから20歳くらいの女の子も安心して飲みに行ける。
ネイティブ中野な人が集まって昔話に花を咲かせたと思えば、新しくこの街に来た人も受け入れられるのが良いですね。反対に、中野にやって来た人が店を出して、お客さんがああだ、こうだと教えてくれるとか。
市川 なるほど。昔風情が対外的な売りになっていて、他所から来た人も迎えられ、人情も厚い。すぐに顔見知りになれて、袖にしたりしない。すれ違う人たちが全くの他人じゃないというのは、良い街ですよね。しかし、一方でまだまだ弱点もあると思います。達也さんは、それはどういうところだと感じますか?
土橋 例えば、中野ブロードウェイはオタク・サブカルの聖地としてウケいますが、僕ら中野の人間にとっては、中野はオタクやサブカルだけの街ではないと思うんですね。中野ブロードウェイの2階から上に入っているのはほぼ他所から来た店で、お客さんもほぼ他の街から来ている。こればかりがドンドン巨大化するといずれ秋葉原化してしまいます。元から中野にあった商店が弱くなって、オタク・サブカルがますます前面に出て行くことは、”中野のシンボル”が徐々に薄まりつつあるからかなと感じます。
市川 来街者増という面では、中野ブロードウェイは大きな役割を果たしています。独自の文化を作っていますね。一方、中野ブロードウェイ商店街の理事長さんは「うちはオタクの聖地じゃない。それはもう卒業しています」と仰います。例えば障害者アートのアール・ブリュットを日本全国に紹介するような文化・芸術活動に力を入れていたり、里町連携でみなかみの街との交流も深めている。中野ブロードウェイ自身は画一的なイメージに頼らず脱出しようとしている。ただ、一般的なイメージというのは強いですよね。
土橋 僕は中野ブロードウェイの本質的な魅力は、むしろ地下街にあると思います。1軒1軒が個性的で、手作りのものもあり、そしてクオリティも高い。肉まん屋さんとか、ソフトクリームのデイリーチコとか、あれが中野の顔だと思うんですよ。
市川 あの雑多なアジア的な雰囲気には”懐かしい中野”があるというのは分かります。昔の天神商店街はああいう雰囲気がありましたね。
土橋 ちょっと匂いが違うんです。僕が小さい頃から知っているのと同じ匂いをしている場所というのは、今はブロードウェイの地下街だけですよ。だから、2階や3階でオタク・サブカルな店を回って、最後は地下でアイスを食べてみたり、中野を感じて行って欲しいです。
人情に厚い”中野の街”の象徴は現在のブロードウエイ地下商店街にある。昔の中野の商店街そのものだと思い出に耽る土橋さん。子ども時代に遊んだ天神を取り囲む商店街の雰囲気がブロードウエイ地下にはあるのだそうだ。中野ブロードウェイに来館された際にはぜひ足を運んでいただきたい。土橋 僕が今計画しているのは、新井薬師梅照院でフリーマケットのようなイベントを色々と開催して、定期的に人を呼び込めないかということなんです。2011年に梅照院で「おこのみっくすマガジン」を発行しているエフ・スタッフルームさんと一緒に「縁側市」というイベントを開催しました。その中で、全国の激安ショップを集めて何処が一番安いのかを決める「激安グランプリ」という企画して、チラシの告知やテレビ局も来て、3000人が集まったんです。その光景を未だに覚えています。
市川 中野ブロードウェイにこれだけ人が来て、サンモール商店街も賑わっていても、その人達がもう一歩、早稲田通りを越えて北には行かない。その原因の1つとして、お薬師さんで昔のように盛んにイベントが行われていないですよね。かつてはお参りがてら、お清めと称して皆遊びに行ったわけです。
達也さんの考えるようなイベントが生まれれば、そこに行く為の動線ができます。JR中野駅からだけでなく、西武線沿線から来る人もいます。バスや自転車で来る人もいるでしょう。そういう動線を作ることは、地元の商店の売上アップ、産業振興に繋がり、また土橋商店も売上も伸ばすことができますよね。
土橋 「毎月第一日曜日開催!」みたいに日を決めて、定例化したいです。先ほど話に出たオタク・サブカル系のお客さん向けの企画や、音楽ファンに向けた企画というように、月替りでごった煮にできれば良いですね。
市川 商店街のイベントは単発で終わるものが多いです。しかし、一過性では街の人の流れは変わらないんですよね。何かを定期的にやることで動線ができて、そこを通る人が街に魅力を感じて、今度は何もなくても訪れる、そういうプラスのスパイラルが重要だと思います。
土橋 「中野FAN」というFacebookページに中野が好きな人が集まっていて、”いいね!”が3200人を越えています。そこで呼びかければ、相当集まると思います。新しいイベントをやって、今の中野の子供達に新しい思い出づくりをしたいですね。印象に残ることをとにかくやっていってあげたい。
市川 人が集まって賑やかになっている光景が子供たちにとっての原風景になるんですよね。社会貢献をしながら、地元の商店街に対するインセンティブを与えていく、そういう活動だった新井薬師も両手を挙げて歓迎じゃないでしょうか。大いに期待します。私もぜひ使わせて下さい!と、推薦しますよ(笑)。
中野セントラルパークで開催されている、スマートフォン用のフリーマケットアプリのユーザーをターゲットにした大規模なイベントからも着想を得て、新井薬師梅照院の境内で月一度のフリーマーケットを提案する土橋さん。集客力には自信を持つ。中野駅や新井薬師前駅、沼袋駅から人の流れを新井薬師に向けて創り上げることが出来れば街の活性化に繋がること間違いない。
[後編]に続く