中野のキーマン100人に会う

「山の手ダウンタウン」~風情と都会的先進性の狭間にある落とし穴~ 【中野のキーマン100人に会う:その4】藤原秋一(エフ・スタッフルーム)[前編]

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これまで中野生まれが続いたこのシリーズに初めて、区外出身ながら中野をこよなく愛し、中野を大いにアピールしている仕掛人が登場。前回の土橋達也さんからのご紹介いただいた株式会社エフ・ス タッフルームの藤原秋一社長である。

先日、妻と二人で夕食に出かけた際に、来街者と思しき女性たちが中野について語る光景に出くわした。その光景は私に無情の喜びを呼び起こした。中野の人が中野を愛するのは当然。来街者が中 野を愛するまでに至るのは、それだけ中野の街や人に魅力がある証拠である。奇しくも、その時に居 合わせた女性たちは藤原さんの会社が発行する『おこのみっくすマガジン』の編集者であったのだ。そんな巡り合わせの中、お時間を割いていただいた藤原さんに、中野に対する想いや、今後の中野のまちづくりについてのご意見を伺った。IMGP7085

市川  藤原さんのご出身は?

藤原 関西の京都です。親父が下賀茂で、お袋が宇治で。2人とも代々京都の人でした。東京に来て からはおよそ40年になります。まだ父と母が存命の時に、高尾に家を持っていました。

市川 高尾から中野にお見えになったのはいつ頃ですか?

藤原 27年前です。会社を起こしたのが中野でした。中野駅の北口側で知り合い3人と同窓1人 で始めまして、今は弥生町に事務所を置いています。それまで全て中野区内で5箇所ほど移転しています(笑)。

市川   そうでしたか。『おこのみっくすマガジン』はよく存じていましたが、藤原さんの会社で発行されていたのですね。その編集者の方が、以前にレストランで居合わせて、熱く中野の商店街について議論されていて、感銘を受けました。

当ブログシリーズはいろんな方に中野を語っていただこうというものです。私たち中野生まれが中野を語る のは当たり前ですが、それだけでは片手落ちになります。藤原さんは平成の時代に中野にいらっしゃって、 会社を構えて27年。その間の中野を見られて、お感じになったことを伺いたいと思っています。

藤原 私が中野と街と直接関わるようになったのは、まさに今、おっしゃってくださった『おこのみっくすマガジ ン』を発行しはじめた、ここ5・6年です。それまでは、街と経済的な繋がりや循環はほとんどありませんで した。ですから、1つにはここ数年の街の動きと関わり、もうひとつは中野に通う通勤者の心持ち、そこで感じる雰 囲気といったものをベースにお話できればと思います。

私は、中野に対しては「山の手ダウンタウン」というフレーズが好きでずっと言い続けています。下町的な匂 いが残っているけれど、都会的なセンスも導入されてきた。今はそれが加速化していると感じます。ただ、 それが中野駅北口にどうしても集中しやすいので、区全域が都会的でスタイリッシュになっていると括って しまうのには、少し抵抗もあります。

市川 都会の新しさのある街と、元々の歴史ある中野文化のコラボレーションに中野の魅力があると。そ して、それが中野駅周辺だけでなく中野区全体に拡がり、レベルアップが図れればなれば良いなということ でしょうか。

会社のスタッフは勿論のこと、藤原さんからも中野を愛する熱が伝わってくる。5年前から発行されて いる『おこのみっくすマガジン』は中野のミニコミ誌としてすっかり定着した。藤原さんが中野を表すフレーズ「山の手ダウンタウン=下町の香りが残る中に都会的センスが入り交じっている街」。しかしそれ が中野駅周辺だけに集中していることに危惧を抱かれてもいた。IMGP7013

藤原  昨年、新井薬師と上高田の5つの商店街がまとまって、2ヶ月間に渡る『とおりゃんせあらい』という企画をやらせていただきました。新井薬師梅照院は5年程前からお付き合いがありましたが、街の商店 を一軒一軒回って企画を説明するということまでは徹底していませんでした。そこで初めて商店街のお店 の方と丁寧にお話をさせていただいて、古い商店街が持っている意識や感覚と、都市化が進みつつある 北口のギャップを非常に強く感じました。それは、決して商店街の力がないということではなくて、単体に潜 在力は非常に高いものを持っているということです。中野の混在性を格差と捉えるのではなくて、上手くシ ンクロさせて発信できないかと。中野の街はまさにコラボレーションの街だというのが、今持っている印象で す。

市川 なるほど。沼袋の氷川神社で開催されている『ヌーノジャズフェスタ』はご存知だと思います。若い 女性がオーガナイズされていて、都会的なセンスでよく作られていますよね。そういったものが区内のあちこちで生まれています。

藤原 毎年1回の『ヌーノジャズフェスタ』は私もよく知っていて、屋台を出させて頂いたり、様相もわかります。一過性に終わらない、規模も大きくしながら毎年続けている素晴らしく貴重なイベントです。

ただ1つの問題はそういった1年に1回の催しが点在したままになっていることです。それらを中野全体の 政策として、実施するタイミングを調整したり、情報を集約したりできないものかと思います。東京オリンピックが開催されるまでの5年間で、そういった政策がひとつのピークを迎えて、中野の新しい顔を世界に提示していく為に、今頃から変化を起こし、目に見えるようにしていきたいですね。

藤原 都市の過疎化はどこでも同じ悩みがあり、解決の糸口を見つけるのには、やはり3~4年はかかると思います。それには様々なコラボレーションの中で試行錯誤を繰り返すしかないと思います。

市川 東京23区は今みんな同じこと考えています。つまり、いかにして来街者を自分の街に引っ張り 込もうか、と。定住人口もそうですね。その中にあって中野が際立っているところは、お話しにあった「山の 手ダウンタウン」という特色ですね。古い昭和の町並みと、中野駅周辺の「四季の森公園」や「中野セン トラルパーク」というともすると“中野らしくない”とさえ言われる都市空間。両極のものがコラボレーションして近づく間に、都市の過疎化を解決する秘策があるのでしょうね。

藤原 それによって人が集まってくる、あるいは何度でも出かけて行きたくなるような魅力が生まれるので はないかと思います。

市川 今までは全体のパイが大きかったから 1 度来てくれれば済んでいた。今度は全体のパイが小さくな るから、1人に 2 回、3 回来て欲しい。そうすれば、パイの大きさは違ってもそこに与える経済効果はほぼ等しいものになりますね。

店主の高齢化、将来の見通しに暗雲漂う商店街の限界のようなものは確かにある。これはいけない と一念発起し、街の持つ潜在力を引き出すために街の特長でもある混在性に目をつけ一過性に終 わらないイベント作りから、率先して街おこしの行動に出られたというのである。自ら足を使って得た嗅 覚を元に、積極的に取り組む行動力が藤原さんの持ち味であり、魅力的なところである。IMGP7344

藤原   新しくできた「四季の森公園」や「中野セントラルパーク」だけで人を呼ぶには相当な腕力が必要です。様々な制限もあり、どうしても無理を強いる部分がでてきます。一方で、新井薬師梅照院を核にして常に人が集ってくるような風景を作りたいと思っても、それはそれで相当な仕掛けが必要になってくるでしょう。街は旧態依然としていて、そこに大勢の人がやってきて、にこやかにそぞろ歩く風景が作りにくい。

せっかく両極があるのだから、「私は私、あそことは違うのよ」という壁を一度取っ払って、何ができるかを考 えなくちゃいけないと思います。そこで、重要なのは、具体的な施策やコンテンツをいくつも並べてみた中で、 良さそうだと思ったものはさっさとやってみることです。この”さっさとやってみる”というのが重要で、例えばこの インタビューにも登場されていた長谷部智明さんが主宰する『中野チャンプルーフェスタ』や、今この写真を 撮ってくれている『Re:animation』の杉本くんみたいな行動力が必要です。

長谷部さんがよく冗談で「なんつたってチャンプルーフェスタだよ!」って仰います。それは至極当然のことで、行動を起こすには「自分のところが何より一番だ」という気持ちが必要です。だから長谷部さんの言葉に は、多くの人を吸収する力みたいなものがあります。彼の苦労、苦心惨憺しているという話もお聞きしまし た。『中野チャンプルーフェスタ』ひとつ取っても、街を練り歩くのがどれだけ大変か、だいぶご相談に乗って いらっしゃる市川さんはよくご存知ですよね。『Re:animation』だって、当初はいろんな人が「勝手なこと をして、何だあいつらは」と言われたものですが、杉本くんの粘り強い活動が実って、ようやく街に溶けこん できましたよね。

市川  そのとおりだと思います。中野の良いところが今のお話の中で出てきていますが、同時に中野の街の欠点・弱点というのもお話の中に含まれていたと思います。もう少し踏み込んでその点をお伺いしてもよろしいですか?

藤原 以前に行政マン有志のお集まりで講演をさせていただいた時に、「街で一番大切なものはなんですか?」という質 問をいただきました。思わず口に出たのが”ある程度お年を召した方が元気に明るく街を歩いてくださること”ということでした。年寄りが元気な街というのが中野の真髄を表すのではないだろうかと。何故かというと、「とおりゃんせあらい」でしみじみ感じたことなのですが、中野はお年寄りが経営する商店が非常に多いで す。

そういうお店に企画を説明しても「もういいよ」「もうくるな」とお断りを受けます。理由はいくら PR しても商 品の製造や販売が間に合わないからです。「この企画でここにお客さんを誘導したら、その煎餅が1日 80 枚くらい売れるんです!」とご説明しても、「俺は1日 20 枚しか焼けないって言ってるだろう!」って 言われるわけですよ。で、うーん…と考えこむ。その瞬間に思うわけです。嗚呼、これはもうどうしようもない よね…って(笑)。でも、その親父さんの焼いた煎餅は間違いなく旨い!

一方でほぼ隠居状態でいかにも俺は関係ないよという方か、代が替っても、それほど前向きに商売しなくても”なんとかなっている”お店の方たちには、現状を変えていく意識がどうしても低くなる。そんな中でギリギリ踏ん張っているオーナーたちが、既に崖っぷちなんですよ。

これは弱点以外の何物でもないと思います。でも、それと同時に、もしこの状態から商店街が強化された らどうでしょう?象徴的に言ってしまえば「年寄りが元気に働ける・働き甲斐のある街」になっていけば、街は復活しますよね。若い者も負けていられない。

市川 躍動感の溢れる感じが戻ってくると良いですよね。

藤原 例えば、『中野チャンプルーフェスタ』や『Re:animation』に参加して踊って下さいとはさすがに言 いませんから、ちょっと横を通り過ぎながら、少し微笑んでくださるとか(笑)。ついでにちょっと珍しい食い 物も食べてってもらうとか。あちこち街を歩いてもらえると「今の中野もいいなあ」って思える潜在力は持っていると思います。

絶対数だけなら、今の中野には結構な数の専門学校生・大学生がいます。でも、そういった若者のコミュ ニティと商店街とのアタッチメントがありません。街のご意見番的な方が出てくる機会はあるけれど、元気に商売している商店主や、引退され今まで蓄積された知見を役立てようとされるご老人が若者と出会う機会は極端に少ない。そこが僕は中野の弱点ではないかと思います。

市川 2025 年問題というのがありますね。団塊の世代が 75 歳を迎え、そこをピークに中野区の人口が減り始めます。23  区では中野と渋谷が顕著です。年寄りが多いのです。しかし、中野は若い人も多い。藤原さんはそういった街の特徴をよく掴んで、弱点であることを見抜いていらっしゃる。確かに、商店街に 往年の元気がありません。

先日、ある商店街の役員の方が駐車場でジャンケン大会の準備されている場面に出くわしました。一生 懸命にイベントの看板をつけておられて、「よくやってるなぁ」と感心しました。でも、バブルの頃はもっと大き な仕掛けをしていましたよね。ところが今の時代はそれですら「よくやっているなぁ、えらいなぁ」と涙ぐましく 思うわけですよ。1人でも多くのお客さんに喜んでもらおうという努力はあらゆるところでやっていらっしゃる。それは地域・商 店街に限らず、町会も企業も医療法人もみんなそうです。そういうものをまとめて、コーディネートして、コ ンダクトしてというのは大変かと思いますが、そのあり方を街の立場に立って探っていっていただくと、本当に 中野に必要な会社になるのではないかと思います。

現在、中野の街には年配者と若者のアタッチメントが無きに等しい。商店街は個々に努力をしている。 しかし、新しくなった中野の街中を元気に歩く年寄りを見かけない。一方、街には元気にその場を楽しんでいる人たちがいる。例えば、明治大学や帝京平成大学、早稲田大学の学生寮などの学生や留 学生が中野の街を歩いている。その中には常にチャレンジしていくヒントが隠されているように見える。 先輩者と若者の接点が今後の大きな課題なのである。IMGP7620

次回は、この課題に対する藤原さんなりの回答や、先日の当ブログ記事「これでいいのか?中野サンプラザ!」でも大きな反響があった中野サンプラザの建て替えについての考えをお聞きする。 

[後編]に続く

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