私は政治や行政を始め、民間企業、団体などあらゆる分野の中枢において活躍される方々が集い学ぶ貴重な機会を嘗て得ることが出来ました。所謂、明治大学・公共政策大学院における青山佾教授の一連の講義がそれです。特に後藤新平(注1)研究の第一人者である青山教授からは後藤の都市づくりへの優れた思想にあらためて触れることができた次第です。
もし、後藤が当初示した総額30億円の震災復興計画が実行されていたら、充実した道路・公園・その他都市インフラは世界のトップクラスともなり得るものであり、その後の空襲等による被害も軽かったと思われます。
この30億円の震災復興計画はその後の政治的な動きの中で数度にわたり縮小され、最終的には8億円程度となってしまいましたが、堅実な社会資本整備が着実に実施されました。その成果は現在の東京においても十分活かされており、あらためて、その先見性に目を見張るものがあります。
後藤が重視したものの一つに鉄道がありました。南満州鉄道初代総裁等を務め、鉄道を知り尽くした後藤にとって、東京の都市づくりにおける鉄道の重要性は譲れない一歩であったのです。早川徳次の地下鉄建設構想に早くから理解を示したことなども、それをよく表していると言えましょう。
1960(昭和35)年、ヘルマン・シュライバーが著書「道の文化史」の中で「前世紀(19世紀)が鉄道の世紀であるとすれば、今世紀(20世紀)は道路の世紀である」と述べました。これは、当時のモータリゼーションの席巻と鉄道の衰退を背景にしていますが、その後、状況は大きく変化しました。
21世紀に突入して10数年が経過しようとしている現在、シュライバーの言葉は以下のように続けられるでありましょう。「前々世紀(19世紀)が鉄道の世紀であるとすれば、前世紀(20世紀)は道路の世紀であった。しかし、そのことにより失ったものも多かった。今世紀は賢明な選択が都市の命運を左右する世紀である。」
以下次回に続きます・・・