中野に根付いて活発に活動されている方々100人に直接お会いして、ご自身の中野での体験やこれからの中野への想いなどを伺おうというシリーズ。第2回にご登場願うは、中野駅北口の昭和新道商店街会長であり、立ち飲み居酒屋『パニパニ』オーナーである長谷部智明さん。今や中野の夏の風物詩になった中野チャンプルーフェスタ実行委員長としても大活躍中である。
ざっくばらんな人柄と鋭い洞察力を併せ持つ論客に中野の歴史とこれからを聞いた。
市川 中野の街について、昔はこうだったと、脳裏に焼き付いている思い出や匂いというのはありますか?
長谷部 商店の移り変わりや開発によって、色々なものが出来たり無くなったり、歴史の流れの中で変化があるのは当然ですが、今と当時の圧倒的な違いというのは、子供がいっぱいいたっていうことでしょうね。
子供の頃は、スペースさえれば全部野球場にして子供が遊んでいましたから。当時は、サンプラザが建つ前の空き地も整地じゃなかったから、今の北口暫定広場の取り合いですよ。そこがダメなら、囲町(現在の中野四丁目)辺りへ。その2つが取れなくてもとにかくありとあらゆる場所で野球をしていましたね。昭和新道でさえ、路地の上の雨樋へボールを投げて落ちてきた球を打ったりして(笑)
市川 やりましたね!懐かしい(笑)
長谷部 子供の遊び場と生活空間が一緒でしたね。街はどこでも子供の遊び場だったし、やりすぎて怒られながらもご一緒に遊んでくれる大人もいたりして、子どもと大人社会との距離は近かったと思います。
長谷部さんの少年時代(1960~70年代頃)は中野の路地という路地は子どもで溢れ返って、遊び興じる声が賑やかに聞こえていた。赤ちゃんの鳴き声が響き、生活の音が聞こえていた。親は商売に精を出す毎日で子どもを構う暇もなく、もっぱら近所のおじさんおばさんがそういった地域社会の中でお目付役の役割を果たしていた。
市川 当時は子供が圧倒的に多かった。それに、広場もありました。それが今では、大きく変化したわけです。その中で、特に大きな変化を感じることは何でしょう?
長谷部 それは”声”じゃないでしょうかね。子供の声が聞こえないんですよ。たまに小さな子が泣いていると、その方が珍しいですよね。保育園の前まで行かないと聞こえないんですよね。
市川 都市というのは赤ん坊から年寄りまで、皆がまんべんなく住んで、それに対して公共施設等があるものなのだけども、子供の声が聞こえなということは、都市としては未熟なのかもしれませんね。では、それに対して、この中野の街がこうなってほしいという希望はいかがでしょう?
長谷部 これも同じ流れになりますけども、子供がいる世帯が増えて欲しいですね。当然それに必要なのは住宅環境です。住みたくても物件が無いんですよ。私が駅前で中野チャンプルーフェスタを初めて10年になります。開始当初に20歳だった子が今は30歳になっています。中野で出会って、結婚して、子供も生まれて、やっぱり中野で住みたいじゃないですか。でも、中野に住もうと思うと、赤ちゃんを育てられる家がありません。
市川 確かに、中央線沿線は値段が高いですよね。特に中野駅周辺は。
長谷部 中野から三鷹くらいまではそんなに値段が変わりませんよね。吉祥寺まで行くと逆に高いくらいだし。そうなると、西武新宿線になります。でも、中野は南北の動線が少ないので、なかなか中野駅には来づらくなりますよね。
少子化社会に対してまず希望するのがファミリー世帯向け住宅政策の充実である。若者が家庭を築き子どもが誕生してもファミリー世帯向け住宅が見当たらないのが中野駅周辺なのである。我々にとってこれはなかなか手厳しい注文ではある。しかし、中野区の政策の重点項目であることは間違いない。
市川 同じ中央線沿線の吉祥寺や阿佐ヶ谷、或いは新宿などの東京の他の街に対しての、中野の違い、中野の良い所っていうのはどういうところだと思いますか?
長谷部 高円寺の阿波踊りや阿佐ヶ谷の七夕まつりってどちらも50年以上続いている祭がありますが、僕はつい数年前までいったことが無かったです。中野チャンプルーフェスタをやり始めて、そんな凄いものがあるなら見てみようと思うまでは、隣の高円寺や阿佐ヶ谷は遠い街でした。出かける必要が無かったというか。
反対に、新宿は、子供の頃から当たり前のように行っていました。今のヨドバシカメラのところが高層ビルになっていく様をずっと見てきました。新宿は普通に遊びに行くところだったけれど、西側の方はあまりその存在を意識したことがなかったですよね。
市川 それは中野にずっと居る人は万人共通のようですね。住んでみて、暮らしてみて、初めて分かる良さがあるのであって、ここから敢えて行こうということにはならないのかもしれません。中野も暮らしやすい街ですが、それってやはり新宿に近いことも関係するでしょうか?
長谷部 新宿だけでなく、東京都内であれば主要駅に絶対に30分以内で行けるのは大きいです。池袋でも東京でも銀座でも何時に着けるって計算ができるから。鉄道やバスを使った時の利便性は最強なんじゃないですかね。こういう住宅地は他にないと思います。
都心に近く、都内主要駅におよそ30分でアクセス可能な利便性。交通の便が良いのは中野の大きな魅力だ。中野チャンプルーフェスタを通じて、東京の名物イベント関係者の元へ出向くことが多くなった今、改めて中野の便利さに気づくこともあるだろう。そんな中野に足りないものを伺うと、メインストリートの歩道幅員の拡幅の話が飛び出してきた。
市川 なるほど。では、逆に中野の街の弱点といえば、どのようにお考えでしょう?
長谷部 これはもう、歩道です。中野通りと早稲田通りは僕らの大動脈じゃないですか。そこに面している歩道が狭すぎる。歩きにくいし、自転車の問題もあります。親子が手をつないで歩けない歩道というのは絶対にダメ。
市川 新しくなった山手通り(東京都道317号環状六号線)沿いの歩道はご覧になりましたか?
長谷部 素晴らしいですよね。娘のバレエ教室の送り迎えで7年間通っていまして、どんどん良くなっていくところを見ていました。やればできるじゃないの!って思います。ああいう安心して歩ける歩道が、中野に一番欠けているものだと思います。
市川 あれを提案したのは衆議院議員の松本文明さんですね。山手通りの地下に首都高速の地下トンネルができると交通の流れが変わって、交通量が減るんだから、車道をそんなに広くとらないでその分歩道を増やせ、と。東京都もあそこには相当力を入れていました。だから、相当に年数もかかってしまった。あのような歩道を持ったメインストリートが、もっと欲しいということですね。
少子高齢化社会にあって、お年寄りや子どもが歩いていて危険を感じない道幅の歩道が欲しいと切に要望された。長谷部さん曰く、長年かかって完成した山手通りの幅員10mの歩道を範として、歩行者が増加した中野駅北口界隈を安心してあるける道が欲しい。道路幅から街の安心を感じ取られるのは、中野チャンプルーフェスタで道路使用願いを官公庁と何度も掛け合った結果なのかもしれない。
[後編]に続きます。